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国民の多数が反対する『国葬』に自民党岸田内閣が支持率を減らしても固執してきた理由って?

「国民の多数が反対してますが、それを顧みず国葬を行おうとしているのはなぜなんでしょう。支持率もずいぶん減っているのに。」

と、S君が、問題提起をしました。

彼は、別に岸田内閣や自民党の先行きを心配してあげているわけではなさそうですが、反社会勢力の後押しをしてきた、いわば、確信犯的な人間の葬儀を国民の税金でおこなうというだけで強まる国民の反発に、実利主義で議席獲得のためなら反社会勢力との協力関係さえ辞さずにやってきた貪欲な政党が、敏感でないのはおかしいと思っているようです。

彼の言いたいことは、政権政党が、非論理的で非合理な選択を情動に任せて浪花節的におこなうような、そんな牧歌的な政治集団なのだろうか、どうも解せない、という問いだと思います。

経済学者は、そういうパフォーマンスに対しては、「いったい誰の得になるのか?」と、灰色の脳細胞を使うのです。損得から社会現象の本質を見抜くのが、経済学の醍醐味ですよ、と。

業績の正統化?

大切なのは、安倍元首相の業績を正統化することの意義を探ることです。

アベノミクスでは、富裕層の利益は格段に飛躍したが、一人当たりの国民所得は抑制された。雇用回復という宣伝は不安定就業層の拡大と、厚生労働省データ改竄を通じて行われたものでした。その結果、国民総所得は世界3位でありながら、日本国民の一人当たりの実質賃金は28位(世界経済のネタ帳2022年4月21日)。この間賃金上昇が進んだ韓国の水準以下になりました。内需を支える力が弱く、リーマンショック以降の経済停滞を抜け出せないまま低迷しています。「企業栄えて国滅ぶ」が、笑い事ではなく実証されてしまった感があります。

井上伸@雑誌KOKKOより。 https://twitter.com/inoueshin0/status/1139138335295729665/photo/1

底辺から上層へと利益が吸い上げられる独占資本主義の言わば「トリクル・アップ」構造によって、アベノミクスが掲げる「トリクル・ダウン」の幻想は儚く破れ、社会的格差は拡大しました。

庶民は、アベノミクスとは実感のともなわない、負担増ばかり目立つ、説明も十分できない幻想の「好況」ではないかと感じてきました。

安倍政治継承のイデオロギー的意義

だから、虚構のアベノミクスを持ち上げて、実際に同じ経済政策を踏襲することは、日本の景気情報には逆効果です。「アベノミクスを、100%継承します」といっても、幻想のありがたみを伝えるのに留まることになるだけなのです。

そうすると、安倍政治の継承の意義は、合理的な経済政策とはかけ離れた世界の話しで、市場をめぐる問題とは直接的な関係のない、とはいえ間接的には大きな相互作用がある、永田町の理論にその根拠を求めることが妥当だと思われます。つまり、安倍政治をイデオロギー的に継承することの意味が大切になります。

つまり、アベノミクスの経済政策上を引き継ぐのではなく、崩壊しつつある安倍派の動向も見据えて、自民党の主流派争奪戦において、安倍元首相とその党内影響力を継承するために、正統化事由が問題になっているのです。

小選挙区制と党内ファッショ体制

自民党は、党内の自由度を弱めるシステムの中で硬直しているように見えます。この情況を生み出した大きな背景は、小選挙区制です。

小選挙区制の導入目的は、得票率3割政党にまでなった自民党の長期退潮傾向への対抗策でした。中選挙区を多くの選挙区を区分けすることで、多くの選挙区で第1党になれる情況を利用し、他党の当選を阻むことで、6割の議席をえる手段となります。

結局、国民の政治批判が国会に反映することを阻止し、保守政権の長命化をはかる手段でした。主権在民を否定する彼らの憲法改正もこれで日程にはいる可能性が生まれます。

このように、小選挙区制は、国会の議員するを保守で占めるための手段として理解されがちですが、実は、それ以上に重大な政治環境の変化をもたらしました。それは党内政治への影響です。

かつての中選挙区制の下では、例えば、どちらも総理大臣経験者となる福田赳夫氏と中曽根康弘氏が同一選挙区で争い合ったような、異なる政策主張者同士が公認候補として選出される基盤がありました。

しかし、こんにち小選挙区制度では、当選者数が1名といった極端な選挙区候補者の集中が必要となり、その結果、党執行部が選出するものだけが公認候補となる事態となっています。

当然、公認を得るために、党執行部の意向に従属することが求められ、派閥間の力関係の諸作用はあるにせよ、党執行部の意向に立候補可能性が左右されてしまいます。後は、党内の支配・従属関係の拡大再生産です。

保守本流となれば、党内派閥、国民を支配可能になるからです。

安倍派議員をとりまく環境

ということは、現執行部を握ってきた、安倍派の議員を吸収しようとした場合に、安倍路線の継承をイメージづける安倍国葬は、安倍派の議員が同調しやすい流れを作り出す手段となるので、現政権にとってお得です。

別の角度から見ると国葬もせず反社会勢力との関係者をすべて粛正して党を浄化するなどといったら、安倍派はついてこないでしょう。安倍派の議員にしてみれば、他の派閥へと移籍するようなことがあった場合に、かつてのボスがないがしろにされるといったことがあれば、自分は数合わせ要員として迎えられても、いずれ将来もないがしろにされるのではないかと、疑心暗鬼になるはずです。

つまり、安倍国葬は、永田町の論理で、自民党の正統派の再結成の重要な要因としてみられており、権力の移行を、現執行部の延長上におこなおうとするもので、現執行部のメリットを最大限に保証するパフォーマンスなのです。

一般的国民意識はそもそも蚊帳の外にあるし、国民の思いは永田町には届かないわけですね。

国勢選挙は未だ彼方。

さらに、自民党は、国政選挙が3年間無い今の時期をチャンスとみています。彼らは、国民をなめているので、3年後の選挙の時には、安倍氏の数々のスキャンダルや統一教会のことなど、忘れてしまっているに違いないと高をくくっていると思います。

このような国民を舐めきった姿勢は、安倍政権からずるずると引き継がれ、再生産されることになります。

「このあたりが、本音なのかも?」と、考える毎日です。

(写真は「東京新聞」https://www.tokyo-np.co.jp/article/199332 2022年8月31日 20時00分より。坂本亜由理氏撮影)




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