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給食は無敵

合コンみたいなものは参加したことがないけれど、知らない人と話すのは好きなほうだ。
旅の宿ではいつだって、さっきまで顔も名前も知らなかった人と盛り上がる。

私が一人旅を始めたのは15歳のときで、知り合う人はほとんどが大学生や社会人の年上の人だから、みんな気を遣ってくれる。
家庭では、ひたすら気を遣って家族の調整役に徹していたから、この「年下ということで無条件に可愛がられる」という状態は、私をかなり気分良くさせた。

私が知らない人は、私のことも知らないのだという当たり前のことが、実感と快感をともなって私の脳に刻まれた。
生きてきた経緯も、置かれた環境も、私の背景を何も知らない相手と話をする。
私も相手のそれを知らない。
相手が何に傷つくのかわからない。
何を話せばいいのかわからない。
でも、そこから共通の話題を見つけたとき、一気に盛り上がれる。

バルセロナ五輪で水泳の岩崎選手が14歳で金メダルを取ったのを、私はボルドーで見た。
乗り換えで降りた駅前のカフェのテレビで。
それで、ニュースだったのかライブ中継だったのかわからないけれど、彼女がインタビューで「いままで生きてた中で一番幸せ」と言ったのを、「おっ、日本語!」と思ったのだ。
テレビ画面には、フランス語の字幕がついていたんじゃないかと思うけれど、それは覚えていない。

このとき、私が思ったのは、どんなに若い人にも過去があり、その人が歩んできた歴史があるんだなということ。
懐古は、年寄りの特権じゃない。
10歳の小学生だって、幼稚園時代を懐かしむのだ。

だから。
給食のメニューの話は盛り上がる。
共有できることと、その差を面白がれる。
そして、その差は、単に地域や時代だけの問題ではなく、さらに個人の貧富の差に関わらない。
私は、給食費(当時は現金を学校指定の茶色い封筒に入れて担任に提出した)の納期が遅れたことがあったけれど(父が持ち出してギャンブルに使った)、だからといって給食を提供されなかったことはない。

同じ学年でも、地域によってメニューは違うし、地域が同じでもまた差がある。
だからといって個人としての何かが優れているわけでもないし、劣っているという話にもならない。
そこがいい。

私の時代、給食でソフト麺は出たけれど、ご飯は一度もない。
人気の揚げパンの頻度は、ソフト麺ほど多くない。
給食以外で、食パンをトーストしないで食べることは滅多になかった。

パン2枚は結構苦痛だった。
よく、1枚は持って帰って、家でトーストして食べた。
四角いちっちゃなマーガリンは、2枚を満たすのには量が少ないし、温かくないパンには塗りにくい。
マーガリンだってバターだって、ときにチーズだって、パンの熱で溶けかかっているのが美味しいのに。

冬、教室にはコークスを燃やすストーブがあって、前の席の子は、食パンをこっそりと上に乗せて焼いていた。
あれは羨ましかった。
加湿のためにストーブの上に置かれたお湯の入ったアルミの容器(鍋でもない桶とも呼べないボウル的な)に牛乳瓶を入れて温めている子もいた。
でも、前の席の子だけで不公平とか、順番にしようとか、担任が「そういうのは禁止」とかいう話は少しも出なかった。
なんだか、子供も寛容だったよな。

大学4年のときに教育実習で食べた給食は、もう2日に1度はご飯だった。
でも、水加減がいまいちで、べちゃっとしたもち米ふうで、正直私は美味しいとは思わなかった。
でも、生徒たちは、パンよりご飯の日を喜んでいるように見えた。
牛乳は、瓶ではなくテトラパックだった。
でも、ご飯に牛乳って・・・。
まあ、世の中には牛乳粥もあるけれども。

そのとき、生徒たちとも、「先生の時代の給食の話」で盛り上がった記憶がある。
たとえそれが失敗談につながっていようとも。
いやむしろ、牛乳瓶のふたを開け損ねて、指が瓶に突っ込んでべちゃべちゃになった話とか、嫌いなおかずをこっそり持参のビニール袋に入れて食べ終わったふりをして5時間目を受けた話とか、ダメダメな経験も笑い話になる。
そして、人はダメダメ話を共有すると、とたんに親しさが増すのである。

ということで、給食の話は無敵だ。
知らない人との集まりで、盛り上がりたいけど何をとっかかりにしていいかわからなかったときは、とりあえず話題になっている食べ物についての世間話から、さりげなく給食にもっていくと、最低限の共通の土壌は得られる。
で、最初から話に入っていなかった人も、「なに?なに?私のころはねぇ・・・」とくちばしを突っ込みやすい。

今日の夕食は、一昨日作ったカレーをうどんにかけて「ソフト麺」として食べた。
夫は、つゆなしのうどんを認めず、通常の「かけうどん」にカレーを入れた「カレーうどん」なら許した。
それだと、そもそもつゆを作らねばならない。
一人になったいまは、堂々とつゆのない、ただカレーをかけただけのうどんが食べられる。
これもまた私にとって自由の象徴なのである。

※写真のネコはつくりもの


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