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【閲覧録202302-202303】(20230216-20230315)

20230216
『柳田國男全集 第四巻』(筑摩書房 1998)。「青年と学問」了・「都市と学問」(1929)途中。p206「村には昔から様々の添挊(そへかせぎ)があつた。」。「挊=稼」の字を目にするのは、浪川健治先生本の松前挊以来(勉強が足らん)。農漁村民とっての添挊の重要性は歴史家より民俗学者の方が深く理解しているのかとふと思った。『北海道漁業史』を読んでみても、先生方には細民漁民が添挊で生計を立てているのかもという発想がないとしか思えないんだよね。それで「漁業史」になるのかという。p206「島や海辺の部落でも、山村ほどの零落はまだ見ないが、たつた一つある漁業権を、同じ方法を以て縁も無い資本家に引渡し、住民は普通の日傭取(ひようとり)の地位に甘んじて居る例は多いやうである。」というのもすごい。と同時に実例の脚注などつけないところが民俗学の弱さでもある。で、 添挊≒日傭取なわけだよね。以下、塩出先生本読書の翌日で特に目についた箇所を挙げてみますと。p217「土地の産物を以て外来の製造品を買得る国は、人手の少ない植民地と極(き)まつて居る。」。鰊の〆粕売って内地から日常生活品買ってた蝦夷地・北海道は植民地だね。p243「この種の交易の一方は必ず農産物であつたことは。アキナヒといふ日本語が之を推測せしめる。秋の収穫によつて代りを徴すべく、田植の前後に品物を貸して置くとすれば、以前の商人は年に両度の訪問をしなければならなかつた。」。「農産物」を「海産物」に置き換えればそのまま「仕込み」だし、両度の訪問が面倒なので、松前地に番頭手代を常駐させたのが「場所請負」の一つの有り様なんだろうね。あともう少し。p249「越後伝吉式移民」、とは。同頁「村の労力の方は実際は何とでも都合が付くらしいことは、現在北海の夏場稼ぎに、同じ地方から多くの若者が、群を為して出て行くのを見ても察せられる。」。その移動・移住からの定住が明治以前から存在した、というところで塩出先生本に違和感を覚えた訳です。

20230217
『アデン、アラビア/名誉の戦場 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-10』(河出書房新社 2008)始。ポール・ニザン/小野正嗣訳「アデン、アラビア」了。澤田直解説、p299「パンフレ(pamphlet)と呼ばれるジャンル、つまり風刺的小論文だ」と。確かにストーリー皆無。フランスインテリ文の一典型?

20230219
『寺田寅彦全集 第八巻 随筆八 絵画・映画論』(岩波書店 1997)。1930から33年にかけての文章。登場する事象の何ほどかが、割と身近・知ってるものだったりする。p173「安田講堂」、1925年竣工だそうだ。p176「クルト・ワイル」、『三文オペラ』は1928年作。「グスタフ・マーラーの第五交響曲」は1901-02年作。「満洲から放送のラジオで奉天の女学生の唱歌」、満洲国は1932‐45年。p194「田中絹代」、1907‐77。寅彦は20代半ばの絹代さんをスクリーンで見たわけだ。おいらは主にTVの『前略おふくろ様』1975‐76で知っている。文楽について書かれた「生ける人形」文も興味深い。寅彦の文楽初見。

20230220
永井荷風『荷風全集 第六巻 歓楽 すみだ川』(岩波書店 1992)了。Ⅲの帰朝後1908-10年の雑文集を読む。「「ふらんす物語」の発売禁止」1909、p333「藝術や学問が無くてもロシヤに勝つたと云ふ光栄ある実例によつて、日本は永く日本として残して置く方がよいでせう。人に人柄と云ふものがある通り、国には国柄といふものがあります。」。「文章の調子と色」1910、p403‐404「文章に音楽的調子を持たせることである。」「文章はその中間を行つて、耳に愬へるところの音楽でも、目に愬へるところの絵画でも、併せて用ゐることが出来るものである。」。リズムが決まればまずはそれでOKってことかい?

20230221
季武嘉也編著『日本の近現代 交差する人々と地域』(放送大学教育振興会 2015)了。「13 戦後の生活と文化」有馬学、p199「日本映画黄金時代の頂点は一九五八年とされる。この年、映画人口は十一億二千七百万人に達した。国民一人当たりの平均観覧回数は年一二・三回である。この年、東京タワーが建った。映画の黄金時代にきびすを接して、テレビの時代の足音が聞こえていたのである。」、p201「大都会と地方との落差は大きなものであった。というより、高度成長の入り口では、日本全体が依然として農業社会を脱していなかったのである。」、p205「今日まで続くテレビの時代は、高度成長が創り出した都市文化が地方に均霑していき、都市と農村の文化的差異を解消していく過程であった。」。「15 革新自治体から新自由主義へ」季武嘉也、p235「家業を持たない労働者へ新中間層の場合は、財産は遺せても職業は遺せず、結局後継者は職業を自ら開拓しなければならない。」、おいらも開拓中だな。

小樽行20230218-19:
18日(土)。正午過ぎJR北海道小樽駅着。昼は稲穂「藪半」で群来蕎麦。小樽総合博物館運河館、トピック展は「小樽港 海図を見比べる」。同本館、「アトゥイ 海と奏でるアイヌ文化」。夜は稲穂「ANDIAMO」で伊料理。運河「小樽雪あかりの路25」を流し見。小樽、身近な異境だね。




19日(日)。AM:日本銀行旧小樽支店 金融資料館、「特別展 渋沢栄一にまつわるお金のはなし」。市立小樽文学館、企画展「『伊藤整日記』と近代文学研究者曾根博義の仕事」。PM:1919年創業「アイスクリームパーラー美園」で鍋焼きうどん。タクシーで「にしん御殿 旧青山別邸」。




20230222
『志賀直哉全集 第二巻 大津順吉 范の犯罪』(岩波書店 1999)始。「祖母の為に」から「或る一夜」まで。1911-12年頃の作品。漱石なら「彼岸過迄」。インテリ世界は「神経衰弱」の時代で、日記中で志賀もそれを自認してたはず。今はトランプゲームの一つでしかないが。いつ頃「精神障害」になった?

20230223
『谷崎潤一郎全集 第8巻』(中央公論新社 2017)了。「不幸な母の話」から「アマチュア倶楽部」まで。1920-21年頃の作品。やはり「神経衰弱」がp288に登場する。日露戦後くらいから関東大震災くらいまで、日本文学史上の「神経衰弱とヒステリー」の時代だった側面もあるのではないか。読み進めます。

20230224
マックス・ヴェーバー 大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫 1989改訳)。「第二章 禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理」途中。このあと読む、1950年の今和次郎、2011年の加藤陽子、それぞれのテキストに、ヴェーバーについての言及があり、その影響にビビる日々。

20230225
『生活学 今和次郎集 第5巻』(ドメス出版 1971)始。生活学の提唱>家政学から生活学へ>生活病理、p34「自己の客観力とそして主体性とを強固なものとして、人びとの生活に忠言できる立場を築いていかなければならないはずのものではないか(注1)。」、p39(注1)この点について私はマックス・ウェーバーの研究に傾聴させられている。「われわれの生活様式を、社会機構までをも動かすその源動力は、結局、宗教的力、主体性のうちに含む信仰的力に帰せられる……」というような言葉に(武藤光明『マックス・ウェーバーの人間像』第三章)。」(1950)。和次郎はかなり早い時期の読者と思われ。

20230226
『柳宗悦全集 第八巻 工藝の道』(筑摩書房 1980)。工藝の道>工藝美論の先駆者に就て、p195「(私がラスキンとモリスを熟知するに至つたのは実に最近の事に属する。近時出版された大熊信行氏の好著「社会思想家としてのラスキンとモリス」が、両思想家に対する私の注意を一層新たにせしめた事を、感謝を以て茲に銘記したい)。」。大熊信行の同著は1927年刊。山形・米沢生の大熊は、1921‐1923年まで小樽高商(現・小樽商科大学)の教壇に立ち、小林多喜二や伊藤整を教えたらしい。小林多喜二に「大熊信行先生の「社会思想家としてのラスキンとモリス」」文(1927)あり。共に近々読んでみたい。

20230227
モンテーニュ・関根秀雄訳『随想録(二)』(新潮文庫 1954)始。「第三十一章 人喰人(キャンニバル)について」、関根のコメント、p351「なお、<<この国には全くいかなる取り引きもない。……役人という言葉もなければ統治者という言葉もない。>> 云々の項がほとんど原文通り沙翁の「颱風」に引かれているのは有名なことだが、モンテーニュの影響はこの沙翁一人の上にとどまらず、むしろ当時の多くの英戯曲家に及んでいることが、今では明らかになつている。Marston や Webster において特にいちじるしいと言われている。」。「恋に落ちたシェイクスピア」ならぬ、モンテーニュにはまる沙翁。

20230228
『おとこ鷹 子母澤寛全集 五』(講談社 1973)了。勝小吉・麟太郎親子物の執筆順序は『勝海舟』『父子鷹』『おとこ鷹』だそうだ。二浪生時代に『氷川清話』を、大学生時代に『夢酔独言』を、関西在住時代に『勝海舟』を読み、年金受給開始前年に子母澤の勝親子三部作を読了。まだ読むよ。再読するよ。

20230301
東晃『雪と氷の科学者・中谷宇吉郎』(北海道大学図書刊行会,1997)。『中谷宇吉郎集』全八巻読了で、続けて何を読もうか思案・探書しての一冊。「中谷宇吉郎雪の科学館」設立時のエピソードも。四月、越中加賀越前旅行を企画してたんだが、旅行代金高騰であきらめた。いつ同館にたどり着けるものか。

20230302
加藤陽子『昭和天皇と戦争の世紀 天皇の歴史8』(講談社学術文庫,2018)始。中谷宇吉郎(1900-1962)読書一段落で、次誰か同年代で長いシリーズ読書が可能な人を模索、岡義武(1902-1990)で行こうかと思ったが、著述家ではないけど、昭和天皇(1901‐1989)がおられた。目指せ『昭和天皇実録』読破。

20230303
『旧約聖書 Ⅵ 列王記』池田裕訳(岩波書店,1999)始。おいらでもさすがにダビデとかソロモンとか名前は聞いたことある(いやそれだけではあかんやろ...)。巻末に「ユダとイスラエルの王たちの年表」があって、ソロモン王の統治期間は紀元前970-931年だそうだ。今から約3000年前?どないしましょ感。

20230304
『高倉新一郎著作集 第2巻 北海道史[二]』(北海道出版企画センター 1995)了。「挿絵に拾う北海道史」>「帯広 渡辺家の開墾小屋 ランダー」p503英国人サベージ・ランダーの言葉の引用から、「文明は未開人を悪化するが、未開生活は文明人を善良にするといいたい。」。渡辺勝・カネ夫妻は@晩成社。

20230305
『宮本常一著作集 6 家郷の訓・愛情は子供と共に』(未來社 1970)了。「愛情は子供と共に」(1947)。巻末「萩の花」は1946年に失った「子への手向」の文章。名文。以下引用、「子守歌」p187「世の親たちは他人の子の死を見て心から気の毒に思い、またこれをなぐさめようとするあたたかさをも持ちつつ、それらの力を一つの大きなものにするだけの組織力に欠けている。原因を教養の低さに求め、封建性に求める人たちもあるけれども、直接には生活に追われすぎているのである。」。p211「文化の進展は過去の生活に合理的な解釈を与えかつその不合理なるものの止揚にあるのであって、一切はすぎ去った日が今日および将来への土台となっているものである。と同時に現代は過去の姿を正しく投影する現代でなければならぬ。」「子供の世界」p223「日本の農村史や社会史を研究する学者たちが、過去における農村を苦渋に満ちたもののようにのみ説くのはその残存する記録の面からするためであって、村の中に入ってみれば必ずしもそのようなものばかりではなかった。まして農民小説の多くに見られるような陰惨な風景がけしてすべてではなかった。人はどのような環境にも安住の世界を見出す。外面的に見る生活の苦しさに比して人びとは存外楽天的なのである。そしてそのよって来る所は、多分は子供時代の社会的訓練から来る明るさにも一つの理由があると思う。」。「萩の花」p263「三千夫のみごもったのは昨年一一月のことであったらしい。そのまえに一月ほど北海道を歩いたのであった。その地へ戦災を受けて帰農する町の人たちを連れて行った。」というのは「利尻島見聞」1964にも登場する、宮本悔恨の「実質棄民」開拓団の片棒担ぎの話だよね。「あとがき」p291「今思い出して見ても、明治維新以前を知っている人と、維新を知らない人とは伝承についても人柄についてもずいぶん違っていた。維新以前を生きた人の話は体験を主として語り、ウソが少なかった。維新以後の人には話の中に自分なりの解釈がはいるようになった。/同様の変化が第二次大戦を境に起りつつある。それについてはいくつかの体験がある。しかし体験以外のことでみんなが物をいうようになることが近代化ということであるかもわからない。」。そうそんな近代化の結果(果て?)こうしてtwitter世界が現出するんだね。

20230306
筒井清忠編『昭和史講義 【戦前文化人篇】』(ちくま新書,2019)了。長谷川伸・吉屋信子・林芙美子・藤田嗣治・田河水泡・伊東忠太・山田耕筰・西條八十。特に藤田編は、昨年末「秋田の行事」観て最近山田五郎氏のYouTube 見てで、参考になった。甥に、蘆原英了・芦原義信兄弟って初めて知って吃驚。

20230307
『吉田健一著作集 第六巻 舌鼓ところどころ 英国の文学の横道』(集英社,1978)了。p334「思想が人間を捉へるのではなくて、人間は苦しい時に苦し紛れに思索する。そしてその時得た思想にしがみ付いて、それを自分のものにするのである。それ以外のものは思想の名に値しない。」。だそうだ。すごいね。

20230308
『梅棹忠夫著作集 第6巻 アジアを見る目』(中央公論社 1989)。「東南アジア紀行」、p240「映画については、もうひとつしるしておかねばならないことがある。タイ語で、映画のことを「ナン・ジープン」という。ナンというのは、むかしからあるタイの影絵芝居である。だから、「ナン・ジープン」というのは、「日本の影絵芝居」ということになる。タイに映画をもたらしたのは、じつは日本人だったのだ。/明治三七年、マラヤでゴム園を経営していた渡辺治水というひとが、日本に帰国したとき、ちょうど日露戦争の記録映画が大あたりをとっているのをみて、さっそく機械フィルム一式をかってかえり、その一〇月、バンコクで興行した。これがタイにおける最初の映画興行であった。ひじょうな人気を博して、ついにバンコクに映画館をつくり、皇太子がみにこられたこともあったという。」。今も「ナン・ジープン」ナンだろうか? なにしろ「スペインかぜ」などよりかはよっぽどいいのは確かだね。

20230309
責任編集 弘末雅士・吉澤誠一郎『岩波講座 世界歴史 12 東アジアと東南アジアの近世 15~18世紀』(岩波書店,2022)始。上田信「東ユーラシア圏域の史的展開」、p010「梅棹忠夫が「文明の生態史観」(梅棹,1967)のなかで提起した「理想大陸」としてのユーラシア像(上田,2009)」とあって、びっくり。

20230310
『鶴見俊輔集 5 現代日本思想史』(筑摩書房 1991)。「戦後日本の大衆文化史 一九四五~一九八〇年」始。p244「彼の父親は岡本唐貴(1903-86)といって、プロレタリア文化運動に参加していた絵かきでした。この運動の指導者だった小林多喜二が警察で拷問のために殺されて、その死体が1933年2月20日に自宅に戻されたとき、岡本唐貴は小林の遺骸のそばに座って、デスマスクを作ることをあえてするだけの勇気をもっていた数少ない人の一人でした。長男である白土三平(ペンネームです)はこのとき生後12か月で、その後戦争の重苦しい年月を両親とともに暮しました。」だそうだ。次頁、水木さん登場。

20230311
司馬遼太郎『街道をゆく 5 モンゴル紀行』(2008,朝日文庫)始。記録によれば、初読は1996年10月26日で、司馬本自体初めての体験だったらしい。27年前、まだ在関西で、震災の年に生まれた長女は1歳。1973年の旅で、ソ連領内の記述がかなり長くて、今読むとそれがまた面白い。ロシアという名の難儀さ。

20230312
高松宮宣仁親王『高松宮日記 第四巻』(中央公論社 1996)。1942年2月上旬分。やはり軍事用語のディテール羅列部分は読んでいて何もわからない。とはいえ、戦線が長過ぎやしないか?誰が全体統括しているの?と素人の自分でも不安になる。これは負け戦である、というバイアスが当然入ってはいるが。そんな戦時下にも、宮はご公務をこなしておられる。2月6日19時上野発で、翌7日青森県「大鰐スキー大会」にお出まし。8日弘前スキー大会、9日朝上野着。9・10日戦況を日記に詳述。11日は紀元節だ「賢所参拝、御所拝賀。/〇九〇〇「シンガポール」市街突入。」。80年程前は、突入OKだったということ。

20230313
『網野善彦著作集 第四巻 荘園・公領の地域展開』(岩波書店 2009)始。「Ⅰ 西国の荘園・公領」の「若狭国」「尾張国」まで。やはり網野先生の文章がうまいので「読まらさる(北海道弁)」が内容はほとんど理解できていない。北海道民であることを再確認・再思考するための修行としての読書なのかも。

20230314
『開高健全集 第8巻』(新潮社,1992)。『破れた繭 耳の物語1』(新潮社,1986)。初読。村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が1985年作品。その当時は開高への興味が薄れていて、新作が出たことさえ気付かず、そのまま40年近く経った感じだ。2019年には岩波文庫に所収されている。

20230315
ファインマン, レイトン, サンズ・宮島龍興訳『ファインマン物理学 Ⅳ 電磁波と物性〔増補版〕』(岩波書店 2002)中断。さすがに理解不能でもう無理。ちょっとお休みする。再開未定。次回からは山本義隆『磁力と重力の発見』シリーズ(みすず書房,2003)を読んでいこうかと思う。読み通せるといいな。



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