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ゼロから1へ。

意欲がゼロになる経験をしてから、意欲というのは神様からのギフトだったのだなと感じるようになりました。

自分の中の願望が空っぽな状態というのは、物凄い空虚感です。この生にしがみつく理由もなくて、何にも意欲や興味が湧かない。生きることにも無関心、恐れさえ感じない、本当に無の状態というのを、短い期間ですが、経験しました。

でも、私には「これじゃあ、いけない‼️やばい‼️」と危険を察知する思考が働いてくれました。このままだと、人生が転落してしまう気がして、そこで私がしたことは、一生懸命祈ること。「私に、また、生きる意欲を戻してください。」と。

そんな風に、1日1〜2回、気付いた時に祈って(念じて?)、3日位経った時に、いつの間にか「意欲」が戻ってきていることに気が付きました。ホー、良かった。

当たり前のようにあると思っていた意欲、何をするにも起点となる意欲、これがゼロになった経験から、今はちょっとしたことでも、自分の中に意欲や興味を感じると、嬉しくなるのです。これは、今までの自分には無かった感覚です。「あ‼︎今、私は○○したいって思っているな。意欲を感じれて、良かった。」と、俯瞰して安心している自分がいる。

「ネットフリクスで何のドラマを見ようかな〜❓」
「子どもに何のお弁当を作って喜ばせよう❓」
「仕事で、もうちょっとスキルアップのために勉強したいな。」

こんな日常の些細なことでさえ、根底には意欲や興味関心が湧くという大前提の上で成り立っていたのだと気付いたら、それは、大切な神様からのギフトだったのだと感じました。意欲は「生きる」に繋がることだから。

そう考えると、自分の意欲、興味関心と共に、自分以外の人の意欲や興味関心も、とても大切にしなければならないなと感じています。

さぁ、休日の朝に、私がしたい、というかしなければならないことは、まずは子ども達の靴洗いです😵。これから外で4足、洗ってきます。。これも、意欲‼️

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