日記_日常に変化があったら新鮮な気持ちになった話
日常生活に全く支障がないレベルで、片方の足首をちょっぴり痛めました。
少し前から日課のお散歩中に足首に違和感。地面を踏みしめるたびにちょっとだけ痛い感じ。
まぁ時間が経てば治るでしょうと思ってたのだけど治らず。
なお、原因はなんとなく特定できているのですが、確実にそれと言いきれるかわからないので割愛。
なかなか痛みがなくならないのと、長く歩くとそれなりに痛い感じがするので、整形外科にお世話になることにしました。
骨に異常がないことは確認できた&重大なことではなさそうだよとお医者さまに言ってもらえたので一安心。でも、しばらくは足首を安静にするようにと、治療に通ってねと言われました。実質日課のお散歩禁止令ということですね。
このお散歩があることを免罪符にお菓子やらをもりもり食べていたのでわりかしショックでした。あと、治療に通うことも、仕方がないけれど時間がとられてしまうなぁという気持ちの方が強かったです(治療頻度はどのくらいですか?と聞いたところ、週3は来てねとのことでした。週3って素人目に、多いなぁというイメージを持っていました)。
そうして、毎日のルーチン(仕事&日課のお散歩)とは異なる生活がはじまったのですが・・・。
なんと驚くべきことに・・・。
めっちゃ新鮮な感じがするー!!!!
いつもとは違う時間に外に出て、いつもとは違う道を歩いて整形外科へ向かう。
はじめての治療方法に目を丸くして、最後には足のマッサージをしてもらうのだけど、マッサージ中にちょっとだけ雑談したりして。
ほんの少しの変化だけれど、これが自分には新鮮で、通うことを億劫に思うどころか、むしろ心が晴れやかに、新しい空気を肺にたくさん取り入れることができたみたいに、気持ちが大変リフレッシュして、仕事にもますます身が入る状態になったのでした。
で、気づいたのですが。
あくまでまったくの持論ですけども、「刺激がない日常はそのうち慣れ=退屈になってしまう」のでは。そして「退屈」は身体と心の「疲れ」につながるのではないのかなと。
よく「変化」がストレスにつながるという話は聞く気がします。転職とか異動とか引っ越しとか、そういった自分の身の回りに起きる変化は、少なからず心に影響を与えることは確かでしょう。
では逆に言えば「変化」がないことでストレスはなくなるのでしょうか?
「ルーチン」を仮に「無刺激・無変化」とすれば、変化のないことで心の安定は守られる=ストレスはたまらないのかもしれないけれど、今度は変化のないことの方がストレスになっていくのではないかと。
なお、私は「刺激」という言葉は、決してとても大きな変化やネガティブよりのことだけを指すだけではなくちょっとした変化やポジティブな変化も含めて使っています。
今までは「変化がないことがストレスを作らない秘訣」的に思っていたので、今回のようなちょっとした変化で心も体も軽くなり、気力もなんだか充実した感じになったのが本当に目からウロコでした。
人は、変化がありすぎても無さ過ぎてもあんまりよくないってことですね。いやぁ、人間として生まれた身ではありながら、難儀なものだなぁと改めて思いました(難儀とは書いてますが、きわめてポジティブ寄りに)。
「ちょうどよい」が一番良いんだけど、自分の日々の生活に慣れすぎてしまうと、人というのはいろいろなものを「さぼる」習性があるように感じているので、ルーチン寄り(変化無し=ラク)の方が恒常化しちゃってあまり良くなかったのだなぁと思った次第です。
いつしか、変化を作ることもさぼってしまっていた、よろしくない。
というわけで、偶然とはいえいつもと違う日常が生まれてくれて気づけたことがあったので、足首のケガもポジティブにとらえて、新しいことが知れてよかったなぁという感じで。
仕事とかしていれば、自分にはどうしようもない外的要因があることももちろん承知しているけれど、それでも自分のテンションやらは自分が一番コントロールしてあげやすい位置にいるのだから、うまぁく自分のことをコントロールして生活していけたらよいなぁと改めて思いましたとさ。
おしまい
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