サンデーとロビン紀行PV与太考察【崩壊:スターレイル】
はじめに
第一に私自身がロビンのキャラクター紹介と紀行PVをどう受け止めたらいいのか整理するためにこれを書いた。個人の想像と憶測を多分に含んでいる。
私は持論として「サンデーはピノコニーの事件の元凶を巻き込んで一度『死ぬ』。イエスがモチーフの一部になっているため、三日後になぞらえて3バージョン後の2.5で実装される」ということを考えている。そのため、蘇るかどうかに関わらずそもそも「死ぬ」こと自体を考えたくないという方はご注意願いたい。
参考までに最近の記事はこれ。リンク先から遡れるようになっている。
本編
1. 「災難」
「災い」「災難」と表現されているが、紀行PVの火花の散る様子や、衝撃音を聞く限り人為的なもの、すなわち戦争だと判断するのが自然だろう。ピノコニーは過去カンパニーの監獄であり、独立戦争を経験しているが、天環族が長命種でない限りこの戦争はピノコニーで起きた戦争ではなく、従ってサンデーとロビンはピノコニーの外の出身ではないかという疑いが生じる。光の形と壊れた柱から考えるに、場所は教会のように思われる。天外「聖歌隊」を擁する「秩序」の教会だろうか。
時系列的に無理があるが、ヤペラー反逆事件の舞台にも似ているような。
なお、ロビンはピノコニー出身であると明言されているが、メディアには紛争地域出身で「夢の主」に引き取られて育ったことを明かしていない可能性もある。
兄妹が経験したのと同じ戦争かはわからないが、ロビンがボランティアとして赴いて話し、歌を教えている孤児院の子どもたちも、戦争の渦中にいるようだ。この場所は他の星系で、ピノコニーではないと考えられるが、真相は……?
もう一つの可能性としては、「ドリームリーフ」で起こっている事態を指すということ。ドリームリーフはファミリーが「悪夢」と形容する場所、実は原始の記憶域であり、2.2の新マップとして追加される。
深海に沈む、崩壊するといわれる夢境。ここがサンデーとロビンの故郷で、瓦礫のシーンは彼らの生活圏が崩壊していく様子なのだとしたら。
この場合、ロビンが戦争孤児たちに寄り添うのは、原因はともかく苦境にある子どもたちを勇気づけたいからだと説明づけられるだろう。また、キャラクター詳細の「まだ奈落の底に囚われている人や、拠り所を見つけられていない人たち」は、ドリームリーフの住人や戦争孤児をまとめた呼び方となるだろう。
2. 「音のない」旋律
キャラクター詳細と紀行PVから、母の励ましの歌と、兄サンデーの手の温もりを「音のない」旋律、音のない「願い」と表現していることがわかる。いい話なのだが……
母の声は轟音の中で聞こえなかったという。「音のない」が「聞こえない」「聞かれない」に通じるなら、調和の軌跡素材テキストにも符合するのである。雲瑞の音符のテキストは特に。
「それは誰にも聞こえなかった、ある歌の中に落ちるまで…」
「秩序」の中から落ちてきた音符が、サンデーとロビンの母の歌に現れたのだろうか?
これだけで不穏要素とするのはやや早計な気もする。建前として、シペはエナを呑み込んで同化して、両者は一体の「調和」となっているので。
3. 両親
母は出てきた。髪色や二人に対する接し方から、二人ともの実母ではないかと思う。
では父はどうか。母の左手薬指に指輪があるから、結婚していたと思われる。彼らが戦地に居たのであれば、父は出征してそのまま……という可能性もある。もしくはマリアよろしく処女懐胎か、謎のゴフェルが父か。根拠がないのでこの辺にしておく。
4. サンデーとロビンは双子?
幼少期の二人に体格差がほとんどない。子どもの発達には詳しくないが、意図して同じような体格で描いたのなら双子の兄妹だったりしないだろうか。もし本当に双子だった場合、この話が洒落にならなくなる。宇宙の蝗害、「天外聖歌隊-異象紀」・その2だ。
・「若い歌い手とその兄」≒ロビンとサンデー
・「この無意味な争い」=天外聖歌隊(秩序)vs.建創者(存護)≒ファミリーvs.カンパニー
・「高い壁」≒夢境での不死原則
(2.0サンデー「悪人は高い壁を揺るがすことはできない」、2.1アベンチュリン「ファミリーは『調和』を利用して高い堤防と壁を築き、人々が大海原で沈まないように守ってる……」)
・「壁を乗り越えた」≒サンデーもロビンも「死んだ」
・「色のついた窓枠のような輝き」≒「調和」の洗礼時のエフェクトのこと、サンデーが「調和」に受け入れられ、新たな生を得る伏線?
・「神のハーモニーのための」≒ピノコニーの「調和」のため
・「彼の犠牲」「跪き、……感謝の意を表した」「神聖な溺死者」→サンデー≒イエス説?
・「あなたは納得の笑みを浮かべる」→全然良くないのでサンデーは生き返らせてね
5. ディエス・ドミニ
この絵がドミニクスとディエス・ドミニのどちらとして描かれたのかはわからない(そもそも、両者は同一なのだろうか?)が、サンデーもロビンも、これに前向きな感情を抱いていることは明らかだ。しかも、頭部と翼、顎の下の3本線、左胸の3つのぽち丸、胸部〜腹部の構造まで、かなり細かく上手に描かれていることがわかる。実際に見たことがないものを描けるはずはないので、二人は、ディエス・ドミニ実物か、少なくとも絵や写真を見たことがあり、肯定的なものとしてよく知っているということだろう。
ただしキービジュアルのヘイローは描かれていない。ディエス・ドミニ自体は「調和」だが、このヘイローが「秩序」のノイズ由来なのだろうか。
また、ディエス・ドミニの姿を二人が嬉々として描いていたことで、2.2PVのロビンのセリフについて再検討の余地が生じた。
以前はセレモニーのトラブルを開拓者たちと共に食い止めることが「最後の希望」なのではと考えていたが、「最後の希望」=ディエス・ドミニ、「私たち」=サンデーとロビン、だという可能性も……。
6. ロビンの「願い」
「彼女は歌声で『願い』を届けたかった」
「そうやって もっと多くの『願い』を紡ぎたかった」
上記のようにロビンの歌手デビューが描写されているが、これは「調和衆弦」のテキスト、さらにいえば「衆願のドミニクス」に似通っている。元々は彼女がドミニクスの在り方と共鳴することになっていたのだろうか?
7. ロビンと鳥籠
ロビンのイラストは壊れた鳥籠に入って歌うものだが、以前はロビンは囚われてはいないのでは、と考えていた。しかし。
おそらくは一挙手一投足にいちゃもんをつけられ、有形無形の諸々に付き纏われることを「束縛」と捉えているのだろう。
(余談。パパラッチを崖へ誘ってしまったあたりなかなか衝撃的ではあるが、これはロビンが悪いわけではないと思う。スクープに囚われて前方不注意だったパパラッチの自業自得では……。とはいえ、救助のために通報し、罪悪感から事情を明かして謝罪会見をしているのだろうか)
雑記
1.「サンデー」「ロビン」は洗礼名?
この二人の名前がファミリーのしきたりに則った渾名である可能性には、2.0の序盤で列車組が言及している。
ファミリーには随所にキリスト教の要素が見られる。朝露の館のコンフェッサー(聴聞司祭)などまさにそうだ。なら、この二人の兄妹は「夢の主」に引き取られる際に「調和」の洗礼を受け、本名とは別に洗礼名として「サンデー」「ロビン」を授かったのでは。キリスト教自体に詳しくないので、メモまで。
2. サンデー死亡・復活説の傍証
実現してほしいかは別として、私の持論である。
①サンデー≒イエス説(以前の記事参照)から
イエスの復活によって、全ての死者もまた復活するという。ピノコニーでは、これまでにも百を超える人数がミーム「死」の犠牲となって「死に」、「真のピノコニー(おそらくドリームリーフ)」に送られたまま戻ってきていないと推測される。サンデーの死は夢境とピノコニーの問題を道連れにするか解決に導き、その復活はミーム「死」の犠牲者の復活にもつながるという筋書きはどうか。
ピノコニーは元々、罪人が赴く監獄惑星であった。また、黄泉は2.1で本当の「ピノコニー」に「流刑の地」とルビを振っている。流刑された犠牲者を救う役回りも、イエスと相似する。
②「日曜日」から
・礼拝が日曜日なのでここが安息日と思いがちだが、安息日は土曜日にあたり、日曜日は週の始まりであるらしい。新しいことを始める日。
・イエスの復活は日曜日のこととされる。
・「太陽の日」が語源だが、天体としての太陽は没してもまた出てくる。
3. アベンチュリン2.1再演としてのサンデー2.2
サンデーとアベンチュリンには類似と対比が見受けられる。ざっと考えただけでもこんな感じに。
類似の方が多い気がする。ということは、展開も寄せてくる?
そこまで突飛な話ではないはず。というのも、ピノコニー編で前バージョンの各種クエストの展開を伏線としていることがあったからだ。たとえば2.0のレスリー・ディーンのサブクエストは、複数人の記憶学習でレスリーの人格を夢境に再現する内容だったが、これは2.1で明かされる、52人のファミリーメンバーから取った認識の集合体というギャラガーの正体にリンクしている。今他に思いつかないので一つで勘弁してほしい
そこで仮説として、2.2でのサンデーの物語は、2.1のアベンチュリンの物語の「再演」としての展開を見せるとする。
順を追って考えていきたい。
アベンチュリンはDr.レイシオが計画を暴露すること、基石の箱を開けることを計算に入れていた。これと同様のことが、2.1でサンデーがギャラガーを単独で待ち受けていた場面にもいえるとしたらどうだろうか。ギャラガーがミーム「死」と繋がっていることがわかっていた以上、丸腰ともいえる状況で対峙するのは危険すぎるからだ。ロビンの死の究明に傾倒していたとしても、サンデーがこの点を見落とすとは考えづらい。
可能性としては以下二点、①アベンチュリンと同様に「調和」の審判で私刑を下すつもりだった、②敢えてギャラガーを逆撫でし、ミーム「死」で自身を殺させることで真相に近づくつもりだった、のいずれかだろう。
「夢の主」はサンデーの養い親にして上司であるが、間接的にサンデーの動向へ不満を示し、セレモニーへの注力を要求している。セレモニーを控えた時期に主催者が「死ぬ」ことは大いなる逸脱であるから、「夢の主」は「ファミリーのやり方」を施した人物相手と同様にサンデーを夢での死から「引き揚げ」、改めて忠誠とセレモニーへの専念を誓わせるのではないか。
少々無理筋な気もするが、PVではサンデーがチャンピオンとなった開拓者一行を迎え、おそらくはセレモニー会場の大劇場へ誘導していたことから。アベンチュリンにとっての花火は情報源だったが、サンデーにとっての開拓者一行は手段そのもの(後述)ではないだろうか?
贔屓目で見ている身としては、たとえボスになるとしてもその前に掘り下げをしてほしいと思うので、これは願望に近い。紀行PVで幼サンデーにも声がついたのであり得るのでは。
サンデーが一度死ぬことを前提とした話だ。だが、そもそもなぜサンデーは死ななければならないのか? 私は、①「(実装に向けて)サンデーに影響を与え続け、悪役に近づけてきた『秩序』を断ち切る」、②「サンデーが妹を悩ます『調和』のノイズを自身と道連れに葬る」の二点を考えている。自身を依代にしたディエス・ドミニを道連れにすることで、問題を解決しようということだ。仮に、自分が「秩序」とともに生き続ける限り、ロビンは故郷ピノコニーで歌えないとわかってしまったら、妹を愛する兄はどうするか。
光円錐や紀行PVを見ても、サンデーはロビンを勇気づける一方で、自身の夢や望みについては言及していない。ロビンに希望を託した自己犠牲とすら考えてしまう。献身的ってそういうことなのか?
ボス戦直前だろうか、両手を広げてどこか悲しげな、訴えるような表情で開拓者らを眼差すサンデー。自身の目的の成就、すなわち「死」をもたらしてくれることを望んでいるのだろうか……。
死が目的なら再びギャラガーを挑発すればいいような気もするが、「調和セレモニーのカウントダウンは止まらない」という文言から、彼自身に紐づくドミニクス≒ディエス・ドミニの降臨は避けられない状況なのだろう。
ドミニクスは「調和」の使令と考えられているし、こと今回においては古き強大な星神「秩序」の影響下にあるとも目される。ギャラガーや黄泉単独では力不足である可能性を考慮するのではないだろうか。サンデーの性格からしても、確実性を重視するはずだ。現にPVでは景元+神君、飲月君という仙舟・羅浮の最高戦力が駆けつけている様子がみられる。そこまでしないと倒せないということだろう。 ちなみにこのゲストたちはサンデー自身ではなく「時計屋」が招いた。ファミリーを利用したアベンチュリンに対して、敵対する「時計屋」が招待したゲストを利用するサンデー、の構図もあるだろうか。
もはや妄想の域であるが、先掲したPVの表情と展開から実装に持っていくにはこのくらいの話は必要だろう。
サンデーがシペの代理人としてアベンチュリンに提示した選択肢を、シペ自らがサンデーに施すのではないかという妄想。大いなる存在に溶け込んで散逸していても、失われたわけではないなら再構成はできるだろうという話だ。サンデーが「調和」の光の中で微睡んでいることを本当のラストシーン(2.0のサンデーvs.花火、2.1のサンデーvs.ギャラガーのような)で示唆して2.2開拓クエストは終わるのではないか。
(そもそも大前提として、2.1で「最も盛大な死」と銘打ったアベンチュリンがあれほど丁寧にしっかり描写された「死」を経て生きている(戻ってくる)のなら、直後の2.2でいくら大団円への障害サイドとしても永遠にお別れというのは納得がいかないので…………)
4. 兄妹の気遣い
2.1開拓クエスト中の手紙で、ロビンはサンデーに気遣いの言葉を記している。
一方、キャラクター紹介では、多忙なスケジュールを語るロビンについて、サンデーがコメントしている。
気遣いの文言が似ているのはさすが兄妹だし、お互いに自分はあまり休まず、相手を気遣っているのがわかる。それにしても、ロビンは多忙の中でも息抜きの方法をわかっているようだが、当主になった今のサンデーに息抜きや娯楽という概念はあるのだろうか? どうもサンデーは自分自身の夢ややりたいことについて、「支配欲」以外のものを見せてくれない印象がある。
是非ともロビンの「銀河を独り揺蕩う」を聴いて考えてほしいものだ。
ついでに兄妹の性格についても書いておきたい。紀行PVを見る限り、幼少期のサンデーはロビンに比べて繊細な印象を受ける。母に抱かれているとき、サンデーは母にしがみついている一方、ロビンは自分の胸元で手をぎゅっと握っている。か、かわいい……。
特に萌えた(死語?)のはこれ。
おわかりいただけただろうか。ロビンがサンデーの手を握ってあげているのだ。その上でインタビューで「私の手を強く握り締めてくれた兄の温もり」を覚えているというのである。お姉ちゃんの趣さえあり、今も聡明なしっかりもののロビンと、かつてはその手を握り返すばかりだったけれども、彼女のために子守唄を歌ってあげるようにもなり、大人になった今こそは兄としてロビンを守りたくて必死なサンデー……。
……ロビンを守りたかった……。
子守唄の関連でもう一つ。
サンデーがロビンに歌ってあげていた子守唄には、歌詞がなかったという。そしてこの手紙の中で、ロビンは「(希望は)魂の中に巣を築いて暮らし、歌詞のない歌を永遠に歌い続ける」と記している。サンデーの子守唄が、ロビンの「希望」になっていたのだろうか。
この項目の最後に軽めの話。
幼少期の性格を踏まえると、2.0でロビンがアベンチュリンの言葉を受けて「ピノコニーで最もハンサムな男ですって、本当に面白いわね」とサンデーに話しかけていたとき、本当に面白がっていたのではないかと思える。ロビン流にいうなら「ピノコニーで最もかわいい(かわいかった)男」にでもなりそう。
5. 黒幕ダービー
サンデーが歴戦余韻ボスでありながら実装されるためには、はっきりと良からぬ企みを持った黒幕が必要だ(もしくは、各々の勢力の目論みが絡みああって混乱や悲劇をもたらす可能性もあるが、ひとまず置いておこう)。
この黒幕について、ロビンの見立ては次の通り。
・サンデーを除いた四大当主の一人
・調和セレモニーを利用して何かを企んでいる
これをベースに何人か挙げてみよう。
①「夢の主」
私的本命候補。サンデーとロビンの養い親でもある。五大クランを束ねるファミリーのトップにもかかわらず、これまでのストーリーで一切表に出てきていない上、ミスター・マコーのサブクエストのように極めて不穏当な統治をしている。そもそもファミリーの五大当主が集まって話し合うのはともかく、五大クランの上に立ってピノコニーを統べるのは、サンデー以上にはっきりと「秩序」的ではないか?
②オーディ・アルファルファ(ルーサン家当主)
手紙がサンデーにとってかなりきつい内容ではあったが、私はオーディは黒幕ではないと考える。以前の記事で書いたものを添付しておく。
③サー・ホイッタカー(カタルス家当主)
サンデーの発音が違っていたが(サー・ウィテカー)、読み方の問題なので深い意味はないだろう。
彼はドリームボーダーでNPCとして立っていて話しかけられるのだが、ファミリーとしては異色の発言をしている。
これはミスター・マコーの「ファミリーのやり方」のことだと考えられる。これを笑顔で話すあたりキマっている。開拓者に「君がどんな混乱をもたらすのか楽しみだ」と言ってきたりもする。
また、サー・ホイッタカーの立ち位置のそばに、アチーブの取れるペンローズの三角形オブジェが設置されている。これは模擬宇宙の「秩序」関連奇物・トライアングルにそっくりだ。建設を司るカタルス家当主の意向だろうか?
サー・ホイッタカーは黒幕というよりも、自ら語るように中立の「観察者」を自認しているのかもしれない。
④メーフン・アイリス(アイリス家当主)
名前が出ている当主なので挙げたのみ。シヴォーンの話から察するに、純粋に芸術に精魂を注いでいる人物のようだ。見えない片目から花を咲かせているキャラデザがいいので、サンデーと同じようにバージョン2.5で実装されたりしないだろうか。
⑤ハウンド家当主(名前不明)
ギャラガーはハウンド家の保安官を自称していたが、当主の名前はおそらくまだ出てきていない。いずれにせよ情報が少ないので、黒幕を務めるには役不足だろう。
⑥サンデー(オーク家当主)
この流れで挙げないのは贔屓目が過ぎるだろう。
サンデーが黒幕だとすると、ロビンの手紙で除外していたのが実は真の……という流れがあるあるだが、このスターレイルがそんな見えすいたことをするのかという疑問がある。また、策士とはいえ、サンデー自身に黒幕を務める野望があるのか? という話でもある。あってもせいぜい操られているくらいだろう。
6. 「野火」とピノコニー
カカリア戦の名曲「野火」。先日のライブでこの曲を聴き、歌詞を眺めていたとき、この歌詞はピノコニーにも通じるのではないかと疑念を抱いた。
この項目はものすごいこじつけなのでご了承願いたい。まあ歴史は繰り返すというし。
「追放」「夢」が出てくるとどきっとするがまだベロブルグの歌だな〜という感じ。
この辺からそれっぽくなってきたのでは。
夢の中で「死んだ」人はDr.レイシオによれば夢の中で熟睡している状態らしい。また、彼らが行くとされる「真の夢境」と思しいドリームリーフは荒れ果てており、その住民が絶望しかけていてもおかしくはない。その彼らが「起きる」、つまり現実世界で「生き返る」展開はありそうだ。
Unsheathe〜の部分は2.1の黄泉とも、2.2でちょうどカカリア戦のような立ち位置となるだろうディエス・ドミニ戦とも取れそう。戦うのは殺戮のためじゃない。
ロビンは音楽の道に進むきっかけについて「私の手を強く握り締めてくれた兄の温もり」を覚えていると語る。また、ロビンの曲「傷つく誰かの心を守ることができたなら」には「Let my heart bravely spread the wings」、「銀河を独り揺蕩う」には「Feel the fire deep within, You're the key to where my trust begins.」という歌詞がある。
ベロブルグは常冬の地であったから、「止まっていた季節が/再び巡り始める」という歌詞になっている。ピノコニーの夢境も同様の状況にあるとはいえないだろうか。十二の刻はそれぞれの時間に留まり、終わらない快楽を体現している。時間が巡るのが健全な状態だとしたら。
ベロブルグでは、星核の「壊滅」の運命を選んだカカリアに、ブローニャたちが「存護」の意志で立ち向かった。
ピノコニーの場合も、二つの運命の道の対立は起こりうるだろう。ファミリーの混乱の原因は「調和」と「秩序」の軋轢にあると考えられる。もしもサンデーが「秩序」を選び(選んだように装い)、ロビンが純粋な「調和」の側に立つなら、まさしくベロブルグ決戦の再現のようになる。また、声優の名塚佳織さんはインタビューで「ロビンはどんな選択をするのか」と語っている。
あるいは「Go fight against your fate!」がサンデー自身の「秩序」への抵抗を指している可能性とかないだろうか。私たち(ロビンと開拓者サイド)は「調和」のためにディエス・ドミニに抗うことを選んだ、兄様も「秩序」に抗って__という具合に。
「風化した岩に書かれた法」と訳せば、「秩序」のエナの時代の法を想像する。これを忘れて光を追った、とは「調和」の夢境で夢を追う者たちのこととも取れる。昔の元ナナシビトっぽさもある。
今、夢境は沈没、崩壊の危機を孕んでいるが、その原因かもしれない「秩序」の化身は現れようとしている。サンデーに紐づいたものだとしたら、それと戦うことはロビンにとっては紛れもなく「いばらの道」である。しかし、それでもなお宣言しなくてはならない__「何が来ようとも、準備はできている」と。
ちなみに、英語版のオーディからの手紙では、「ドミニクスの降臨」は「the arrival of Dominicus」と表記されているらしい。
Whatever is arriving, we'll be prepared……
これは「死んだ」サンデーがロビンに「起きて!」されるところ。みんなが「私たち」と一緒に歌うんだから。
7. Then wake to weepの元ネタ
「涙は目覚めの後で」の英語版タイトル。これには元ネタがあった。
こちらのサイトから引用させていただく。
最後の部分が「Then wake to weep.」。
1は2.0の開拓者とホタル、2は2.1のアベンチュリンを思わせる。であるならば、2.2タイトルの元にもなっている3は、ロビンとサンデーだと考えるのが妥当ではないか。
どうだろうこれは……不穏?
8. 余談
・各星のラスボス(自我あり)戦は、戦闘終了で即死んでいるわけではない。カカリアは虚数の歌者から大守護者通常フォームに戻った上で、星核を道連れに自死を選んだし、幻朧は建木の肉体を失って元の歳陽の炎に戻っただけだ。じゃあサンデーはどうなる? ディエス・ドミニのガワを失うだけなら良いが。
カカリアで既に道連れに死ぬ/家族を失う展開はやってるし、アベンチュリンで「死」の事細かな描写は見たからもう永別は結構だ。お腹いっぱい。
・そもそもピノコニー大劇場で戦うのだとしたら、そこで死んだとしても夢境の中だから真に死んだことにはならないのでは?↔︎「秩序」ドミニとの戦いで「調和」の夢中不死の加護が弱まるかもしれない
・褒章アイコン
2.2:黄泉、ブートヒル(確定、「レンジャー」)
2.3:ホタル、銀狼(星核ハンター)
2.4:仙舟のキャラ(一度幕間で羅浮に戻る気がする)
2.5:サンデー、ロビン(兄妹)
で賭けよう