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性的経済学について ~女性のセックスは「資源」なのか?~

はじめに


 新年早々、とんでもない記事が公開されていた。

バウマイスター氏らはセックスを経済学の原理から捉え、「セックスは女性が持つ数少ない資源の1つだ」と指摘しています。バウマイスター氏らが提唱する性的経済学においては、男性は女性よりもセックスを欲しているという大前提が存在します。この前提において、経済活動における女性は資源の供給者、つまり売り手であり、男性は買い手と見なすことができます。こう考えると、性行為をする男女は同じことをしていますが、社会的には全く異なる行為が行われていることになります。


狩猟採集や農耕の時代では男女は別々の社会的役割を担い、後に広まったより広範な経済的・社会的活動は主に男性の領域から生まれ、富や権力は男性を中心に構築されるようになりました。バウマイスター氏らは、歴史上、セックスの供給を制限しておくことは女性にとって有利であったと主張しています。バウマイスター氏らは「セックスは社会の富の一部を得るために男性に提供できる女性の資源だった」とし、女性はセックスの価値を高めるためにセックスをできる限り制限していたのではと考えています。

https://gigazine.net/news/20230102-sexual-economics/

 端的に言えば女性の性(セックス)は「資源」である、というものだ。なんとひどいことを・・・

 Gigazineがこのような記事を出したことは驚いたものの、実は筆者は前から性的経済学に注目していた。最初のnoteも性的経済学に関するものであるし、その後も性的経済学については取り扱っている。

 なぜ性的経済学に注目していたか?それは、現実の社会においても重要な理論であるためだ。現代社会において、セックスの価値に性差があるということによって生じていると考えられる出来事は多い。そのため、性的経済学について理解することはそうした事例について考える上で有効であるだろう。
 とは言え、女性の性を「資源」として捉えることを快く思わない人もいるだろう。そこで今回は、果たして女性の性は「資源」として捉えられるのかについて検討しよう。


1章:本当に女性の性の価値は高いのか


 果たして本当に女性の性の価値は高いのだろうか。あまりに自明であると考える人もいるだろうし、こうした考えに不快感を感じる人もいるだろう。
 性的経済学についてはGigazineの記事の通りだ。端的に言えば、「女性の性は希少価値のある資源であり、男性は女性に資源を提供することで見返りとして性を獲得する」という理論である。

 記事にもあった通り、この理論は「男性が女性よりもセックスを欲している」ということが前提となっている。しかし、例えば「女性にも性欲はある」という反論もあるだろう。そこで、男性が本当に女性よりもセックスを欲しているのか、「性欲」「体だけの関係への積極性」「性的嫌悪」の観点から検討してみよう。

性欲の男女差


 
 Lippaが実施した研究によると、ヘテロ男性はヘテロ女性よりも高いレベルの性欲を有してると報告した。その性差はd = 0.82であり、少なくともこのサンプルにおいては大きな性差があったと言えるだろう。また、その後Lippaが53カ国のデータを分析した研究においても、男性は女性よりも一貫して性欲が強いことが分かっている(d = 0.62)。
 最近行われたメタアナリシスでも性差が再現されている。Frankenbachらが実施したメタアナリシスでは、男性は女性よりも強い性欲があり、その差の大きさは中~大程度と推定されるという。
 もちろん男性よりも性欲が強い女性は存在するだろうが(実際Frankenbachらの研究では女性の24~29%は平均的な男性と比べ性欲が強いことが分かっている)、少なくとも平均的には男性の方が女性よりも性欲が強いと言えるだろう。


体だけの関係に対する積極性の性差


 体だけの関係というのは言葉の通りで、要はセックスをするだけの関係のことである。異性関係においては、一人のパートナーと長期的に交際するという形が一般的である(例:結婚)。そうした関係性においては、単にセックスをするだけでなく、デートをしたり共に子育てをしたり等、セックス以外の時間も重要である。
 他方で人間においてはセックスだけをする関係性というのも存在する(例:セックスフレンド)。そのような関係性は極端な話「セックスができれば良い」というものであるだろう。
 体だけの関係への積極性に性差はあるのだろうか。最も普通に考えれば男性の方が積極的ではあるのだが、「女性にも積極的な人はいる!」という反論も考えられるので、データをもとに考えてみよう。

 心理学において「体だけの関係への積極性」を測る指標として「ソシオセクシュアリティ」というものがある。オリジナルのものは1991年にGangestadとSimpsonが作成したものであるが、その後2008年にPenkeとAsendorpfが改訂版を作成した。現在では改訂版(SOI-R)が使用されることが多い。 
 SOI-Rは、体だけの関係に関する「(実際の)行動」「態度」「欲求」の3つの領域に基づいて体だけの関係への積極性を評価する。PenkeとAsendorpfはSOI-Rについて、「欲求」の性差が最も大きく(Study 1でd = .86, Study 2でd = .55)、「態度」の性差は小さく(Study 1でd = .43, Study 2でd = .35)、「行動」の性差は存在しない(Study 1でd = .06, Study 2でd = .00)と報告しており、全て男性>女性であった。また、SOI-R全体の性差も男性>女性であった(Study 1でd = .61, Study 2でd = .40)。

 また、SOI-Rで測定する「体だけの関係に対する積極性」の性差は、他の研究でも再現されている。Pintoによる研究では、男性は女性よりも体だけの関係に積極的であり、その性差はd = 1.38と大きいことが分かっている。Al-Shawafらの研究も同様の傾向が確認されており、その性差はStudy 1でd = 1.15、Study 2でd = 1.10と大きかった。(この研究については次章でも扱う)

 性差の大きさはサンプルによって異なるものの、体だけの関係により積極的なのは男性であると言えるだろう。これは言い換えれば、セックス「自体」を求める傾向が強いということになる。実際Goetzらの研究では、男性は体だけの関係の文脈においてより「誰とでも寝る」「未熟である」といった特徴を持つ女性を好んでいるが、長期的関係の文脈(結婚など)ではあまりそうした特徴を持つ女性を好まないことが分かった。このことは、男性は体だけの関係の相手としては「関係を結びやすい(ヤれる)」女性を好んでいるということを示唆している。
 ともあれこれらを踏まえると、男性がよりセックスを求めているということは決して的外れな考えではないことが伺える。


性的嫌悪感の性差


 ここで扱うのは「性的嫌悪感」の性差だ。と言っても性的嫌悪感については既に前回のnoteで扱っているため、ここでは簡単に説明することとする。
 「性的嫌悪感」とは、「自分の長期的な繁殖成功を脅かす性的パートナーや性行動を回避する動機付け」のことである。Tyburらは、嫌悪感に関する尺度として「三領域嫌悪感尺度(Three-Domain Disgust Scale, TDDS)」を考案した。これは3つの領域から個人の嫌悪感を測定するものであるが、その3領域とは「病原体に対する嫌悪(Pathogen Disgust)」、「道徳的嫌悪(Moral Disgust)」、そして「性的嫌悪(Sexual Disgust)」だ。
 性的嫌悪感を測定する項目は7項目あるが、その中には「好きでない人が自分に対し性的な空想をしていることを知る」「エレベーターの中で、知らない異性に太ももを揉まれる」というものがある。Tyburらは、こうした項目に関する嫌悪感について、少なくとも中程度の性差(女性>男性)があると報告している(d > 0.6)。また、性的嫌悪感自体の性差も一貫して女性の方が高い。
 また、先ほど紹介したAl-Shawafらの研究では、性的嫌悪感についても測定しており、その結果は以下の表の通り。


Al-Shawaf et al (2015)より筆者作成


Al-Shawaf et al (2015)より筆者作成



 これを見ると、性的嫌悪感には大きな性差があり、かつ男性が極端に低いことが分かるだろう。前章で扱った「体だけの関係に対する積極性」と併せて考えると、男性の方がセックスに積極的であると言ってもいいのではないか。

まとめ


 ここまで、「性欲」「体だけの関係に対する積極性」「性的嫌悪」の性差について検討してきた。簡単にまとめると、男性は女性よりも性欲が強く、体だけの関係に積極的で、性的嫌悪が弱い。このことを踏まえると、Baumeisterらが言う「男性は女性よりもセックスを欲している」ということは妥当であると考えることができるだろう。そして、逆に女性は男性よりもセックスを欲していないので、必然的に女性の性には「希少価値」が付くことになる。



2章:セックスは本当に「資源」なのか?


 1章では、女性のセックスに価値があるということについては検討した。では、「セックスは社会の富の一部を得るために男性に提供できる女性の資源だった」というのは正しいのだろうか。これは言い換えれば「女性はセックスを提供することで社会的な富(例:金銭)を得ていた」ということになり、「あくまで一部の女性(例:売〇婦)だけではないか」という反論もありそうである。
 
 しかしながら、金銭は女性がパートナーを選ぶ上でとても重要な要素である。様々な研究やデータから、女性はパートナー選択の際に相手の経済力を重要視していることが分かっている(詳しくは筆者の過去noteを参照)。
 実際、経済力のある男性はより結婚しており、子どもの数も多いことが示されている。Hopcroftの研究によれば、高所得の男性は(低所得の男性と比較して)結婚する可能性が高く、離婚の可能性が低く、離婚した場合には再婚する可能性が高く、子どもを持つ可能性が高いことが分かっている。ちなみに女性の場合は、所得と結婚の可能性との間の関係は有意ではなく、離婚の可能性が高く、子どもを持つ可能性が低い。このことはから、構造上女性のセックスと男性の経済的資源が交換関係にあることが示唆される。

 また、結婚だけでなく、通常のデートにおいても男性の経済的要素は重要である。アメリカの大学生サンプルでは、初デートの際に男性が全額費用を負担していると回答した女性は全体の85.3%であるのに対し、女性が全額費用を負担していると回答した女性は1.6%であった。さらに、初デートにおいて男性が全額費用を負担するべきと考える女性は全体の55.1%(「男性が多めに負担すべき」を含めると71.6%)であるのに対し、女性が全額負担すべきと考える女性は0.6%であった。このような状況では、男性はデート費用を女性のために負担することで、その女性との関係を良好にすることができるだろう。そして、関係を良好にすることでその女性と性関係を結ぶことができる可能性も高まる。逆に女性側からすれば、デート費用を自分のために負担してくれる男性をセックスの相手に選ぶことで(負担してくれない男性を候補から外すことで)、自身の金銭的余裕を保つことができる。こうしたことからも、女性のセックスと男性の経済的資源は、実質的に交換関係にあると考えられるだろう

 これらをまとめると、女性が意図しているかは別として、男性の経済的資源と女性のセックスは交換関係にあるようだ。男性がデートで費用を負担すれば必ずしもセックスが約束されるわけではないが、女性が「経済力があり、自分のために金銭を負担してくれる男性」と優先的に関係を持つのであれば、女性にとっては自身のセックスと男性の資源を交換していることとなり、結果的にセックスが「資源」になっていると考えることはできるだろう。

※一方、意図して自身のセックスを資源として扱っている女性も一定数いることは容易に想像がつくだろう

 
 
 
 
 

3章:女性は性を制限しているのか?


 ここまで、女性のセックスの価値は実際に高く、セックスが資源になり得るということについて検討してきた。ここで検討するのは、Gigazineの記事にあった「女性はセックスの価値を高めるためにセックスをできる限り制限」するというBaumeisterらの見解についてである。
 確かに、女性のセックスの価値が高く、資源としての価値が発生すると擦れば、その資源を安易に提供することは避けるだろう。もし資源を安易に提供してしまえば、その価値は下がってしまうためだ。では、女性は本当にセックスを制限しているのだろうか。ここでは「選り好み」と「女性内でのけん制」という観点から検討しよう。


女性の選り好み


 そもそもセックスを制限するということは、男性に簡単にセックスを提供しないということである。セックスの制限のより直接的な例は、実際に男性に対し"No"を突き付けることだろう。
 実際、女性が男性よりも相手に"No"を突き付ける可能性が高いことが示されている。Tinderのデータを分析した論者によると、女性は男性の95%を”pass”しているという。一方男性が"pass"したのは45%であった。

 

https://thebolditalic.com/the-two-worlds-of-tinder-f1c34e800db4

 
 
 また、Overbeekらが実施したスピードデート実験では、女性は男性よりも相手に"No"を提示する可能性が高く、男性よりも”Yes”を獲得する可能性が高いことが分かった(いずれもp < .001)。

 つまり、女性は男性よりも選り好みが強く、相手に"No"を提示する可能性が高いことが言えるだろう。もちろん"Yes"が直ちに「性の提供」と繋がるわけではないが、"No"は明らかに「性の提供の拒否」であるから、その意味で女性は男性に性を提供する可能性が低いということになる。


女性内でのけん制


 女性の性の制限には別の形態がある。それは、「女性内でのけん制」だ。
 先ほど「体だけの関係への積極性」について、男性がより積極的であると述べた。とは言えやはり個人差というのはあり、女性にも体だけの関係に積極的な女性はいる。「簡単に」セックスを提供することは、セックスの希少価値が下がることに繋がるだろう。そして、特に簡単にセックスを提供する女性が近くにいることはその他の女性にとっては脅威である。

 「性的二重基準」という言葉がある。これは簡単に言えば、「男性は性的に奔放であってもよいが、女性が性的に奔放なのは好ましくない」という規範のことだ。読者の方の中にも、主にジェンダー論の文脈でこうした話を聞いたことがある人もいるのではないか。
 では、性的に奔放な女性(簡単に男性にセックスを提供する女性)に厳しいのは誰か?MilhausenとHeroldが行った調査では、95%の女性が「性的二重基準」について、「(確実に、または恐らく)存在する」と回答した。また、93%の女性が、「セックスパートナーの多い女性は同様の男性と比べ厳しく評価される」ということに関して「(間違いなく、または恐らく)その通りである」と回答した。一方で、「多くのパートナーとセックスをした女性をより厳しく評価するのは誰か?」という質問に対しては、46%の女性が「女性自身である」と回答したのに対し、男性が最も厳しいと回答したのは12%であった。
 そして、こうした傾向は実験でも確認されている。Muggletonらが経済ゲームを使用して行った実験では、男性も女性も「性的に挑発的な服装をした女性」に対し偏見を持っており、そうした女性を「信頼できない」と考える可能性が高いことが示唆された。一方で女性は男性よりも「性的に挑発的な服装をした女性」に対し罰を与えようとする可能性が高かった。なお、「性的に挑発的な恰好をした女性」は、先行研究で「性的に奔放である」と評価されやすいとされた特徴を有しており、事前調査で性的に奔放であると評価されていた。 
 
 まとめると、性的に奔放な女性(簡単に男性にセックスを提供する女性)に厳しく、そうした女性を罰しようとするのは男性よりも女性である可能性が高いことが言えるだろう。必ずしも女性が「セックスの価値を高める」という動機を意識しているとは限らないが、「セックスの価値を下げ得る女性」を罰することによっても「セックスの制限」を行うようだ。


 

まとめ


 女性は男性よりも相手に"No"を提示する可能性が高く、男性よりも「簡単に性を提供する女性」を罰する可能性が高い。つまり、女性は男性に対し直接「セックスの提供」を拒否するだけでなく、女性内でのけん制を行うことによっても「セックスの制限」を行っているということである。



終わりに


 ここまで、性的経済学に関して検討してきた。女性のセックスの価値は実際に高く、資源ともなり得る。そして、女性はその価値を維持するような行動を取っている。こうしたことから、性的経済学の理論は現代においても重要であると言えるかもしれない。 
 また、ここまで扱ってきた内容は、現実に起こっている様々な事例を考える上でも重要だろう。ここまで読んでいただいて、「あれ、これってあの出来事のことではないか?」と感じた人もいるのではないか。Gigazineがこのタイミングであのような記事を出した理由は分からないが、女性のセックスを希少価値のある資源と捉えることで、様々な出来事の背景を理解できるようになるかもしれない。













ちなみに僕はタダでセックスを提供します
Twitter:@coffee_______s






 


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