世界でトップレベルにどうでもいい問題

なんかnoteを見ていたら両立論なるものが目に入った、哲学というジャンルなのでどうせどうでもいい考えるに値しない形而学上の問題の話なんだろうなーって思ってクリックしてみた。

・・・まさか、ここまでどうでもいいこととは思わなかった。

両立論というのは、自由意志と決定論の両立は可能かどうかという話らしい。

自由意志があるのであれば、その行為Aをするかどうかは本人が決めることが可能であり、決定論的にはあくまでもう決まっているので、自由意志によるものではなくなるので決定論は間違っている。
それは決定論においてはAをするかどうかは法則性で決まっているので自由意志はない。

どちらを支持するか、両立する方法をどうするかが大問題らしい。

別に好きにすればいいんじゃないか?定義の問題でしょ?お互いの穴だらけの定義上では矛盾する。Q.E.D!おわり!閉廷!!!!!
これがどちらになるかで誰が困るん?
そして、厳密にしようとして誰が得するん???
全く分からないですね・・・。

たとえば、自由意志がある「とする」ことによって、犯罪というものを成立させることは可能で便利だから自由意志という概念を現代でも適用してるんじゃないです?
普通に量子論的なことを思考できる普通の大人が標準モデルと設定、つまり、原子が存在するかすら確率であってそういったモデルで考えられるのがまともな大人だと考えて世界を運用すると、世界は大体確率を用いたその世界の言葉を使わせてもらうと決定論的で考えるのが「である」多めでそのまんま使えて、基本モデルとしては割といい感じで、ただそうすると責任がない「とする」と世界が上手く回らない。
だからその部分では決定論的な要素を入れ込みすぎずに、自由意志的な発想で責任という概念がある「とする」ことによって世界が上手くまわるってだけの話でしょ?

あっちが立てばこっちが立たない、どうしたらいいでしょう、、、、、みたいな人たち、好きにすればいいと思う。ぼこぼこの普遍的でもなんでもない感覚でしかないものを言語化してみただけの概念なんだもの。世界どうでもいいことランキングトップ100には入ってるどうでもいいことなんだからさ、その「とする」かどうかだけの話でマジ悩みする人たち、現代の頭の悪さの中で最も害悪だと思うんだよなー。定義をいい感じにするための努力もせず、ただその概念が権威的に「ある」と信じて、その中で言葉遊びするってのが哲学をマジメにやる人の印象。俺だけ?

※ちなみに筆者は量子力学はシュレディンガー方程式の偏微分連打の時点でなんでこれしていいんだろうみたいなことを思って、詰んだぐらいにはよくわかってません。

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