「分からないことが分からない」の先に待つもの

下記の記事の続きです。

皆さんはどのような学生生活でしたか?
部活に明け暮れた学生生活、バイトしかしなかった学生生活、恋人が欲しかった学生生活、はたまた学生生活とは???みたいな方も。人それぞれ色々あるはずです。
その中でも皆さんが共通して経験したことは「授業を受ける」こと。先生が黒板の前に立って教科書に沿って事細かに内容を説明する。書いてあることしか話さない先生も居るでしょうし、含みを持たせて分かりやすく説明する先生など、ここも色々な先生が居たはずです。授業を受ければ当然テストがあります。テストの時期が近づけばテスト勉強もしないといけません。

ただ、勉強方法について授業では教わりません。
せっかく買ってもらったノートが全て埋まる経験が無い、教科書にマーカーだけ付けて満足する、付箋だらけの教科書、など多くの方が「あ…それやったわ……」と感じるかと思います。もちろん当方もそうでした。なぜ学校は授業をしたとしても勉強方法について教えないのでしょうか。
そこまでやってしまうと先生(教師)がキャパオーバーになってしまう。ここが1番の理由でしょう。
学習能力は多種多様。偏差値は生徒によって変化しますし、人間特有である性格の多様化から全く同じの人間、いわゆるクローンは現実にまだ存在しません。個々の学習能力に合わせた勉強方法を指導しなければ意味を成さないため、個々へ指導する必要がある。疑問なんか溢れるほど出てきますから、数分で終わることは無いと言っても良いでしょう。結局は時間の問題が大きい。だからこそ個別指導塾なるものが増えつつあるのかなと思います。

ここまで読んで分かった方も居るかと思いますが、「分からないことが分からない」ことが解決した先に待っているものは、「実際は理解してないにも関わらず分かった気になる」こと
競馬に置き換えても同じことが言えるでしょう。様々な競馬に関する本、ネット記事などを読んで理解した気にはなるものの、ある程度の時間が経てば何も反映出来てないことなんてザラにあります。
人間は目で見たものを一先ず本当のことだと置き換えて理解しようとする特性があり、本や記事、テレビやYouTubeも含め、それは「目で見たもの」というだけで「理解した」とは言えない。結局は「分かった気にさせる」だけ。「理解する」ためには自らが自分の力で調べる必要があり、それをやらない限りは「目で見たもの」として脳内に塩漬けされる訳です。

ではどのように勉強すれば良いのか。
思考として考えるのであれば、
①想像を深める
②答えに近いものを複数出す

大きく分けて初めにこの2つを軸として行うことがベターかと思います。

想像力を深めることについては置換が非常に有効です。競馬は馬券愛好家にとって身近なものでは無く、競馬=馬として想像力を働かせることは我々一般人にとっては難しい。それなら皆さんの日常生活になるべく近いものへ置換してみてはいかがでしょう。

ex.
Q.ダートはなぜパワーを必要とするのか?
A.海に行って砂浜を走ってきてください。走れば分かります。

このような置換を使うことで学びは深まります。日常に近いものに置換しながら考えてみると新たな発見があるかもしれません。
答えに近いものを複数出すことに関して、当たり前のことではありますが競馬に正解はありません。○○=ではなく、○○≒(答えに近いもの)として捉えることがとても重要で、そのニアリーイコールは1つに限局されない。
算数であれば1+1=2という答えが出ますが、競馬に正解はありません。正解が複数あるなんてことは当たり前にあるはずなんです。

当たり前のことだから誰も教えない。
当たり前のことだから分かった気になる。
当たり前のことだから調べようとしない。

当たり前のことを当たり前のようにやることは案外大変なことだったりします。
まずはここから改めてみることが必要だと思いますし、当方が競馬のことについて学ぶ際は最もこれを重要視しました。

次回はこれらの考えについて、血統のクロスや配合面も含めて具体的な考え方を書ければと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?