見出し画像

偏愛が解き明かす"推し"球団の「失敗の本質」。村瀬秀信著『4522敗の記憶』

DeNAベイスターズの26年ぶりの日本一を受け、『週刊ベースボール』に代表される"聖杯”を特集した関連本はたちまち品切れとなった。

今回紹介する『4522敗の記憶』もその流れを受け8年の歳月を経て復刻。緊急重版が決まった。

本書は著者の村瀬氏が少年期、ベイスターズの前身大洋ホエールズ時代から育んだ推しへの純粋な情愛を原動力に描いた貴重な「球団史」である。

親会社マルハ時代を網羅しつつ、暗黒期のただ中のTBS時代、そしてDeNA誕生とその初期までの球団事情やチーム内部の事情を数多の証言をもとに浮かび上がらせている。

「なぜ、弱くなってしまったのか」
「今後、どうすればいいのか」

著者は自らの素朴で難解な疑問を解明すべく、当時を知る30人余りの球団関係者の懐に入り貴重な証言を得ている。

そしてそれらをつなぎあわせ1本の線とすることで、推しの弱体化の正体、低迷の要因を顕現化した。

そういう点で、本書はベイスターズ版「失敗の本質」の体もなしている。

元祖『失敗の本質』は、"第二次世界大戦、日本軍の敗戦の原因を追い求め、今次の日本軍の戦略、組織面の研究に新しい光をあて日本の企業組織に貴重な示唆を与えた一冊"(ダイヤモンド社)だが、本書もプロ野球界における球団の退潮の様が克明に描かれている。

"研究”などという厳かなまといこそないものの、その内容たるや組織論に通ずる教訓が備わっており、稀有な失敗要因の探求書として存分に堪能できるだろう。

日本一から10年後、「史上最弱」チームへの"華麗なる転落”

本書は全8章で構成されている。はじまりは38年ぶりとなる栄光の日本一に輝いた98年。

「何があろうと一生、ベイスターズと生きていける」

ベイスターズの黄金時代が到来することを信じてやまない著者だったが、その10年後、よもや推しが「史上最弱」チームへと転落するとは想像だにしなかった。

『未来に希望を見出すことでしか、自分がなぜこの万年最下位のチームに執着しているのかの説明がつかないと気付く』


第2章は、推しが「史上最弱」の汚名を預かり“絶望”の淵に立たされた著者が、未来に希望を託しつつ、多くの球団関係者に「弱体化の要因」を尋ね歩く、いわば探求の旅のはじまりにして本書の核心部分をなしている。

ここでは、OBの高橋雅裕氏(当時解説者)が取材に訪れた著者に放った「…よくファンを続けてくれていますね」「僕らの時も弱かったけど、さすがにここまで醜くなかった」に見られるように、ファンが抱いた『黄金時代の幻想』をあたかも打ち砕くようなOB等による至言が随所にちりばめられている。

第3章では、TBSへの『幸せな身売り』に象徴される転換期にあった球団及びチームの状況が描かれている。「ベイスターズの未来」とされた古木克明、吉村裕基、内川聖一、村田修一らの明と暗、また石井琢朗、鈴木尚典、佐伯貴弘ら「日本一戦士の憂鬱」が懐かしくもの悲しい。

本書はまたベイスターズの前身ホエールズ時代の歴史と内情にまで射程を広げている。第4章は『弱さの原点』を見出すべく「秋山と土井」の時代にまで遡り球団体質の根源にまで踏み込む念の入れようで、筋金入りのベイファンたる著者の面目躍如のパートといえる。

第5章は横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズに生まれ変わり地域密着の大看板を掲げた1992年が起点。石井琢朗、進藤達哉等その後日本一を成し遂げる主力選手の若かりし頃と高木豊、屋敷要、大門和彦らベテラン「大量解雇」のコントラストが、プロ野球界における生存競争のすさまじさを雄弁に物語っている。

第6章は3年連続100敗ペースでの最下位が続く最悪な状況下における著者渾身の取材の記録。

身売りが現実味を帯び暗黒末期の状況にあったベイスターズの内情を浮かびあがらせ読者を暗黒世界の実情へと引き込んでいく。

2012年、横浜DeNAベイスターズ誕生と中畑清新監督へ抵抗感、三浦大輔の孤軍奮闘を描いた第7章。

ここで著者は、新球団の池田純社長がコンセプトに打ち出した「継承と革新」に希望を見出していく。球団の過去の歴史を全否定しない姿勢、横浜という野球熱の高い地域性を重んじる心根に著者は共感し、最終章で12球団で最も負けを刻んだ推しへの情愛、地域愛を再確認していく。

本書はさらに追録として「村田修一が見ていた世界」も収められている。すべてのパートがベイスターズファンを飽きさせない内容となっており、ファンが唇をかむような記憶が集積されている。副題の“ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史”とは決して大袈裟ではない。

暗黒時代とフロントの罪

ここから本書の中で、個人的に特に興味を持った箇所を抽出していく。その前にベイスターズの「暗黒時代」の質的状況を、本書に沿って以下のようにまとめてみた。

98年の日本一達成後の緩やかな停滞期を脱けだすべく、2001年から西武ライオンズの黄金期を担った森祇晶監督が新たな指揮官に。

管理野球を浸透させようとする"名将”も、自由闊達な野球に慣れた選手の前では機能せずチームは波に乗れない。

2002年、親会社がマルハからTBSへ変わり、チームは最下位となって森監督は解任。以後、長期低迷が始まる。

2003年から山下大輔氏、牛島和彦氏、大矢明彦氏、尾花高夫氏等新監督を逐次投入するもAクラスは1度のみで浮上の機運は見られず。並行して、中心選手や将来を嘱望された選手が次々と球団から離脱。

98年の栄光から10年後、2008年からDeNA元年の12年まで5年連続の最下位へ。


著者はこの真冬の時代を招いた要因、遠因に迫っていくのだが、とりわけ暗黒のTBS時代を語るとき、「ベイスターズの凋落の原因として"フロント”という要素があげられる」と容赦ない。

戦略なきドラフト。行き当たりばったりのトレード。主力選手のFA流出ほか、00年代に起こったこれらチーム作りの根幹となるものが、ベイスターズの低迷に直接影響しているだけに、フロントの罪は免れようがない


そして、こうした"失態”を招いた人物として多くの球界関係者から名前が挙がったとされる当時のGM山中正竹氏に対しても躊躇なく当時の振り返りを求めている。

四面楚歌だった"アマチュアの重鎮"山中正竹GM

本書によれば、03年からチーム編成の責任者となった山中氏を取り巻く環境は四面楚歌だった。

山中氏といえば、法政大学時代に投手として通算48勝の不滅の大記録を作り、指導者としても社会人、大学で日本一を経験。

全日本の監督としてもバルセロナ五輪で銅メダルを獲得するなど”アマチュアの重鎮”ともいえる存在だったが、新たな職場に入るや、アマチュア時代の栄光の記憶は無惨に薄まっていった。

「所詮アマチュアはアマチュア。プロの世界に呼んでくること自体が間違っている」

こんな辛辣な空気感が、当時、球団内部に醸成されていたという。

GMという役職で迎えられた山中氏に対し、監督にすべての責任・権限を託したいとする向きによって『何をするにも邪魔をするな』という空気が漂っていたというのだから、チーム作りが円滑に進むはずはない。

TBSが山中氏に求めたのは、"お金をかけずにチームを強くする”ことで、山中氏からすればチーム財政の無駄を省くことは当たりまえのことだった。

しかし、いざ実行に動こうものなら「プロ野球が分かっていない」などと不平不満が渦を巻く。まさに板挟みの状態だった。

山中氏は外国人の獲得、ドラフト、若手の育成にやりがいを感じながらも、閑職に追いやられ、世間からパッシングを受け、7年間の在籍の後、10年3月に退団した。

山中氏に関して本書では、上記の箇所以外にも誌面が割かれているが、当時の山中氏の境遇を知れば知るほど、気の毒な感じがしてならなかった。

詳細は本書に譲るが、著者が指摘しているように、山中氏は「敗戦から生まれた暗部、フロント内部の権力争いに飲み込まれた被害者だった」

日本一達成後の人事の失敗

ベイスターズの暗黒期を語るうえで、98年の日本一の翌年以降の球団事情は看過できず、とりわけ本書においては、親会社マルハの最終章となる99~02年の記憶は読みごたえがある。

中でも興味深いのが、当時のチーム事情を知る日本一の際の球団社長、大堀隆氏の以下の証言だ。

「ベイスターズの今の低迷の招いた原因。そのすべては人事ですよ。チームの上から下まですべてにおいて、言ってみればマネジメントに問題があったんです」

「球団社長を退いて10年、まさかここまで弱くなるとはね。情けないですよ。それもこれもすべては人事の問題と言ってしまえば片が付くんです。監督の人事、編成の人事の失敗。それでかなりの人間を追い出してしまった。今の親会社(TBS)は知らないけど、前はひどかったからね」

「ただ俺にも反省すべき点がある。大きなミスを2つやってしまった。1つは98年に日本一になった時点で補強をしなかったこと。もう1つは、決定的なミスキャストをしてしまったことー」


元球団社長の発言は、日本一の残り火をかき消すことになる要因としては十分すぎるほど分かりやすい証言となっている。

ここで指摘された人事のミスキャストとは、2000年シーズンオフの森祇晶氏の監督招聘に他ならない。

西武黄金期の教育をそのままベイスターズで試みたことによる選手の戸惑いと不信感は、森監督の采配期間に消えることはなかったという。

球団OBの石井琢朗氏による森監督時代の総括は、強烈な印象を放っている。

「やり方だったと思うんです。ただ、93年にベイスターズになってから、優勝するまでにチームがなぜ成長曲線を描けたのか考えると、近藤さん以降、選手を把握している内部から監督が決まっていたからだと思うんです」

「それが森さんはポンと外から来て、チームを変えることを求められた。外から見て森さんの野球に合わない選手は放出して、血の入れ替えをしてしまった。その点は、失敗だったのかなと思います」


司令塔の放出

ベイスターズは、日本一達成後のチーム強化として大切な時期に、球団の体質と最も相性の悪い"名将”を選んでしまったようだが、長期低迷につながった火種はそれだけではなかった。

01年オフシーズン、司令塔の放出もその一つだ。

「ベイスターズが弱くなったポイントはどこだったと思いますか」

著者が大洋・横浜のOB・現役選手に対し上記の質問を共通に行った際、答えの8割が「谷繁放出」だったという。

本書を読むと、当時の正捕手谷繁のチーム内での存在がいかに大きかったかよくわかる。

球界を代表する捕手にまで上り詰めた選手を、ベイスターズはFA交渉で熱心には引き止めなかった。上述の大堀氏は"谷繁問題"を以下のように述懐している。

「『相川がいるからいいよ』って意見もあって、『それならば声をかけませんよ』ということですよ・・・谷繁は日本一のキャッチャーですよ。でも、相川も後に日本を代表するまでになるだけの素質を持っていた。そして後々に相川すらもベイスターズは出してしまう。後には誰もいなくなった。それがすべてだよね」


弱き日のベイスターズを振り返ると、谷繁、相川以後の捕手起用に苦労をしていた記憶が自分にもある。

谷繁の流出は結果として放出であり、マルハが親会社として最後に犯した最大の罪として球団史に残ってしまったように感じる。

ベイスターズファン必読の書

当ブログでは、主に99年から2010年までのベイスターズの暗黒期の要因を抽出したが、当然のことながら著者はそれ以後の弱い状況の記録と記憶の掘り起こしにぬかりはない。

"もののけの末路”と題した第6章には、著者が「最も悲惨な時代」として位置付けた第二次大矢政権のくだりがあるが、それは「第二次大矢政権の最後のほうは、球団で内紛ばかりおきていましたから」という当時を知る新聞記者の証言をエビデンスとしている。

ここだけとってみても、著者の長きにわたる地道な取材努力がうかがえる。頭が下がるが、それをさせているのも推しへの強烈な情愛なのだろう。

今やベイスターズファンの象徴ともいうべき著者の洒脱で軽妙な筆致はとても読みやすく未来への希望を閉ざすことなく読者を暗黒世界へ誘う手わざは、さすがの一言だ。

私は本書を失敗の探求書として通読したが、冒頭記したように、本書の本来の主題は球団史であり、ベイスターズの一大叙事詩である。

それゆえ本書でしか知り得ないエピソードが溢れており、ベイスターズファンなら世代を問わず楽しめるはずだ。

オールドファンは当時の記憶を思い起こしながら没入できるし、一方、マルハ時代を知らない、または、TBS時代の記憶がおぼろげのベイファンにあっては、推しの黒歴史もしくは球団興亡の様を認識できる恰好の書となろう。本書がベイスターズファン必読書たる所以はここにある。

24年シーズン、ベイスターズはリーグ3位からから26年ぶりの日本一へ駆けあがった。

先日、著者にベイスターズの話を聞く機会があったが、今回の栄光が持続することに対しては懐疑的であった。憶測だが、98年シーズンの「その後」が頭から消えないためではないだろうか。

ベイスターズの黄金時代が到来したらいったい著者はどのような世界感を描くのか。他球団推しの自分は到底歓迎できないが、読者として興味はある。作家村瀬秀信の活動と同様に来季以降、ベイスターズの興亡も気にかけていくこととする。

いいなと思ったら応援しよう!