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サンデー関連与太考察メモ日記2【崩壊:スターレイル】

はじめに

 2.2開拓クエスト終了後、「兄妹は長い別れ("eternal separation")を迎えた」というエンディングがあったり、ロビンの隠しクエストでは血のついたノートを拾ったりなど、サンデーの生死も定かではないように思えてしまう。ただ個人的にはサンデーは生きていると考える。この与太考察日記では、①サンデーが生きている根拠、②書物『レイヴンズ・デス』と星核ハンター加入説、③宮沢賢治作品とサンデーの(こじつけ)関連性について書き留めておきたい。


サンデーの生存の確証

 サブクエスト「迷える城での追求」では、NPCのエミルが「サンデーは逮捕された」と語る。英語版では"Sunday has indeed been caught"とあり、わざわざ強調しているあたり信頼してもいいのではないかと思う。本当に死んでいるなら、逮捕された=生きているという情報をプレイヤーに渡す必要もないのだし。
 であればなぜ妹のロビンにはその事実を頑なに教えてやらないのかと思うが、おそらくは、ファミリーに関わっていた(所属というテキストもある)が、あくまでもゲストの身分だったロビンに、センシティブな内情を伝えることをハウンド家が憚ったためではないか。
 あるいは。
 紀行PVなどからわかる通り、ロビンの周囲にはマスコミが付き纏い、あることないこと記事にしてきた。それが彼女を煩わせていたことをサンデーも知っているだろう。夢境から覚醒して捕らえられた際に、サンデーが、ロビンには自分が生きて捕らわれているという事実を伝えず(大々的に報道もせず)、行方不明という体にしてくれるようハウンド家に頼んでいたらどうだろう。「犯罪者」の頼みなど聞く義理はないのかもしれないが、ファミリーにとってもトップのサンデーが「裏切った」というのは醜聞だし、ロビンの名誉を考えれば理に適ったこととして受け入れている可能性はある。
 大劇場のNPCたちはサンデーが「裏切り者」だと認識しているようだが、ロビンはハウンド家の護衛の元に行動を制限されていることを踏まえれば、彼女に対する情報統制はきちんとなされているといえるだろう。朝露の館や黄金の刻の人々に話しかけても、それといった異変を示唆するセリフはなさそうだった。
 ついでにいえば、例のノートの血などもDNA鑑定してないからサンデーの血であるとも限らない。偽装でインクつけただけかもしれないし……。
 なお、逮捕であれば実装も可能だろう。たとえば丹恒ははじめ幽囚獄に捕らわれており、羅浮を追放される形で「自由になって」いる。カフカはストーリー中で羅浮に捕らわれ窮観の陣による尋問を受けたが、自力で脱走している。列車組も毎度のごとく捕らわれては脱走しているらしいし。サンデーの逮捕からの実装ルートとしては何通りか考えられるが……。

・裁判で名誉挽回
 どのみち「秩序」の力は絶たれているだろうし、彼の人々を想う心に嘘偽りはないので。しかも、おそらくサンデーの行動で死んだ人間はいない。民を想ったが故ということで、ピノコニー転覆罪をリカバーできるか?
・司法取引(!)
 まだ潜んでいるという「秩序」の残党や、実は行方がよくわからなくなっている「夢の主」の捜査に協力して減刑してもらう。この場合でも罪人という烙印は消えないので、ロビンとの「長い別れ」にはなるだろうが。
・亡命しアングラ派閥に加入
 巡海レンジャー、星核ハンター等。動機がないけれども。

 ロビンの隠しクエストでは散々不穏を読まされるが、アチーブでちょっと安心した。ちょっと。「落ちた彼の羽」。我々が拾ったのは羽であって翼ではないんだ。翼は大丈夫なんだ。いいね?
 ロビンを引いたのでメッセージが送られてくる。今日は翼を折った小鳥を拾ったというメッセージ。彼女は小鳥の回復を見て子供時代の後悔にピリオドを打てたといい、前向きに世話を続けるという。これは翼が折れたとしても再び空に帰る暗示のはず。

書物『レイヴンズ・デス』

 ドリームリーフの片隅__本当の隙間に落ちていた書物『レイヴンズ・デス(Death of the Crow)』。書名だけ見ればおそろしいものだが、中身を読むと印象が変わる。

ここにあるのでぜひ拾ってほしい

 以下に全文繋げたものを載せる。

 書物の説明には以下のように書かれている。

とある謎の詩。あるいは不可解な招待状
A bizarre and incomprehensible poem. Or perhaps, some kind of mysterious invitation.

日本語版/英語版

本文の解釈

 本文はエドガー・アラン・ポーの詩『大鴉』のオマージュであるが、読み進めるとサンデーを示唆する詩であるとわかってくる。「瀕死のハト」はハーモニーピジョンの雛であろうし、空に生まれる者と土に埋もれる者の対比は、ちょうどロビンとの問答を思い起こさせる。
 織物を汚す虫は、ピノコニーを出てスウォームに壊滅させられたアークティッド家(「蝶」)の故事だろうか? 翼を折る鳩はハーモニーピジョンで、焼かれるカラスは「夢の主」ゴフェルか、さらに前のオーク家当主ガフェイン(ウッド爺)か。それらを夢に見て、「あなた」__おそらくサンデーは、「美しい夢は私の楽園ではない」と呟く。ちょうど鐸音として人々の苦境を見ていたときのように。
 サンデーに語りかけるカラスは「夢の主」ゴフェルと見ていいだろう。
 「デウムは人々の苦しみを知らない」。サンデーが「調和」に失望しゆく場面だろう。ちなみに彼は星神に対して批判的である。シペが開拓者を一瞥した際には今更になって、という反応であったし、エナについても「秩序」自体を信じ、星神のない人間だけの楽園を作るという願いを持っていた。
 「舞台に上がり、権力を奪い、神々をうかがう」。この節はまさに開拓クエストでサンデーがドミニクスの権能を奪い、一度は戦いを制したのち、列車組ほかの尽力で「美しい夢」が「砕け散」るさまを描いている。

 次節、カラスとサンデーがまだそこ(ピノコニー)に留まっているというのも、上述したサンデーの状況に合致している。カラス=「夢の主」は、ボス戦の前にサンデーの眼前で大量に死んでいるような描写があったが、本当に死んでいるのかはわからない。というかゴフェルって天環族だろうけどなんでカラスとかファミリーメンバーのガワを使って無限残機システムできるんだ。精神体なのか?
 「あなたは自分を愛した神々に捨てられる」。これはエナとシペに見捨てられたことを指すと思しい。シペは開拓者についたし、シペがエナとアキヴィリの代わりに見にきたということを姫子が示唆していたので。

 「そしてあなたの魂は、幼いハトの死体の影から解放される」。
 サンデーがハーモニーピジョンを放したのは、ロビンが旅に出た日だった。ハトは137回目の試みで飛び立ったが、あえなく墜落して彼の腕の中で死んでしまった。この話をした後に、サンデーは開拓者らに向けて、流れ弾を首に受けて瀕死の重傷を負ったロビンの話、そして彼女を応援するべきだったのかとの問いを投げかけている。サンデーがハーモニーピジョンの雛と、ロビンを重ね合わせていることがうかがえる。ちなみにロビン自身は、サンデーについてのボイスで、自分が未だに彼に小さな妹としてみられているのだろうと語っている。
 となれば、「幼いハトの死体の影」は、「妹のロビンを亡くすかもしれない恐怖」「彼女の危険を伴う旅を応援したことへの後悔と迷い」だと解釈できるだろう。これは開拓クエストを通して、サンデーの最大の関心ごとだった。そこから解放されるというのは何を意味するのか。私は、ロビンは一方的に守らねばならない「弱者」ではない、とサンデーが認識することではないかと思う。サンデーはクエスト中に、ロビンやホタルから「弱者救済」に関して反論を受けていた。話し合いは平行線を辿ったが、「開拓」の信念がピノコニー夢境の人々の意志と共鳴し、「秩序」の夢に打ち勝ったことで、彼はロビンたちの言葉、人間の意志を再認識せずにはいられなくなるだろう。

星核ハンター加入説

 最後の節は、サンデーの状況と、未来への誘いをうたっている。古い「秩序」は今度こそ去り、彼の夢である楽園をピノコニーで実現することは、少なくともこの手段ではもはやできない。不本意に枯れかけているともいえるサンデーの「崇高な魂」を嘆くと共に、詩の著者シーセル・シムス(Cecil Simmes)は、彼を招待する。提示するのは「最もリアルな夢」「無限の可能性」「野望の実現」
 将来におけるリターンを提示した招待といえば、思い当たるのがこれ。

カフカ・ストーリー4

 星核ハンターの中心人物、「運命の奴隷」エリオがカフカを勧誘する際の「指名手配書」もとい指示書である。この指名手配書では、動員されるメンバー(もしくは、現地の人物)は死ぬかもしれないが、彼らの求める未来を現実にするというリターンを提示して、カフカ勧誘作戦に勧誘している。
 このストーリーだけではやや無理筋だが、プレイアブルの星核ハンターは皆、エリオに何らかの将来的なリターンを示された上で星核ハンターとなる取引をしているらしい。カフカは「恐怖」を知り自分自身に変化をもたらすこと、サム/ホタルは生命の意義を見つけて「運命」に抗うこと、刃は憎い人の血溜まりを跨いで自らも「終点」に辿り着くこと、銀狼は……銀河をまたにかける楽しみ? など。
 そしてこれらは将来におけるリターンであると同時に、各メンバーに人生の意義を提示しているようなものでもある。理想と夢と手段をすべて覆されたサンデーは、開拓者の返答を受けて目を見開き、ロビンの抱擁で目に光が灯り、人として生きる意思を取り戻したかにみえる(そうであってほしい)。しかし、今後どう生きるのかについては、まったくの白紙状態だと推測される。彼の空白状態に対して、エリオが何らかのアプローチをする可能性がないわけでもない。
 『レイヴンズ・デス』の最後の節が招待だが、その前まではサンデーが辿った物語の「脚本」とも読める。ピノコニー編のエンドロールも、これまで同様にエリオが脚本指導であり、彼はサンデーを知っているはずだ。また、今回ナレーションにおそらく初めてボイスがついていた。下野紘さんだと思われるが、彼がエリオの声優だという可能性は……? あと「もう二度とない/Nevermore」は、ポーの元の詩のセリフであるとともに、サム戦のbgmの名前でもある。
 星核ハンター加入後に実装とかなら時間かかっても仕方ないかと思えるし……。
 もちろん、このサンデー星核ハンター加入説には反論もできる。

反論

①星核ハンターにはサンデーを勧誘するメリットがあるのか?
 サンデーにとっては星核ハンターへの加入が夢の実現に向けた新たな手立てにつながるというメリットがあるが、エリオと星核ハンターにとっては、サンデーを勧誘するメリットがないというもの。
 星核ハンターのメンバーをおさらいしてみる。

 「恐怖」を知らない戦闘巧者、言霊を操るカフカ。
 超火力の果断な溶火騎士サム/ホタル。
 長命不死の身体を武器として戦い続ける刃(エリオは「剣術と不死の身体には重要な用途がある」と考えているらしい)。
 現実世界を改変できる天才ハッカー銀狼。

 以上、一人一人が星を滅ぼす力を持つといわれるメンバーと並べて、(おそらく)元ファミリーの幹部、今や絶えた「秩序」の運命の行人サンデーを加入させたいと思うだろうか。言霊にも似ていた「調和」の洗礼の力は、シペとファミリーを「裏切った」今は使えないかもしれないし。いずれにしても、戦力という意味ではあまり魅力的ではなさそうに見える。あえていうなら天環族のヘイローを通じた思考干渉が有用だろうか(「調和」の洗礼も実は種族特有の能力の可能性はある)。ああ見えて戦えるかもしれないだろ!
 まあでも反論に反論するなら、エリオは未来が見えるので、戦闘以外で何かしらサンデーに価値を見出しているのかもしれない。彼のみぞ知る。

②サンデーには星核ハンターに加入するメリットがあるのか?
 いくら夢の実現が叶うかもしれないといっても、星核ハンターといえばほぼ全宇宙を席巻するカンパニーから指名手配されるお尋ね者集団。もし自分の名も手配書に連なれば、妹のロビンの活動に差し障る、そうサンデーが考えてもおかしくはない。
 これに反論するには原義に立ち返る必要がある。ひとまずは「星核ハンター」の名の通り、各界を蝕む星核を取り除く活動をサンデーが行うのではないかということだ。サンデーとロビンの故郷(ピノコニーか?)と母も星核の災いの被害を受けて潰えたし、大劇場も星核を組み込まれている。これらの経験から、宇宙を巡っては星核を除去し、ちょうどロビンが戦地の惑星でしていたように、その星の人々の苦しみを和らげるようになるという可能性はある。であれば指名手配されないか、されても行為が流布すれば不名誉にはならないかもしれない。
 そもそも星核ハンターが何のために星核を集めているのか言及されたことはあっただろうか。もしかするとサンデーが加入するストーリーとともに、星核ハンターそのものへの掘り下げがあるかもしれない。私としてはサンデーとホタルの、ぎすぎすしない価値観問答をもう少し見てみたい気もする。

③こんなところに置いていてもサンデーに読まれないのでは?
 
本当に隅もいいところに落ちていたので、どうやってサンデー本人に届くのか、そもそもどうやってここに届けたのかわからない。
 ホタルが何かしらの手段で届けるとか。ボス戦後のサンデーがどうにかして夢境で「死んで」ドリームリーフに潜り、この招待状を拾うとかか。が、送り主がエリオならどうにかやりようはあるのでは。この一通しかないとは限らない。

③星核ハンターではない組織からの招待なのでは?
 書かれている内容がプレイヤーでなければ知り得ないような詳しさだということでこれには反論できると思うのだが、一応考えてみる。
・秩序の残党
 まだ他にもいることは示唆されているが、ボスのサンデーにできないことが残党にできるはずがない。
・カンパニー
 資源、手段的には夢の実現もできるかもしれない。大元が存護の派閥だから理念的にももしかしたら通じるかもしれない。だが、カンパニーであればもっと堂々と手紙を出すか、脱獄させるか、カカワーシャのように引き抜くかするだろう。

反論兼別解釈:豊穣の民からの招待説

 豊穣の不老不死がやがて新たな苦しみを生むことは羅浮でじっくり見てきたが、その恩恵を受けた世界は、一見すればまさに理想郷の体現である。また、招待状には「土地」「種」「枯れる」など、植物に関わる描写が多い。

アーカイブ

 薬師はすべての生物の育成者、楽土の神であり、「陽の光」に喩えられている。また、豊穣の民は、土地と水と身体、そして心を癒され、短命を免れて祝福を謳歌している。これはサンデーの目指していた楽園の姿に近いのでは? 夢境と同じく、負の要素を同時に孕むのが欠点ではあるが、豊穣の弊害に見舞われそうな世界において、調整者の役割を果たすとか。
 招待状の内容が詳しすぎるというのが最大の否定材料だが、一つの可能性として。今後は2.4以降一旦羅浮に戻りそうなので、豊穣の側にもスポットを当てるかもしれない。かも。

宮沢賢治作品とサンデーとロビン

 幸福をめぐる問答を見ながら、銀河鉄道の夜みたいだなと思って読み返してみると、こじつけ関連づけられるポイントが散見されたので、メモしておく。なお、この項目については宮沢賢治『新編 銀河鉄道の夜』(新潮文庫、2018年)を参照した。

『双子の星』

 双子の星、チュンセ童子とポウセ童子が主人公の物語。彼らは「星めぐりの」に合わせ、銀の笛を吹くことを役目としている。この二人は賢治とその妹トシの投影であるらしい。

のちの「手紙四」では、チュンセは男の子、ポウセはその妹というように分化し、妹を失ったチュンセは蛙を惨殺したりするようになる

天沢退二郎氏の解説、406頁。

 いかなるあだ名で呼ばれても不機嫌の欠片も見せなかったサンデーが、唯一怒気を顕にするのは、ロビンに関わること。もしも……を考えれば、チュンセにサンデーをあてるのも不可能ではない。

『黄いろのトマト』

 二人だけで歌を歌ったり、植物を育てたりして仲良く平和に暮らしていたペムペルとネリ兄妹は、ある日、風に乗って遠くから聞こえる音色に誘われて街に出る。音の出どころは楽隊の公演だった。落ち着かなさを感じつつ、兄のペムペルは入場代の金の代わりに、彼らの育てた立派な黄色のトマトを摘んできて差し出す。すると大人は激怒し、トマトを兄妹に投げつけた。二人は泣きながら家に帰った__という「かあいそうな」話を、子供の聞き手に、小鳥の剥製が語る物語。
 子供の頃はあんなに和やかだったのに……。

『銀河鉄道の夜』

 本題。これは姫子の光円錐や、そもそもスターレイルというゲーム自体の底本にもなっているのでは?
 孤独な少年ジョバンニと友人カムパネルラはケンタウル祭の夜、夢の中で銀河鉄道に乗って、星々の間を旅するが、実はカムパネルラは溺れるクラスメイトを助けて命を落としていたのだった、という物語。
 この二人の少年について注釈を参照する。
 カムパネルラはユートピア物語『太陽の都』で知られるイタリアの哲学者、トマーゾ・カンパネルラの名から取ったと推測されている。この哲学者の幼名はジョヴァンニ・ドメニコだった。
 ジョバンニはヨハネから派生した名前で、特に宮沢賢治作品では「ある聖人の少年時代の物語」という隠れた意味を持っているという。
 賢治はこの二人の名前をしばしば混同していたようで、先述の幼名も踏まえると、ジョバンニとカムパネルラは双子性を持っているともいえる。
 旅の途中、二人は親切な鳥捕りに出会う。

ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかに隣の鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。(中略)もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸になるなら自分があの光る天の川の河原に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙っていられなくなりました。

227頁

 「ほんとうの幸」はこれ以前にもカムパネルラが口にしていた言葉だが、ジョバンニはここで初めてこの言葉を使う。

その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乗って、風や凍りつく潮水や、烈しい寒さとたたかって、たれかが一生けんめいはたらいている。ぼくはそのひとにほんとうに気の毒でそしてすまないような気がする。ぼくはそのひとのさいわいのためにいったいどうしたらいいのだろう

233頁

 銀河鉄道がゆく(死後の)夢の世界は、狩りも農業も苦労がない。讃美歌や新世界交響楽が流れる。乗客がさそりの話をする。溺れかけるときにこれまで取った命を悔いて「まことのみんなの幸のために」己の体を使うよう神に祈り、自分が「まっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見た」さそりの話。ジョバンニは、カムパネルラが他の乗客の女の子と話しているのに嫉妬し、それに反省しながら、幸について考える。
 終点のサウザンクロスで、ジョバンニは他の客たちを引き止めたがる。

「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなけぁいけないって僕の先生が云ったよ。」

252頁

 しかし死者の乗客たちは降りて天に召されてしまい、車内にはジョバンニとカムパネルラだけが残される。ジョバンニは寂しさを感じつつも、みんなのほんとうの幸を求める決意をする。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」

255頁

僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」

256頁

 しかし、ジョバンニが決意を語って振り返ると、カムパネルラは既にいなかった。ジョバンニは涙を流しながら夢から目覚め、川でカムパネルラが亡くなったことを知る。そして母に買ってきた牛乳と、父が北の漁から帰ってくるという知らせを届けるために家へ駆けていくところで話は終わる。

 ジョバンニは「ほんとうのさいわい」を実現するために、「百年つづけて立って鳥をと」る、「僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」、「大きな暗の中」へ「さがしに行く」という。よくいえば献身的、わるくいえば自己犠牲/自己破壊的だ。この「みんな」がすべての人間に拡大され、手段と規模が絶対的/支配的になったのがサンデー、無私の聖者だろう。「天上よりももっといいとこ」、つまり星神に依拠しない人間のための楽園を作ろうと試みたサンデー。

 最後にジョバンニは夢から覚め、現実の生活へ戻っていく。彼が夢から持ち帰ったものは、悲しみと「さいわい」への決意。おそらく彼は現実と「さいわい」への志の折り合いをつけながら成長していくのだろう。
 「哲学の胎児」だったサンデー。夢から覚めた彼にも、考えるための時間はある。自分を尊び、手の届く人と関わり、健やかな生を生きて、温かい夢を叶えてくれることを望みたい。

余談

・EPを見ましたか? 最後の歌詞とシーンの当て方、これでサンデーが生きてなかったら台無しなので絶対に生きてます。
・天環手羽バーガー見ましたか? あんなの出してサンデー実装しないとかあり得ないので絶対にプレイアブルです。