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フェミニズムは「リリスニズム」?

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(※画像はWikipediaより)


アダムとリリスと正常位と騎乗位

 人類の始祖とされているアダムとイブ。

 その夫アダムは実はバツイチで、イブの前に最初の妻リリスがいたという説があることは皆さんもご存じかと思います。

 しかし実はこのリリスがフェミニズムにおいては非常に重要な人物とされていると教えてもらったこともあり、改めて調べてみることにしました。

 6世紀に、東方からヨーロッパに伝わったイスラエルの書物『ベン・シラのアルファベット』によると、イヴではなくリリスがアダムと同時に同じ塵から作られ、アダムの最初の妻となったとされている。
 さらにリリスは平等を要求し、性交時にアダムの下になることを拒否したと記述されている。アダムが彼女を自分の下にしようとすると、彼女はエデンから空に逃亡し、そこで悪魔と性交して妊娠し、1日に100人以上の子を産んだ。
 神は3人の天使を遣わせ、天使は彼女がアダムの元に帰ることを拒否すれば子供を殺すと脅した。しかしリリスは拒否したため、神はアダムの肋骨からイヴを作り、アダムの後妻とした。


 この「平等を要求」と同列に「性交時に下になることを拒否」がなんとも「マウンティング」を示唆しているようで面白いですね。ちなみにアダムは正常位、リリスは騎乗位を望んだようです。

 そしてアダムの下に就くことを拒否し逃亡後、あてつけのように悪魔と性交し子供を産む。

 男性が期待するような貞淑さはかけらも無く、生みの親である神の言葉にも従わない。確かにフェミニズムそのものともいえる女性像でしょう。



「唯一神は家父長!キリスト教はミソジニー!」

 私は以前の記事でフェミニズムとは『アンチ家父長制』であり、また、結婚や貞淑さとは男性が女性を縛り付けるための『男性道徳』で、それに縛られないことがフェミニズムの求める自由である」と述べました。

 無料記事なので、よろしければ先に読んでいただければと思います。

 アダムとリリスを土くれから生み出した唯一神ですが、現在の世界で大きな勢力を持っているキリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの一神教においては同一とされており、男性的な性質を有し、信仰する人間達からは『偉大なる父』『父なる神』と呼ばれます。

 現代の日本人はついつい忘れがちですが、宗教と国家は深く結びついており、そうやすやすと切り離せるものではありません。

 あらゆる人種や宗教が集まる『自由の国』アメリカでも、大統領は就任演説で聖書への宣誓をし、演説には「神」の名が繰り返し登場することが当たり前です。

 つまり、フェミニズムが生まれた欧米では、既存の人間社会自体が「神を父とする家父長制的な世界」だと言えるのです。

 アンチ家父長制であるフェミニズムは当然これにも反抗します。

 神学者でありながらラディカル・フェミニストでもあったメアリー・デイリーは、著書『父なる神を越えて ― 女性解放の哲学に向けて』の中で、以下のように主張しました。

 「もし神が男性なら、男性が神になる」

 「父なる神という象徴は、人間の想像力に生みつけられ家父長制度によって裏付けられ支えられてきた。逆に、女性抑圧に向かう父権制社会のメカニズムが正しく妥当なものであるかのように見せてきた」

 また、デイリーは「男性道徳」に従わないことが女性の存在を示すことだとして、「罪を犯すことは存在すること」と述べています。

 すなわち、家父長制の宗教・社会で理想とされる(罠にはまった)女性とは逆の「罪深い女」という概念は、実は家父長制に対して反逆することで「存在する」女性であるとし、
「(女性たちに)罪を犯すよう強く勧める。だが、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、ないしはこれらから派生した世俗版のマルクス主義、毛沢東思想、フロイト派、ユング派などのちっぽけな宗教に対して罪を犯すのではない。これらはすべて家父長制という大宗教から派生したものだ。この下部構造自体に対して罪を犯しなさい」
と、ユーモアを交えて訴えている。

 それゆえにフェミニズムは宗教保守勢力から激しく敵対されるものであり、Equal Rights Amendment(男女平等憲法修正条項)反対運動におけるニューライト(キリスト教保守派)の動員や、人工妊娠中絶の権利を巡っての対立などの歴史があります。

 フェミニズムにとっては唯一神ですら家父長的な抑圧者であり、それを信仰する社会は男性が女性を支配するシステムとして作られたミソジニーを内含するものであって、女性は不貞という『罪』を犯してそれに背くことによりに『解放』されなければならないと説くのです。

 


「アダムオスはクソ、それに比べて異国の素敵な悪魔は~」

 キリスト教における「悪魔」とは、唯一神の他に善なる神が存在することを許してはいけないため、異教の神々がキリスト教に取り込まれる際に神に敵対する悪魔としての地位を与えられることとなったとされています。

 一神教において神は絶対的な善でなければならないので、この世の悪を説明する原理が必要でした。そのため、絶対悪・神の敵対者としての悪魔が生まれたのです。

 つまり、リリスがアダムに怒り出奔して、当てつけるように性交した『悪魔』とは、即ち異教を信仰する異国の民であったのかもしれません。

 Twitterでは『ツイフェミ』と呼ばれる女性たちが日々男性たちへの不満や憎悪を表明し、男性蔑視と取れる発言を繰り返しています。

 特に自国の男性を見下している事が多く、「ジャップオス」という言葉はよく耳にするものです。そして自国を「ヘルジャパン」と蔑み、一方で海外(特に欧米)の男性を褒め称えることもセットで行われる傾向があります。

 これは日本だけの現象ではなく、例えば韓国のフェミニストは自国の男性を「クソオス」と罵り、男性に「ジェギしろ」(韓国男性の置かれた苦境に抗議して投身自殺したソン・ジェギ氏に由来)と罵倒するので、フェミニズムに染まった女性は自国の男性を蔑視するようになるのでしょう。

6万人の女性が集まった先週末、ソウル恵化(ヘファ)駅デモでは文在寅(ムン・ジェイン)大統領に向かって「ジェギしろ」という叫ぶ声があった。「ジェギしろ」というのは男性の自殺を嘲笑する表現だ。


 さて、この「平等を口にしながらも実際は女性優遇を要求し、自国を蔑み、従わない男性を口汚く罵り、当てつけるかのように異国の男性の良さを語る」姿。

 これ、何かに似ていると思いませんか?

 平等を訴えながら、アダムには『女性上位』を要求し、父である神を激しく罵って出奔し、アダムに当てつけるかのように悪魔(すなわち異国の神々)と性交する女。


 そう、リリスです。

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 アダムの一部でも従属物でもなく、対等であろうとした女。

 また、家父長たる『父なる神』の教えにも従わず、異教の神々である悪魔たちと性交を繰り返す、奔放で自由な女。

 彼女がフェミニズムの象徴とされているのは当然の帰結なのかもしれません。

 インターネット世代のフェミニストこそ、まさしくフェミニズムを体現する『リリスの娘たち』なのでしょう。



死と女

 リリスについて面白いと思ったエピソードの一つに、出奔したリリスを神が連れ戻そうとした際に、「毎日100人お前の子供を殺す」と脅すのですが、それに対してリリスは「だったらこちらも人間の子供を殺す」と返します。 

アダムは神に、リリスを取り戻すように願った。そこで3人の天使たちが彼女のもとへ遣わされた。セノイ(en:Senoy)、サンセノイ(en:Sansenoy)、セマンゲロフ(en:Semangelof)という3人の天使たちである。天使たちは紅海でリリスを見つけ、「逃げたままだと毎日子供たちのうち100人を殺す」と脅迫したが、リリスはアダムのもとへ戻ることを拒絶した。天使たちがリリスを海に沈めようとすると、リリスは天使たちに答えて、「わたしは生まれてくる子どもを苦しめる者だ」、ただし「3人の天使たちの名の記された護符を目にした時には、子どもに危害を加えないでやろう」と約束したのである
男の子だったら8日間、女の子だったら20日間、私生児だったら一生の間、リリスはその運命を好きにすることができ、生かすも殺すも思いのままにできるようになりました。

 

 これ、どこかで似たような話を聞いたような気がしますね。

 そう、日本神話におけるイザナギとイザナミの離縁エピソードです。

 「古事記」で、黄泉の国でイザナミがイザナギと諍いを起こした際に「地上の人間を毎日1000人殺す!」と言ったらイザナギは「ではこっちは毎日1500人の人間が生まれるようにしよう!」と言い返した古代レスバトル

 子供を生み守り育てるものだというイメージの女性が、それを殺すことを叫ぶ。意外に感じるかもしれない。

 だが自然界では一部の動物が子殺しを行いますし、人間においても、近代以前は母親による子殺しも少なくなかったようです。

●近代以前の社会は母親の子殺しに割と寛容だった
 古今東西の記録や資料を探ってみると、ヒトは昔からかなり子殺しをしていることが分かります。しかも、母親自身による子殺し、嬰児殺が多いのです。もちろん、人を殺すことは世界中どのような社会でも悪いことだと考えられてきました。しかし、子育てが難しい状況での嬰児殺は、悪いこととはいえ、容認した社会がいくつもあったのです。近代の国民国家が立ち上がり、法律ができ、人権意識が芽生えると、殺人は全て罪になるのですが、それ以前の小規模で伝統的な社会では、一般の殺人と区別され嬰児殺が容認されてきたということです。

 日本神話でも、イザナギとイザナミの最初の子供であるヒルコは不具児だったため捨てられてしまいます。

 なお、ヒルコが不具となったのは、イザナギとイザナミが国産みをする際に「イザナミからイザナギに声をかけてしまった」ことで、道理に反したからだとされています。つまり「女性から男性に声をかけるのははしたない」という、どこか「不貞の子」というニュアンスを感じさせるエピソードです。

 いずれにせよ、「命をかけて子供を守る母親」というイメージは、人類が産めよ増やせよと繁栄するために作り出されたものであり、動物のメスに近い「ナマの女」にとっては、子供は単なる所有物であり、気に入らなかったら殺してしまっても良いというものだったのかもしれません。

 母親が子供を放置や虐待して死なせるという悲しいニュースが起こった際に、インターネットではフェミニスト達が「母親を責めるな」「男の責任はどうした」「こんなことが起こらないよう女性を保護しなければならない」と母親の無謬を強く主張し、父親や社会の責任を追求しだすのは恒例の光景となっています。

 極論ですが、まるで「女を尊重しなければ母親に子供が殺されるのは仕方がない」と言っているかのようであり、「要求を聞かなければ子供を殺す」という神話の女達の言動につながるものがあるように思えます。


生の文化と死の文化

 現在、フェミニズムが蔓延した先進国では押しなべて少子化が進み、その一方で、家父長制的な男尊女卑社会を崩さないイスラム教徒たちは高い出生率を保持し続け、移民として欧州にも勢力を広げ続けています。

 現在欧州の全人口の5%に満たないイスラム教徒の割合が、今後も合法的な受け入れが維持された場合、数十年以内に11%以上になるという調査結果が30日、発表された。受け入れが即時停止された場合でも増加は続くという。


 また、隣国でありフェミニスト達が「フェミニズム先進国」だと称賛する韓国は、日本以上の深刻な少子化と男女対立にあえいでいます。

 韓国社会は政府とエリート主導で儒教的男尊女卑からフェミニズムに「強制改宗」させられたといってもよい状況だが、フェミニズムは結婚・出産しないことを奨励する思想なので、こうなることは必然と言える。

 これらの状況を見る限り、結果としての数字や現象を冷静に評価するのであれば、フェミニズムを取り入れた先進国は自発的にその民族としての数を減らし続けており、いわば「セルフ民族浄化」していると言えるでしょう。

 『創世記』において、唯一神はノアと彼の息子たちを「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と祝福しました。実は女達を支配下に置き、その奔放さや自由を抑制するとされた家父長制こそが「生の文化」であり、それに抗うフェミニズムは「死の文化」なのです。

「他のヨーロッパの国の例を見れば、フェミニズムと死の間に直接的な関係があることは明らかでしょう。
フェミニズムは死の文化です。フェミニズムのせいで女性は子どもをつくらなくなったわけですから。子どもが生まれなければ、行き着くところは死しかありません」
エリック・ゼムール『女になりたがる男たち』

 「人間を殺す」と叫んでいたリリスがフェミニズムの象徴とされるのは偶然ではないのです。



リリスは何を望む

 聖書にしろ日本神話にしろ、こうしたエピソードは人間の原始的な営みの中から寓話や啓蒙として生まれてきたのでしょう。

 では、どうしてリリスは追放されたのか?

 また、どうしてこれまで主流となってきた、つまり勝ち残ってきた社会や宗教はすべて父権的な男尊女卑的な性質なものだったのか?

 アダムとイブは知恵の実を食べたことで神の怒りを買い、原罪を受け楽園を追放されます。この際、イブは蛇にそそのかされ、まず自分が知恵の実を食べ、次にアダムに渡し食べさせます。

しかし人間を神に背かせようとする蛇に唆されて、初めにイヴが、その次にイヴの勧めでアダムが知恵の樹の実を食べたことによって、善悪の知識を得たアダムとイヴは、裸の姿を恥ずかしいと思うようになり、イチジクの葉で陰部を隠した。
この出来事により、人間は必ず死ぬようになり、男には労働の苦役が、女には出産の苦しみが、もたらされるようになった。蛇は神の呪いを受け地を這いずることになった(蛇に足が無いことの起源)。

 このイブに知恵の実を食べるようにそそのかした蛇はリリスが化けたものだという説もあります。

 先程挙げた、フェミニストのメアリー・デイリーの言葉を借りれば、イブは『罪』を犯し、結果として父である神を怒らせ罰を受けて楽園から追放され、現世に『存在』することとなった。

 フェミニズムとは、男性(アダム)に従う貞淑な女性(イブ)をそそのかし、父である神にさえ背く奔放な女性(リリス)であるフェミニストに変えてしまうものなのかもしれません。

 人間には原罪があるため、私たちは今もその罪を償っている。しかし、一つ言えることがある。男性と女性は、この失ったものに対して責任を負い、この二つは分断できないほど密接に繋がっていること。そして、互いに愛し合い、協力することができれば、その損失を取り戻す希望を見出せるだろう。

 果たして、現代において女性解放運動の象徴となった『リリス』は何を望むのか?


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