自分が好き嫌いと善悪が気づいた日<白饅頭先生感想シリーズ>

白饅頭先生の書いてることになんか思いついたら書いてみる。

好きと正しい、嫌いと正しくない
これを分けて考えられない人はあまりに多い。
この事実に気づくのに時間がかかるかかった、多分そんな事をちゃんと考えたのは高校生ぐらいだろうか。

高1、高校演劇の全国大会。
たまたま入部したら全国大会に出れる仕様だったので、色んな人に迷惑をかけながらも辞めずに末席に居続けたのは今でも覚えている。
自分の学校が演じた作品が、「はるふぶき」という絵本が原作で、自然=善、人=悪、と断じた作品テーマだったので当時の審査員平田オリザに古いと言われた。
確かに顧問に言われるがままに演じてる時には全く疑問に思っていなかったが、言われてみると確かに善悪二元論が大きな物語として機能していた時代までに作られた話で、普遍的ではないということを認識した最初の瞬間だった。

高3、高校演劇の全国大会。
同じく絵本原作の「りんごの木」という作品で出場、同じ自然(農業)をテーマとして扱ったものだが、最後にりんごの木は飛ぶことを選択し、悲しいかもしれないが農業や自然に関しても同じところにとどまることは出来ないというメッセージを伝えた作品に仕上げた。
善悪二元論で語れない構造で脚本は作られ、結果として優秀賞(全国ベスト2~4位)を受賞し、その後も合同公演などでよく使われる名作となった。
メッセージを押し付ける作品ではなく、受け手に考える余地がないと今の人々にはウケないんだなと考えさせられた。

自分が直感的に良いとしたものが正義であり、悪いとしたものが悪である。世の中はそんなに分かりやすくはない。
自分の場合そんな体験を高校生の時に実感できたが、そんな機会がある人ばかりではない。
ただ、高校演劇をやっていなかった自分だったif世界で考えた時に、おっさんになった今でも理解できなかったかというとその可能性は極めて低いと考えている。

その後、大学生になってからオタクコンテンツにハマり、アニメを見る時に構造も楽しんでいる。
ハルヒからは「ここではないどこかを目指しているようで、ありふれた青春は楽しいんだ」と学び、
日常系(けものフレンズ含む)からは現状肯定って大事だなと考え、
東京喰種や進撃の巨人などから、「敵と味方は立場の差であって悪などというものはない」と強く学んだ。
異世界転生ものをいくつか見て、「俺つえーしたい都合の良いやつが多いんだな」と実感し、
三ツ星カラーズでクソガキが好きなの職業柄注意できなくてよくないとか思ったりした。
最後のはあんまり関係ないか、、、?

結局オタク化していく過程で手に入れていたと考えている。
もしかしたらアニメじゃなくても、何かしらのコンテンツに触れていく過程で。

面白いと思ったコンテンツと真面目に向き合ったら手に入るんじゃないすかね?とかは思ったりはしている。
過剰に信者になったりせず、向き合えればの話ではあるが。

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