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【閲覧録20230416-20230515】

【閲覧録20230416-20230515】修士課程5年目の始まり。年数かかるの、博士後期課程ならままあるようですが。長老マスター(実年齢も高い)になってしまった。まあいいや我が道を行くとする。

20230416
『網野善彦著作集 第四巻 荘園・公領の地域展開』(岩波書店 2009)。「美濃国」途中まで。p116「河川の乱流・堤防の不備のため、田地がきわめて不安定だったこの地域の人々の前には、逆にわれわれが想像する以上に、広い世界がひらけていたのではあるまいか。」、この手の想像力を持てるか否かだな。

20230417
『開高健全集 第8巻』(新潮社,1992)了。『夜と陽炎 耳の物語2』(新潮社,1986)。初読。今までの未読を恥じる。1985年刊村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と1987年刊村上春樹『ノルウェイの森』の狭間で、開高新刊に気づかなかったんだろう。岩波文庫で復刊してる(2019年)。

20230418
山本義隆『磁力と重力の発見 1 古代・中世』(みすず書房,2003)始。刊行すぐからずっと読みたいと思っていた本。20年経ってる。2003年は法人設立年で、インディーズレーベルとして音楽CDを作っていた時代だ。世は移り変わるが、物理法則は変わらない。人がそれを発見するかしないかだけ。という話か。

20230419
橋本治『デビッド100コラム』(河出文庫,1991 原本:冬樹社,1985)。習作時代(の期間でも重要作の多い文学者なのだが)の終わりがやってきたという感じ。思いの外、面白い。「35 ニセモノの美学」、p108「オリジナリティーとは、質でも純度でもなく、新しいジャンルを勝手に作ってしまうということでしかないのである。」これは氏が身を以て示したことだね。「42 運命について」、p130「大体、白樺派というのはいいとこのぼっちゃんで、いいとこのぼっちゃんで文学に目覚めるんだったら体が貧弱なのに決ってるから(多分)」これは多分間違い。志賀直哉なんかアスリートだし、いいもの食ってる。「45 村上春樹と喫茶店」、p138「現代文学に出て来るような正統な喫茶店というものは、一九七三年ぐらいでなくなってしまったのだとおもうのだが、(中略)あれは、そういう特殊な辺境文化なのである。」これは結構重要な指摘かもね。「62 小林信彦はどうして難解か」、これは題名が素晴らしい。「65 おまけの経済学」、橋本の実家は杉並区のアイスクリーム屋なのだが、p192「(ちなみに我家は菓子屋でもあった)」そうで、ふと練馬の菓子屋(を開店せざるを得なかった家庭)の子の山下達郎氏が頭に浮かんだ。橋本1948年生、山達1953年生。両者とも東京人気質が色濃く出た作品、作ってないか?

20230420
『内村鑑三全集 3 1894‐1896』(岩波書店,1982)。「JAPAN AND THE JAPANESE」(1894)。「UESUGI YOZAN A FEUDAL LORD」から「NINOMIYA SONTOK.-A Peasant-Saint」。二宮尊徳(1787-1856)。昔、ある人に頼まれて、利尻島の小中学校(廃校多数)の金次郎像の写真撮った。尊徳とは結局何者だったのか。

20230421
前田愛『都市空間のなかの文学』(ちくま学芸文庫,1992 原本:筑摩書房,1982)。「この作品は一九ハ二年十二月十日、筑摩書房より刊行された。」そうで、こちらはまさに同月15日締切の卒業論文を書いていた時期。1981年3月21日、大瀧詠一『A Long Vacation』発売、1982年10月13日、村上春樹『羊をめぐる冒険』刊行。そんな年代感。『都市空間のなかの文学』、その当時手にしても、難しくて途中で投げ出したかも。40年後、日本史学研究室に所属して、初めて手に取って、クリティカルに読み進められていることに驚く。自分で驚いてどうするだが。北海道から定期的に東京行してる今の環境も悪くないね。

20230422
『漱石全集 第十一巻』(岩波書店 1994)始。「明暗」(1917)。月報の河合隼雄文「漱石と女性像」、河合先生が漱石ファンと初めて知った。「何と言っても漱石の作品中に生じる女性像の変遷に魅せられていたのではないか」には深く納得。漱石って恋愛小説家だよね、という理解を自分もしていたりする。

20230423
『柳田國男全集 第四巻』(筑摩書房 1998)了。「日本神話伝説集」「民謡の今と昔」ともに1929年刊。「流行唄と民謡と」、p481「困ることは迅速なる交通機関に由つて、一つ二つの流行唄が遠く弘く運ばれ、大きな領土に君臨してしまふことである。」、「交通機関」は「マスメディア」に置換可能かもね。

20230424
『鉄の時代 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-11』クッツェー,くぼたのぞみ訳(河出書房新社 2008)始。ノーベル文学賞作家であること以前に、クッツェー(J. M. Coetzee, 1930-)その人の存在すら知らなかった。無知。南ア生まれで英国・米国と移住し、博士号を持って今は在豪州。読み応えあり。

20230425
『寺田寅彦全集 第九巻 随筆九 ローマ字の巻(邦字表記)』(岩波書店,1997)始。なぜ原文ローマ字を併記収録しない?という疑問が湧く。折しも「京都が本部「日本ローマ字会」解散 「漢字仮名交じりは非合理」改革唱え100年超」という報道を目にする。同会は梅棹忠夫が会長だった時期もあるらしい。

20230426
永井荷風『荷風全集 第七巻 冷笑 紅茶の後』(岩波書店 1992)。「冷笑」、p65「反抗の思想が停滞の単調を破つて社会を覚醒したり生活を複雑にしたりする其の華々しい生命の続くのは、要するに其の原動力たる圧迫のある間だけだ。」。東京朝日新聞に1909‐1910年にかけて連載。前鏡花、後漱石『門』。

20230427
佐藤信・吉田伸之編『新 体系日本史 6 都市社会史』(山川出版社,2001)。旧仙法志村の利尻町に始まり、現在政令指定都市の五市、中核市一市、ただの市一市に住んだ。国外の大都市だと、ソウル・ローマ・ニューヨークに滞在経験あり。今は在札幌で、都市とは何かを考え続けている。ここは都市なのか?

20230428
『志賀直哉全集 第二巻 大津順吉 范の犯罪』(岩波書店 1999)了。「大津順吉」(1912)。10代で一度読んだはずも記憶なし。p142「十七の時からずーッと教へを聴いて居る角筈のU先生」が内村鑑三だと今ならわかる。厄介な性衝動についても今ならわかる。ので「大津順吉」リアルでリアルに面白かった。

20230429
『谷崎潤一郎全集 第9巻』(中央公論新社,2017)。「永遠の偶像」(1922)。大正モダニズム期のエログロナンセンス感の強い戯曲。当然検閲後にちゃんと上演禁止になっている。後段に「「永遠の偶像」の上映禁止」という文章が収録されているのでこれから読む。検閲と作品とどっちが長生きするか問題。

20230430
マックス・ヴェーバー 大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫 1989改訳)了。一応再読だが、今回も途中で注を読むのを放棄、読んだことになるのか? カバーの要約「営利の追求を敵視するピューリタニズムの経済倫理が~」を理解していればそれでいいんではないか問題。

20230501
『生活学 今和次郎集 第5巻』(ドメス出版 1971)。「働く人の家」>「北海道の労働者の住宅を見る旅」(1947)。旅自体は、1944年8月になされたもの。p324には「鰊漁場の海岸」文が。戦時期の鰊場(漁期終わりの閑散期)を活写した文章を他には知らない。いつか自分の論文で引用・参照するしたい。

20230502
『柳宗悦全集 第八巻 工藝の道』(筑摩書房 1980)。昭和の最初の10年間は柳の生涯における最充実期だったのだろう。1933「私の念願」、p541「高い美の表現を伴はない高い信仰と云ふことはあり得ない。」。宗教哲学者であり、同時に民芸運動の創始者・指導者・実践者であった柳の面目躍如という一文。

20230503
モンテーニュ・関根秀雄訳『随想録(二)』(新潮文庫 1954)。「第四十六章 名前について」、p451「いくらいろいろな野菜がまじつていても、全体はサラダという名の中に含まれる。同様にわたしは、いろいろな名前の考察をしながらいろいろな事柄の寄せ鍋をしてみようと思う。」的な章が続く序盤です。

20230504
『勝海舟(上) 子母澤寛全集 六』(講談社 1973)。1941~1946年にかかれた小説で、勝父の小吉は物語早々で死ぬ。戦後の「父子鷹」「おとこ鷹」は勝親子そ各々が主要人物だが、特に小吉の描写が濃い。「勝海舟」で書き足りなかった、親子の関係性を、特に小吉の個性描写を主眼にしてリライトした感。

20230505
東晃『雪と氷の科学者・中谷宇吉郎』(北海道大学図書刊行会,1997)了。著者「あとがき」、p248「「寅彦は寅彦、宇吉郎は宇吉郎」という観点も必要ではないのだろうか。」、御意。北大理学部での直弟子東氏の書いたものだけあって、自分には未知だった、教育者としての宇吉郎の姿を垣間見られて満足。

20230506
加藤陽子『昭和天皇と戦争の世紀 天皇の歴史8』(講談社学術文庫,2018)。「第三章 内なる戦い」、昭和初期から日中戦争直前くらいまで。この時代について書かれたものを読むと、一般書よりむしろ学術書の方が、胸苦しくなる。結果を知っているだけに、原因を克明精緻ロジカルに展開されるとつらいみたいな感じなのか。p225「この過程で注目すべきことは、元来は軍を政治的な影響力から防衛するため、山県有朋によって設けられた統帥権独立の制度が、満州事変以降、政治体制打破の手段として攻撃的に使用されるようになったことである。」、それな。ちょっと文意の取りにくい引用になってしまうけど、気になる方は全体を読んでもらうということで、p252「国民の多くが、殺人を犯した人間の動機を、次のように代弁した判決を、名判決とみなす感覚でいたことは、記憶にとどめたい。支配階級に反省を促し、大衆を覚醒させ、昭和維新の気運をもりあげるために、支配階級の人間が最も大切にしているはずの「生命」を奪う、このような因果関係が判決の文章に書かれる時代が、たしかに到来していた。」。p277「香椎は、江戸城の無血開城を西郷隆盛と勝海舟がおこなった故事を述べ、昭和維新断行の「詔書」渙発を求めた。」、この手の独りよがりのご都合主義的な歴史解釈、今もときどき見かける気がする。p279「二・二六事件後に、天皇が陸軍に対してとった対応は注目される。」、そして「天皇が繰り返し本庄武官長に語ったといわれる、「朕自ら近衛師団を率いて現地に臨まん」」という言葉が発せられ。天皇がご聖断の下準備をしていたとき、軍人たちは何をしていたんだろうねという話なのかな。

20230507
『旧約聖書 Ⅵ 列王記』池田裕訳(岩波書店,1999)了。『旧約聖書 Ⅴ サムエル記』を読み終えたとき、「解説p301「ヤハウェ自身もサウルを王にしたことを悔いて、責任を感じているのである。」って、ありなのかよw。」と書いたが、列王記解説にその答え合わせのような記述があった、p310「サムエル記では、人間の脆さや繰り返される愚行や悲劇に対し自らの責任を感じて悔いる神の姿が一瞬見られた。それはたとえ一瞬であれ、完全ではない人間にすべてを求めることの無意味さを神が認めたような場面であり、聴き手の心をなんとなくほっとさせるものがあった(本シリーズ『サムエル記』300‐305頁、解説参照)。列王記にはそのような神は出てこない。」、面白いなあ。p311「神への問い掛けを止めないし、決して諦めない――これこそ旧約聖書の人々が後世に名によりも伝えたかったことであると言っても過言ではない。旧約聖書は、この書物にそのような名前をつけた後代の人々の意図とは逆に、「旧く」なろうにもなれないのである。」、とりあえず目を通しているレベルの旧約聖書通読でその故もあって、書き手は何の目的で書き、そして現在も存在する読み手は何を受容しているのか、ちんぷんかんぷんだったのだが、今回の「列王記」の解説はいろいろ納得できる・腑に落ちるもので助かった。

20230508
『高倉新一郎著作集 第3巻 移民と拓殖[一]』(北海道出版企画センター 1996)。「北海道拓殖史」途中。場所請負商人たちの漁場経営展開を「開拓」と呼んではいかんのか、という疑念のつのる読書。「開拓」たらゆうのん、何やねんそれ!? そのへんのことを、健康に長命できたら、いつか書いてみたい。

20230509
『宮本常一著作集 7 ふるさとの生活・日本の村』(未来社,1968)。「ふるさとの生活」了。ざっくり言ってしまうと当然「内地」の話なんだが、北海道関連の記述を拾うと、p141「そういう作物をつくるには、たくさんの肥料がいりましたから、肥料がいちばん多く買われました。」、春鰊漁の勃興の要因。p142「近江日野あたりの人たちも、早くから物を売ってあるきました。これが近江商人のおこりということです。」、場所請負人も多く近江商人出自だが、蝦夷地では「三方よし」やめたんか、という疑問。p151「古着は大阪から北前船がつんで来たもの」、「ドンザ」呼称は全国的なんだが、それはなぜか?

20230510
筒井清忠編『昭和史講義【戦後篇】上』(ちくま新書, 2020)。浜井和史「第4講 復員と引揚げ 戦争終結後の人の国際移動」、高杉洋平「第5講 東京裁判 被告東条英機のケースから」、大石眞「第6講 日本国憲法」、境家史郎「第7講 新憲法と世論の変遷」。勉強になりました(がまだ全然勉強が足りん)。

20230511
『吉田健一著作集 第七巻 英国の近代文学 ひまつぶし』(集英社,1979)。「英国の近代文学」、p94「近代人にとつては全体の秩序といふものがない以上、全体と部分といふのは単に便宜的な名称に過ぎず、我々はどんなことでも兎に角、我々に具体的に理解出来ることから始めなければならない。自明なことといふものはなくて、我々に理解出来たことが次の目標を我々に示し、かうして何か一つの全体をなすものの姿が次第に明確になつて行く。」、p158「恋愛詩は恋愛の表現であるが、我々が幾ら言葉を重ねても、それで恋愛することは出来ない。従つて、宗教詩といふものもある訳であり、近代でもさうであつて、それには先づ信じなければならず、信じる為には近代人でさへも詩とか、表現とかいふことよりももつと素朴な境地に自分を置かなければならない。」「言葉で一切のものを表現することが出来ると考へることと、表現の世界を素朴に実在する一切のものと同じに扱うことの間には距離がある。」

20230512
『梅棹忠夫著作集 第6巻 アジアを見る目』(中央公論社,1989)了。「大宅流文明論の原点」(1981)、p602「それぞれの国の実状をみて、そのよってきたるところの歴史をさぐる。そして、当然のことながら、その国の未来にまでかかわる。これはむつかしい仕事である。現状をみるといっても、現状のなにをみるか。眼前の諸事実のなかから、たしかなもの、意味あるものを的確にえらびだす選別眼が必要である。それは、単なる好奇心や単なる感覚ではできないことである。歴史をみとおすたしかな目をつくるものは、ひろい意味での教養であろう。」、「ひろい意味」とはどういう意味か考えなくちゃね。

20230513
責任編集 弘末雅士・吉澤誠一郎『岩波講座 世界歴史 12 東アジアと東南アジアの近世 15~18世紀』(岩波書店,2022)。岩井茂樹「明朝の中央政治と地域社会」。税金をどう確実に徴収するか、その為の被徴税者のリストをどんなフォーマットで作るか、が全人類永遠不変の課題なわけですね。いやまったく。

20230514
『鶴見俊輔集 6 限界芸術論』(筑摩書房,1991)始。田村義也装幀の単行本『限界芸術論』(勁草書房,1967)を1990年代半ばにみ感銘を受けたのを覚えている。今回約30年ぶりの再読では衝撃を受けている。「芸術の発展」(1960)すごいなあ。柳田国男・柳宗悦・宮沢賢治が一本の線上に論じられている。p3「直接価値的経験とは、労働をとおして食費をかせぐという関節価値的経験の結果えられた「食事をする」という経験である。」、p5「サンタヤナの言葉で言えば、「美とはモノの形にかえられた快楽」」、p7「限界芸術は、非専門的芸術家によってつくられ、非専門的享受者によって享受される。」、p7「職業として芸術家になる道をとおらないで生きる大部分の人間にとって、積極的な仕方で参加する芸術のジャンルは、すべて限界芸術にぞくする。」。「大衆芸術論」、p96「どの歴史の本にも出てこないが、われわれの子供のころの有田ドラッグの影響というのは、恐るべきものだった。」今なら何か?

20230515
司馬遼太郎『街道をゆく 6 沖縄・先島への道』(2008,朝日文庫)了。p200商品経済勃興で「信用というモラルは農民や武士よりも商人のあいだで発達し、剛毅や果断または自律という徳性の、武家社会より商人社会のあいだで、より堅牢に発達した。」。勃興の一因「高価な金肥」の供給を蝦夷地産鰊粕がね。

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