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『チャリティ・イベント』のこと

年末にやるチャリティ募金の取組み自体は「素晴らしい」です。

テレビはいまだにマス(一般大衆)への影響は絶大だから、広く伝えるという目的や集める募金額をみても凄いなと思います。

が、その反面きな臭さも感じてしまうし、大人の都合も見え隠れしていて…ほかに街角で声を出してやっているものは清らかな善意も感じるが、ちょっと身を削っているように感じ切ないと思ってしまう。
僕が歪んだ見方をしているだけかもしれません、ごめん。

何事も「GIVE&TAKE」は当てはまるものですが、“ いろんな人のいろんな違う思いが畝ってきて負も産まれちゃう ”になっているように思うのは僕の勘違いかもしれませんがw

「GIVE&TAKE」といいますが、
そもそも誰かに手を差し伸べるっていうのは、趣旨は「GIVE」ですね。
その場合の「TAKE」は自己で感じる満足感、それは相手が喜んでくれる姿だったり、「ありがとう」の言葉だったり…それをやった自分へのご褒美「自己満」な気がします。
その経験で自分が嬉しくなったり、もっと優しくなれたり、日頃の罪滅ぼしだったり…結果は自分への満足感で、承認欲求とは違う考え方もあったほうがすっきりするようにも感じる。
そんなことやってどうなんだ?と思考で考えるようならその時点でそれでなにかを得る意識「TAKE」がどこからで沸いているので、辞めるほうが良いと思う。

「GIVE&TAKE」「対価と報酬」の取引とは違う話ですね。

物質的でもなく目に見えないものを得るって、「きれいごと」に感じるかもしれませんが、自分のもっているものを誰かに差し出し救いたい、なにかやらないとってアクションはそもそも「きれい、なこと」ですから、
“ いろんな人のいろんな違う思いが畝ってきて負も産まれちゃう ” にならない、まず自分でできる小さなことでも始めるほうが面倒くさくないし、心も健康になって良さそうだ。

たまに『楽しむことが、支援』としてイベントを企画しています。
その売り上げを募金する。ゲストは楽しんで、主催はやりたいことをして、誰かに募金をする、という「誰も損をしない取組み」をしています。
「GIVE&TAKE」より「GIVE&GIVE」をすると良いことになっているって仕組みが目標でそれは,Pay it forward(自分が受けた善意を他の誰かに渡すことで、善意をその先につないでいくこと)に通じる。

テレビのチャリティ番組は、そんな気持ちを持寄る企画が始まりだったはず。それが大きくなって” いろんな人の何違ういろんな思いが畝ってくる活動で負も産まれる ”になったのかもしれませんね。
でもそのおかげで巨額の募金や話題になるのだから良い作用も沢山ありますが。

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