![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/135342318/rectangle_large_type_2_0436e41c3c1f3d8cf98bc4c3bb5fef15.png?width=800)
静岡・島田|自転車でかけぬける島田のチャリ旅
車の免許を持っていない。だから、旅に行こうと思っても交通手段がなくて困ることがあります。そんな時に、最近よく利用しているのが自転車。今回は、静岡県・島田を自転車で巡った旅を紹介します。
![](https://assets.st-note.com/img/1711490584706-zrKpQ08TqX.jpg?width=800)
大井川 川越遺跡
最初に向かったのは、大井川川越遺跡です。大井川には、江戸時代までは橋がなく、川越人足と呼ばれる男性たちが旅人を背負って大井川を渡っていました。天候が悪いと背負って渡ることも出来なかったため、何日も渡れないってこともあったそうです。
大井川は駿河と遠江の国境であったため、幕府の防衛政策などにより架橋・通船が禁じられました。そのため、旅人は川越人足(かわごしにんそく)と呼ばれる専門集団を雇い、大井川を越えなければなりませんでした。このように人力のみで川を越えることを「川越し」と呼んだのです。
札場(ふだば)
札場は川越人足の人たちにお給料を支払っていた場所。1日ごとにお給料は支払われていたそうです。中は見学することができました。
![](https://assets.st-note.com/img/1711490122901-LimJBk8Li7.png?width=800)
川会所(かわかいしょ)
川を渡るためのチケットを販売していた川会所へ。当時使っていた道具や歴史などが展示されています。
気になったのが、料金表。当日の川の深さによって値段が決まっていました。今は水量が多くない大井川ですが、昔は水量が多く大変だったそうです。
![](https://assets.st-note.com/img/1711490390122-YkGQpSOk6H.png?width=800)
川を渡る際に乗る台が展示されていました。背中に乗る以外にも、ハシゴのような台や神輿のような連台などに乗ることも可能だったようです。
![](https://assets.st-note.com/img/1711490473105-Btss1bNX8j.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1711492996316-qFlrjTW2Sk.jpg?width=800)
川会所で働いていた人たちの等身大の人形があり、こんな感じだったのかと雰囲気を味わえました。
![](https://assets.st-note.com/img/1711490438344-ncVOWSZPyC.jpg?width=800)
蓬莱橋(ほうらいばし)
次に向かったのが、蓬莱橋です。世界一長い木造歩道橋として、1997年にギネスブックに認定されています。
自転車で走ってみて感じたのが、川幅の広さ。周辺に大きな建物もあまりないので、空が広く感じます。全速力で走ってみたり、漕ぐのをやめて風を感じたり。
子どもの頃に川沿いを全力で漕いだことを思い出しました。
8974茶屋(やくなしちゃや)
電動自転車で漕ぐこと20分。やっと辿り着きました。蓬莱橋を渡る前に、喉が渇いて立ち寄ったのが、8974茶屋。蓬莱橋の前にあります。中では、島田で栽培されたお茶や地元のお土産を販売しています。
![](https://assets.st-note.com/img/1711490856606-k452UTgWrq.png?width=800)
汗をかいた後だったので、冷たい煎茶をいただきました。朝から時間をかけて水で抽出されたお茶だそう。さわやかで、甘みの強い煎茶でした。
![](https://assets.st-note.com/img/1711490871917-YmAWVaFC3k.png?width=800)
蓬莱橋
![](https://assets.st-note.com/img/1711490984647-rwusAa2GuJ.png?width=800)
蓬莱橋の全長897.4m。幅は2.4mと狭く、左右の柵の高さが低い。だからか、端から落ちてしまいそうで怖かったです。自転車で通ることも可能ですよと言われたのですが、歩いて渡りました。
![](https://assets.st-note.com/img/1711491014633-GLdk6az1P4.png?width=800)
蓬莱橋の先には、牧之原台地というお茶の一大生産地があります。実は蓬莱橋は、もともと茶畑を開拓するために架けられました。
静岡は徳川家のお膝元。江戸幕府が幕を閉じたことで、多くの人が職を失いました。川越人足の人たちも同様でした。そこで彼らは、新たな仕事としてお茶栽培を始めること。牧之原台地の開墾に着手し、そこでお茶作りを開始したのです。しかし当時は大井川に橋がなく不便でした。そこで蓬莱橋が架けられたのです。お茶栽培のための橋だったのでした。
今回は、静岡でお茶栽培が盛んになったきっかけになった場所を巡る旅。
全速力で自転車を漕いだので、筋肉痛になりました。でも、自転車だったからこそ、大井川の広さや景色を身体で感じることができた1日でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?