記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

勝手につぶやき<光る君へ(第18回)>

★罪と赦し

道兼が死んだ。
些細なことでキレたり、公任の屋敷で飲んだくれていた道兼は、まるで憑き物が落ちたように真っ当なまつりごとに励もうとする。
人はこんなふうに変わることができるんだという救いにも見える。

彼が変われたのは、己の犯した罪を自覚したことゆえか。
更生とか改心とかいう道徳の教科書に出てきそうな四角四面な言葉では表せない「人間」を描いたのがこの役どころだったのだろう。
玉置さんは見事に演じていたし、道長の「兄上ならよきまつりごとができましょう」という言葉から、もし道兼が死なずにいたらどんな世の中になったのかという想像を視聴者に共有させる脚本に唸る。

道兼の死因は、この物語では疫病ということなのか。
けして仲の良い兄弟ではなかったけれど、病床の道兼は疫病がうつることを案じて「近づくな」と道長に叫ぶ。
そして、いったんはそれにしたがった道長も、こらえきれずに兄に駆け寄り、死にゆく体を抱きしめる。
道長は、やたら、病気の人や遺体を抱きしめる場面があるよなぁ。

当初は、狂気をはらんだ悪役だった道兼が、最期は浄土を思って念仏を唱える。
そして、唱えながらも自分で「それは無理よなぁ」と思っていて笑うしかないという場面がいい。
もっと後の時代だけど「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」というのを思い出してしまった。
父の兼家が、渡れなかった浄土への橋を、道兼は渡れたのか。
その条件ってなんだろう?
などと想像を広げながらドラマ世界に魅入るのは、制作者の意図にまんまとはまっているのだろう。

道兼の死を知って、まひろは琵琶を弾く。
母の形見の琵琶である。
その母を殺めたのは道兼なのだ。
「敵とはいえ、これで良かったとは思えぬ」と父の為時は言う。
憎しみを昇華するのは哀れみなのだろうか。

憎んでいるほうだってつらいのだ。
誰かを恨んで生きるには、エネルギーも使うしストレスも溜まる。
まひろは、自分の憎しみも昇華されることを願って弦を弾く。

道兼は、「父上をもう恨んでいない」と言っていたが、恨みや憎しみを手離すことが、浄土への橋を渡るチケットなのかもしれないと思った。


★人望

妹にさえ「人望がない」と言われてしまう伊周。
宴会に招いて酒をおごればいいってもんじゃないよ、と私は思う。
しかもこの宴会、伊周は自分が関白になる前提で発言している。
私なら、なおさら「こやつになってほしくない」と感じると思うが、公任は飲み会の後「それでもややマシになってきた」と言っていた。
え?
(このドラマにおいての)公任に対する私の評価は、だだ下がりである。


★父親似1

兼家の子供たちの中で一番父親に似ているのは、女院となった詮子だろう。
息子を思う懸命な説得の中に、家(自分)の権力への固執や、夫が関白に操られたことへのリベンジ感が滲む。
すると、その必死さの何分の一かは計算された演技ではないのかなどとも感じ、兼家のしたたかさを彷彿とさせる。
兼家が詮子の中に生きている。
「母は自分のことなどどうでもよいのです」
いやいや、そうじゃないでしょう。

結果として、帝は道長に内覧宣旨を出すのだが、母に詰め寄られた際の最初と最後を「朕は伊周を関白に決めております」という同じセリフの繰り返しで、徐々に募る逡巡と葛藤を描いていったのが印象的だった。


★父親似2

関白になれなかったことに激怒した伊周は、妹の定子のもとに乗り込む。
そして、父の道隆と同じように定子をなじる。
その狂気を帯びた執着は、父親とそっくりだ。
「御子を産め」という言葉は、もはや「呪い」である。

帝を抱きしめた定子の指にこめられたのは、愛だけに身をゆだねたいのにそれが叶わないせつなさなのか。
あるいは、自分を取り巻く呪いから逃れようとする身悶えなのか。


★昔の己

この物語では、まひろの意思に添うことが道長の権力の動機というように描かれている。
しかし、いつもの廃屋で彼と再会したまひろは心の中で「昔の己に会いに来たのね」とつぶやく。
抱き合ったのは、もう過去のことで「いま語る言葉は何もない」。
しかし、昔の己がいなかったらいまの自分もない。
ふたりともそのことを肯定しているのが、無言のすれ違いシーンだと思った。
そして、これは「愛」であると。
抱き合ったときは「恋」で、いまは「愛」なのだと。
私にとって、恋は「感情」だが、愛は「意志」である。


★その他

● 肥前のお土産に宣孝がまひろに「紅」をくれるシーンで、結婚前に元夫から口紅をもらったのを思い出した。
男性が口紅を選ぶときって、やっぱり相手の女性を思い浮かべてだよね。

● いつもながら弟の惟規との姉弟関係が大好き。
別れを告げにきて泣いていたさわが
「昔は私、お慕いしておりましたけれど、いまはもうやめました。」
昔はファンだったけど、いまはもうどっちでもいいみたいなあっさりした感じに共感。

● 「これは試験に出ませんでした」は、惟規ファンにとって今日の必殺ワード。

全体として、劇伴の音楽が少なくて、私の好むところだった。
音楽は大事だけれど、見ているほうの感情がそれで盛り上がるか引くかはシーンやタイミングによる。
最近の民放ドラマは、音楽が多すぎてちょっと疲れる。
劇伴で視聴者の心を誘導しているようなのが察せられると、私は逆に醒めてしまう。
脚本家や演出家に、視聴者の感じ方に任せるような自信がないのかな、と。

今日は、心の調子がいまいちだった。
体調が悪かったからなのか、逆なのか、鶏が先か卵が先かみたいな感じ。
休みがあと1日になったからかもしれない。



この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

読んでいただきありがとうございますm(__)m