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リリ唄とのあゆみ

今日も彩花です

先日、4月公演「マドンナ・リリィは微笑み、唄う」の通し稽古を行いました。

結果としては、台本持ってやってるくせに見失うとか、色々問題点はありましたが…
なんとか通しができた、というところでは、ひとつ安心もしましたし、通ったことで芽生えた感情などもありましたので、よかったです。

で、このリリ唄に向けて、年明けからボイトレに行ってるんですね。

詳しくはこれを読んでね。

私、今は日頃から歌ってるわけじゃないから、付け焼き刃になるかもしれないけど、それでも行かないよりマシだって思って。
お世話になってる座・シトラスの主宰、わっさんに甘えまくっています。
わっさんのボイトレってすげえんだよ!!!
自分の癖、無意識なものはもちろんだけど、意識的にそのようにしてきたものに関しても指摘してくれて、どの様にすれば改善できるかを教えてくれる。
人柄も知ってくれてるから、察してくれる。
ありがたいよね…
今日は通し稽古の記録映像を見せながら悩み相談をしてました。

何年やってたって、知らないことばかりで。
これまで感情に身を任せてやってきたことも、悪いものではないけれど、ここから先は技術をもってしないと潰れてしまう。
そんな宝物を、お芝居の面だとこばさん、お歌や発声の面ではわっさんに、いただいてばかり。
いつだって経験値を上げてくれるのは環境だ。
俳優って名乗らなくなってからの方が、自分の色んな意味での生き方について考えているような気がします。

先日SNSには書いたのだけど、あくまで舞台演劇は「芸術」なのだと思います。
舞台上で出されるものは、どんなものでも、大前提美しくあるべきだと、私は思っています。
もちろん不意にあらわれる人間性に惹かれることがあるのは充分わかっている。
けれど、感情の自慰行為をしたいわけじゃない。
自慰行為するなら、突き詰めなければならない。
結局ずっと、自分と舞台との交わり、融合するなにかを、見つめ続けていかなければならないなと感じる日々です。

虚構の世界は、あくまで虚構の世界だから。
突き詰めた嘘は芸術で、優しいものだと思う。
これは舞台に限ったことではないけれど。
別にこれまで雑にやってきたわけではないけれど、大人にならなければならないこともあるよなと、そんなことを思う日々です。

今作に誘ってくれたこばさんは、不思議な人です。
私が「俳優やめます!プロポーズくらい誘ってくれないと出ません!」って豪語した後1番に舞台のオファーをくれましたし
リリ唄に関しても、相当早くから声をかけてくれていました(私の返事は諸事情あって遅かったけど)。
愛してもらっているなあって感じますし、こう感じている人が私以外にもたくさんいるだろうから、こうして長く団体を続けていけるんだろうなって思います。
こういうことって千穐楽後に書くものなのかもしれないけど、書ける時に書かないとさ、次いつ伝えられるか分からないから。

絶対やり遂げたいよ、リリ唄。
だけど、もしかしたら、この文章を公開し終わった数分後に、地球は滅亡するかもしれない。
それは極論かもしれないけど、身近で想像しやすい話でいうと、またパンデミックが起きるかもしれない。
舞台が執り行われることが当たり前でなくなった今、奇跡に間に合うように、お稽古を重ねる日々です。

この作品は、どこまでも「演劇作品」です。
作品の概要として「自殺」という単語が出てくるから、少し抵抗がある方もいるかもしれない。
その心に嘘はつかないでほしい。
ただ、私が伝えたいこととしては、この時代だからこそ、今作が必要なのではないかと考えます。
演劇作品は「主張」だと思うから、もちろん自分がやりたいっていう欲を否定したいわけではないけれど。
かつて社会風刺としても扱われていた演劇というコンテンツは、どこまでいっても社会の中にあると思うからこそ。
痛い、痛いかもしれないけど。
きっとこの本が伝えたいのは、痛さだけじゃない。

だって
こんなに愛しいもの

自分の思想や感情が信じられなくなる時もあるけれど
この心は本物だと信じて
私は、この人間ドラマを、貴方に観てほしいと、そう思っている。


彩花

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