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アメリカのユーモア THE NEW YORKER 2024/05/13号
![](https://assets.st-note.com/img/1715080639930-wDEAPPt077.jpg)
札束を握るサルバトールムンディ
![](https://assets.st-note.com/img/1715080639909-iCI91fLTME.png?width=800)
「札束をケツポケするOHTANI」(注意・タイトル、世一)
これで鼠が札束を齧っていればバンクシーもどきの芸術作品ともなり
イギリス風の"風刺画"ともなっただろうが
チョイと芸術的に薄さを狙ったところが"CYNICISM(シニシズム)"と思えるのだが如何だろうか。
THE NEW YORKERの狙いと札束を握るサルバトールムンディでは
明らかに狙いは違うものが感じられるのだが…… 。
THE NEW YORKERの表紙画からはプロモーションのニオイがしない。対する、札束を~~からはプロモーションのニオイがプンプンとするのである。
どちらが好きかと問われればシニカルな表現からある種の哲学的なものを感じさせるTHE NEW YORKERの作品となる。
因みにだが、札束の量を数えてから決めるという貴方こそリアリストかもしれないネェ。
了
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