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何者にもなれなかった私は、命を「書くこと」につかうと決めた

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(運営:ライターギルド blanks

私は何者にもなれなかった。でも、言葉の力を信じている。

だから、

「書くこと」に命をつかうと決めた。

他人の感情に敏感で繊細な、感受性が豊かすぎる人間として生を受けてしまったのが運の尽きだった。「HSP」なんて概念が浸透して、生きづらさに名前がついたようで救われた。HSP気質は自己と他者との境界線が脆いらしく、他人の痛みも自分の痛みと受け止めてしまう盛大なバグが生じているらしい。

複雑な生育環境や周りとうまく馴染めなかった学生時代も相まって、「この世のすべての不幸は自分のせいだ」と考えるなんともおこがましい思考回路が染みついた。

悲しい事件を扱ったニュースには「どうして助けられなかったんだろう」とその選択をとらざるを得なかった背景を想像してひとり、勝手にさめざめと泣く。遠い国でもなんでもなく私たちの日常と地続きのすぐ近くで起こってしまった事実に、いつも胸が痛くなる。こんな世界で生きていたくないとずっと思っていた。

物心ついた時から、せっかく親からもらったこの命は誰か人のためにつかいたいと思っていた。小学校の卒業文集は、将来の夢を「お花屋さん」「ケーキ屋さん」と書く同級生に混じって「国連で働きたい」と書いたし、社会の不条理の根底には政治があると思って大学では政治や社会学を専攻した。でも、結局何をしたらいいかわからなくて、一般企業に入社した。

自己肯定感が極端に低く、「自分がどう生きたいか」より親や世間の期待に応えつづけてきた私は、30歳を目前にしたある日心と体がバラバラになった。ああ、やっぱり私は、“何者か”になんかなれなかったんだ。会社を辞めてなんの肩書きもなくなった自分に価値があるなんて、信じられなかった。

他者の痛みには敏感なくせに、限界まで全力疾走して壁にぶつからないと自分の痛みに気づけないなんて、自分が不憫でしかたない。結婚や妊娠、出産と人生を左右する重要な選択に迫られるアラサーという妙齢に、私以外の人間はみんな揃って幸せで何の苦労もしていないように見えたし、一人だけ毎日を無駄に生きているような気がして絶望して泣いた。

人より秀でた取り柄なんてほとんどないけれど、昔から書いた文章だけはよく褒められてきた。少しずつnoteにエッセイのような日記のような文章を綴り始めたら、会ったこともない人から「共感して涙が出た」「明日からも頑張ろうと思えた」と言ってもらって舞い上がった。

「書いてくれてありがとう」とお礼まで言われたけど、礼を言うのはこちらのほうだと思った。毒にも薬にならないと思っていた私が紡ぐ言葉は、そして私が経験したすべての不幸もちいさな幸せも、どこかの誰かの役に立つらしいとわかって救われた。

言葉の力を、もっと信じてみてもいいのかもしれない。

私が紡いだ言葉で、今も世界の片隅で絶望する誰かに「もうちょっとだけ生きてみてもいっか」って思ってもらえたら。

そんなことに人生の時間をつかえたら、最高だ。

人は選択肢や手段を知らないだけで、いくらでも、どこまででも絶望できる生き物だと思う。反対に、自分が思っているよりずっと世界は広くて、もっと自由に生きていいんだと知ったら、灰色の人生にも一気に彩りが戻るものだ。一人の人間が一生のなかで見られる景色、出会える人は少ない。じゃあ、「あなたと同じように苦しんでる人はいるよ、ひとりじゃないんだよ」ってこと、「何者かになろうとしなくていいんだよ」ってこと、誰が教えてくれる?

これまで恥だと思ってひた隠しにしてきた私の挫折や痛みを言葉にしていくことが、そして生きづらさの解消につながる文章を届けることが、私の「使命」なのかもしれない。そう思った。

ライターを生業にした今思うのは、ライターは「黒子」だということ。当たり前だけど主役は私じゃない。

それでも、信じたい。そこに置かれた言葉は、「他の誰か」では生み出せなかったんだ、と。

誰に、なんの話を聞くのか。どんな質問を投げかけるのか。
どの言葉を選び、そして選ばないか。

それは他の誰でもない、「私」という一人の人間のフィルターを通して生まれたものだ。どう生きてきたかが、どうしたって言葉ににじみ出てしまう。ライターって、そんな職業なのかもしれない。

そう考えたら、これだけなくなってしまえと願った弱さが、優しさが、愛しく思えてくる。深い傷を負いながら、自分や社会に絶望しながら、それでもこの感受性と優しさを手放さなくてよかった。不器用な私という人間を諦めなくてよかった。

誰もが知る有名な媒体で、今をときめく著名な人物に取材した記事が世に出る。そこに、自分の名前が載る。いまだって、夢を見てるんじゃないかと疑っているし、私にはもったいないようなありがたい仕事だ。

でもそれ以上に心が震えるのは、自分の「使命」が果たせたと感じる瞬間、なのかもしれない。

多様なキャリアを歩んで活躍する人。社会課題の最前線で闘う起業家、その領域の専門家の方。そのたびに、心が震えるような宝物みたいな言葉をたくさんもらった。

記事を書きながら、私が一番救われていたんじゃないかとさえ思う。

『自分が何かしたいと思った時、迷わず選択ができる自分でいたい』――。その自由さえあれば、私らしく生きられる

キャリアや生き方の選択肢は、人の数ほどあると知った。人生に無駄なことなんてひとつもないんだとも思った。

今の世の中って大切なものが多ければ多いほど生きづらく感じませんか?それでも私は少ないほうが生きやすいからといって手放さず、一つひとつぎゅっと手綱を握って大切なものとして持っていたい

自分よりもっとずっと若い世代で、社会を変えるために闘っている人がいることを知った。もしかしたら、社会に絶望するのは早いのかもしれない。そう思えた。

今、社会で誰かが何かに困っている、辛い思いをしているっていうのは、言い換えるとその困難を起点に社会が一歩前進するチャンス。本当は社会側に困難を解決する責任があるのに、今は個人側に困難を「あなたの自己責任だよ」と押し付けている

「障害は人ではなく社会にある」とわかった。憎むべきは人ではなく、社会の構造だと確信した。


これは私がもらった“宝物”の、ほんの一部。

社会は、そう簡単に変わらない。

今日も私は何者にもなれなくて、弱い人間のままだ。


それでも。


共に泣き、怒ってくれる人がいる。共に闘う人がいる。その生きづらさも、社会の不条理への憤りも。ひとりで抱えなくていいし、ひとりで闘わなくていい。


そう思いながら、今日も筆をとる。

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