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私が選んだ次のステージ

 3日ぶりの晴れ。雲ひとつない青空だ。春の到来の兆しを感じさせる心地よい風。実家近くの公園のベンチに座り、空を見上げてぼーっとしている。時間を忘れて日向ぼっこをしたい私と帰って部屋の片付けをしないとと思っている私が喧嘩をしている。今日は後者が譲ったようだ。贅沢な時間の使い方だ。

 今年の4月から京都で小学校の先生になる。「小学校の先生になることが怖くなって大学院に行ったのに、結局なるんかい!」と突っ込む心の声が聴こえる。しかし、この2年間があったからこそ、小学校の先生になると決めた自分に少しだけ誇りを持てていると思っている。京都市で小学校の先生になる。これは、私自身が「私はどうしたい」と自身の心に問いかけて、向き合って出した選択である。

 大学院では、今まで私が知っていること、信じてきたものを一度ぶち壊すことから始まった。言い換えると、「学び直し」であり、「アンラーン」だ。これは、人によっては苦痛を伴う場合がある。なぜなら、自分の信じてきたものを真っ向から否定されることによって、自分自身を否定されたと感じたり、自分の過去や価値観と向き合ったりしなければならないからである。

 私が特に苦しかったのは、「人間」は「個人」と「環境」との相互作用の中で形成されていくことについて学んだことである。私の中にある「~すべき」や「~の方がいい」などの価値観や習慣、ルールなど、「私」を形成しているものすべては環境に依存して成り立っていることが分かった。
 確かに、私は、環境に適応して生きることを選んだきた。学校では、先生が喜ぶ子どもになろうと必死だった。家庭では父に褒められる「できる子」を演じた。当時は生きやすかったのだろう。今思うと、誰かからの承認が生きる道標だった。誰かからの承認がある方が安心できた。誰かの承認を得られることが正解を手に入れる条件だと思っていた。

 しかし、大人になると、誰でもなく「私」がどう考えるのかと問われる機会が増える。誰かの言葉ではなく、「あなたの言葉はどこにあるの?」と尋ねられた日から、私は自分の言葉を探すようになった。

 誰を信じたらいいのか、何が正しいのかを知りたかった。正解を教えてほしかった。

 問われるたびに、「自分で考え、答えを出す」ことが必要だ。

 他者からの承認に依存していると、他者(環境)が変わるごとにその他者に認められるように生きなければならない。承認なんて、他者の気分によっても変わるものなのに…(笑) 大学院に行って初めて、「私がどうしたいか」を自分の心の内に問いかけていいと思うようになった。そして、その気持ちに素直になってもいいということを知ったのである。

 大学院で学んだ2年間は、私が依存していた環境をメタ的に見る期間だった。そして、価値観や信念、習慣などの私を形作っているものを一度崩して、「私はどうしたい?」と問いかけながら、一から積み重ねていくことの繰り返しだった。私の言葉、私を信じることの繰り返しだった。これは、自分を支える根っこを太くすることにつながったと思っている。

 私が尊敬するYoutuber、あさぎーにょ氏は、ワクワクとは、「まだ見ぬ不確定な未来に対して、不安や恐れがあったとしても、『自分は好きかも』という未来に対して期待する気持ち」と述べている。2年間分の栄養を吸収した根っこが選んだ京都市と横浜市の教員採用試験を受験するという選択。それは、「住み慣れた土地、見守られた実家を出る」という私の中にある小さく、密かなワクワクをそっと抱きしめた結果だった。誰かからの承認を探す私を一旦落ち着かせ、私のワクワクした気持ちを信じようと決めた。中々踏み出せなかった新たな一歩。私にとっては大きな一歩であった。 

 無事に横浜市と京都市から採用をいただき、京都市で働くと決めた。両親は大賛成ではなかったと思うが、私の決定を認めてくれた。「あなたなら大丈夫」と言ってくれた。

 この2年間、両親に「できない私」をたくさん表現した。「一人暮らしが寂しい」と泣き叫んだり、「嫌!」と両親とは異なる考えを素直に伝えたりした。「私はどうしたいか」にとことん素直になっても、家族は私を見離さなかった。とことん付き合ってくれた。きっと、私の両親は、どんな私であっても受けとめてくれるのではないかと思えた。

 「環境に依存する」と表現すると、悪いように聴こえるかもしれないが、温かく守られ、頼れる環境があると捉えることもできる。私は、家族から多くの愛を受け取った。友達からたくさんの優しさを教えてもらった。それは、今の「私」だったからである。今の「私」だったから知った感情や受けた恩恵がある。環境に依存することを良い悪いの二項対立で測ることはできない。

 でも、もう「承認を求める」私は卒業だ。次は、右や左を見ながら、考え迷いながら、自分の歩き方で歩いていきたい。スキップで行くのか、そろりそろり行くのか、走っていくのか、私が決めていい。これからは「私はどうしたいか」と自分で考えて決めていくことを大切にしたい。

 大学院の区切りをつけて次のステージへ。さあ、今日も問いかける。「私はどうしたい?」と。


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