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「Ghost of Tsushima」と「強い女」とフェミニズム~其之弐

 一週間ほど前、私の記念すべきnote初記事
”「Ghost of Tsushima」と「強い女」とフェミニズム”
 を投稿させていただきました。

 おかげさまで初投稿ながら200を超えるスキをいただき、また、「フェミニズムとはアンチ家父長制である」という私の主張について、Twitterでも多くの方々からのご意見やご感想をいただき、筆者として冥利に尽きる思いです。

 さて、今回新たにこの記事を書いたのは、この名作「Ghost of Tsushima」において、「家父長制とそのアンチ思想であるフェミニズム」を強く感じさせるエピソードがもう一つあったからです。

 よろしければこちらもお読みください。


※以下、ゲームに関するネタバレを含みます。ご注意ください

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不自由な強い女

 前回クローズアップした人物は、男性道徳の外にいる奔放な女『巴』でしたが、今回は男性的な道徳を自分に強く課している『安達政子』を取り上げます。

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 彼女は武勇を誇る対馬でも誉れ高き家「安達」の家に嫁ぎ、女武者が揃う一族の女房として家をまとめていましたが、蒙古の侵略によって夫と息子を失い、また、戦の混乱に乗じ襲ってきた賊に残った家族を皆殺しにされます。

 武家の女房として男性道徳を強く内面化している彼女は、自らの手で一族の仇を討つことを誓います。彼女にとっては自らを捧げてきた『家』が全てであり、それを失った今、家族の仇を地獄に落とすことだけが生きる目的となりました。

 蒙古に擦り寄るも見捨てられ追われる身となったが、一度は裏切ったはずの師『石川』を懐柔して生き延び、対馬を捨て本土へと渡った、誰にも縛られない『巴』とは真逆と言えます。

 巴がフェミニズム的な「自由な強い女」なら、
 政子は家父長制に殉じようとする「不自由な強い女」なのでしょう。


荒ぶる復讐鬼

 仁の手を借りつつ、政子は正体の知れない黒幕を探して当て所もなく戦い続けます。

 怒りと憎しみに我を失い、せっかく捕らえた情報源をカッとなって殺してしまったり、罪もない百姓や僧侶まで躊躇いなく脅迫する彼女の姿には、蒙古への手段を選ばない報復を誓った仁ですら呆然とし、一度は暴走する彼女を止めるため刀を合わせることにすらなります。

 その制御不能なバーサーカーっぷりにドン引きしたプレイヤーも多いでしょう。

 しかし、若かりし頃の政子は両親を失った幼少時の仁に「対馬の武士なら我が子も同じ」と慈悲心にあふれた声をかけますし、また、過去に家人が盗みを働いた際にも「夫は斬れといったが逃してやった」と語るなど、優しさと厳しさの両方を持ち合わせていた人物として描かれています。

 本作の開発者は、仁の仲間となる人物たちについて以下のように述べていました。

 彼らの物語は「仁とどこかしら呼応する部分がある」ように描いている
 あるいは安達政子は家族を皆殺しにされ、その復讐心で暴走寸前だが、仁にも同じような思いを抱えている部分がある。仁の内面にある思いが極端に表われた人物が仲間たちであり、そうすることで「仁も、もしかしたらこうなっていたかもしれない」という可能性を見せているのだとした。

 復讐の念に我を忘れ、守るべき対馬の民にも容赦なく疑いの目を向け、殺すことにすら躊躇いを見せない彼女は「仁が復讐鬼として完全に自分を見失ったら」というもう一つの姿だったのかもしれません。


「誉れは浜で死にました」

 作中では武士が死守するべき美徳としての『誉れ』が何度も語られます。蒙古に敗れた仁は、『武士の誉れ』では勝てないと悟りそれを捨て去りますが、民を守ろうとする想いは『冥人の誉れ』として残っていました。

 政子にとっては「武名高き安達家の女」として家と家族を守り、その名誉を未来へとつなぐことが『誉れ』だったのでしょう。

 しかし戦で夫と息子を失い、残された嫁や孫まで殺された今、もう自分が嫁ぎ愛してきた「安達家」は断絶するしかない。

 女衆や孫たちの遺体を何日もかけて埋葬した彼女は、後日、小茂田の浜で、蒙古により無惨に吊るされた息子たちの、あまりにも『誉れ』なき姿に「かような扱いがあるか・・・!」と悲痛すぎる叫びにならない叫びをあげる。

 仁はのちに『誉れ』ある戦いにこだわる叔父の志村に対し「誉れは浜で死にました」と言い放ちますが、政子の中でも、あの日、そして小茂田の浜で『誉れ』は失われたのです

 『誉れ』を捨て、むき出しの復讐心を振りかざし、数々の犠牲や軋轢を生み出しつつも、ついに彼女は一家を惨殺した黒幕を突き止めるのですが・・・。



愛憎の果てに

 安達家を滅ぼした賊を裏で操っていた黒幕。

 それはなんと、彼女の実の姉『花』だったのです。

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 なぜ花はこんなことをしたのでしょうか?

 実は若き頃、花は後に政子の夫となる『安達』へ想いを寄せていました。しかし安達は政子を選びました。

 花は別の男へ嫁ぐことになりますが、その男を「飲んだくれ」と呼ぶ様からは、幸せな結婚とはとても言えなかったようです。

 武家には基本的に自由恋愛が許されない時代です。政子が妻として安達を愛していたのは確かでしょう。しかしそれは自分を選んでくれた夫に尽くすという家父長制におけるしきたりの上であり、花のような恋愛心を持っていたかは定かではありません。

 男性道徳を強く持つ彼女は、見初められて嫁いだ際には「安達家の女」になることを強く意識したのだと思います。

 実はバイセクシュアルでもあった彼女は女中の『舞』と相思相愛になりますが、その後、舞が問題を起こした際には追放しています。舞との愛よりも夫と家を迷わず取ったのも、「安達家の女」こそが彼女の『誉れ』だったからでしょう。

 しかし、彼女の姉である花は自分がなりたかった「安達家の女」の座を奪った政子、そして彼女のものとなった「安達家」を、ずっと憎しみ続けていました。やがてその怨念が事件を起こしたのです。

 安達家を破滅させるという目的を果たした花は、追い詰める政子に「殺すなら殺せ」と言い放ちますが、政子は「始末は自分でつけろ」と花に自決を迫ります。

 せめて武家の女らしく死ねということだったのでしょうか。


 姉妹の運命はどこで歪んでしまったのか。

 いずれにせよ、最後にまたひとり肉親を失い、政子の復讐は終わりました。

 残されたのは『家』も『誉れ』も失い、もはや子を生むこともできない、たった一人の老婆。

 この先の身の振り方について仁に問われ
 「(行き先は)どこであろうな・・・」
 と弱々しく答える政子に女傑の威厳はなく、抜け殻のようでした。

 対馬で身を立てるためのアイデンティティであり、師との絆でもあった弓ですらあっさりと捨て、『ひとりの女』として清々しいまでにふてぶてしく退場していった巴とはまさに対照的です。



生と死とふたりの女

 家父長制のもと『家』に誉れを求めることを幸せとした女と、自由恋愛が許されず幸せになれなかったことで『家』を憎悪し滅ぼすことを決意した女。

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 引用:「腕KAINA〜駿河城御前試合〜」/森秀樹


 まさに家父長制とフェミニズムの対立の構図が政子と花の物語の裏にはあったのでした。

 別の記事で、私は家父長制は子孫繁栄を求める「生の文化」であり、それを破壊することを目的とするフェミニズムは「死の文化」だと主張しました。


 政子と花の物語は、家父長制を憎悪する死の文化(フェミニズム)が、生の文化(家父長制)によって繁栄していた『家』を根絶やしにするという、生と死のせめぎあいの光景だったとも言えるでしょう。


 前回の記事を書いた際は、巴のことだけに注目が行っていたのですが、フォロワーさんからこの観点を教えていただき、改めて考察してみると、そのシナリオの凄絶さと背景に本当に驚かされました。

 開発者が「日本時代劇へのラブレター」と称した「Ghost of Tsushima」。
 この素晴らしいゲームに出会えたことを、いま一度心から感謝したいと思います。




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