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母の日が嫌いな私に、Canvaがくれたやさしさ

母の日が嫌いです。

でも、そのことを他の人に話すことはありません。

話すどころか、態度に出すこともしてはいけない。

いや、許されないのです。


私には、母の日が嫌いな理由があります。

私の母は、決して良い母親ではなかったように思います。

最近の言葉でいう「毒親」と呼ばれる要素を、ほぼすべて持ち合わせているような女性でした。

そのような家庭環境でしたので、小さな頃から医者や警察・公的な機関にお世話になることも少なくありませんでした。

結果、私は母親と絶縁することを選び、家族は一家離散の道を辿りました。


安定した生活に戻るには、時間が必要でした。


学校でも、職場でも、五月になれば共通の話題として「母の日」が現れます。

「母の日、お母さんになにを贈るの?」

「お母さんは元気にしてる? たまには顔も見せてあげないと」

そんな質問や会話が溢れる一日が、辛かった。

学校も仕事も全部休んで、家に一日引き籠っていたかった。


別に質問をしている人が悪いわけではありません。

円滑なコミュニケーションを行うためには、共通の話題が必要なのです。

母の姿を思い出すたびに吐き気がしても、心にあるカサブタが剥がれても、その会話を笑って受け流すくらいには、成長していきました。


絶縁して六年が経った頃、私は訪問介護事業所で勤めていました。

働いている職員は、私の母親と似たような年代の女性が多かったです。

五月になると、予想通りに職場では「母の日」の話題で盛り上がっていました。

「ねぇ、母の日にはなにを贈ったの?」

こう言われたときは、適当に笑って話をごまかすことにしていました。

「はは、何も贈っていません」

変に嘘をついて贈ったと言えば、どこのなにを贈ったのか、どこの店だとか、話題が広がります。今までの経験から、贈っていないというのが一番マシな返答でした。

同僚の女性は、私の返答が気に食わないようでした。

「あら、それはだめよ」

「……そうですよね。なにか贈らないと、ですよね」

「ここまで育ってきたのはお母さんのおかげでしょ? うちの息子はカーネーションを毎年くれてね、今年は可愛いギフトセットまでくれてね」

「いい息子さんですね」

「そうなのよ。もらったら嬉しいものよ。あなたもいい大人なんだから、それぐらいのことはしてあげないと。親不孝よ」

親不孝という言葉に、トゲがある。

この人はいったい自分の家族のなにを知って、こんなことが言えるんだろう。

「来年はまた、考えます」

無理やりに話を終わらせ、別の現場に行きました。

するとまた別の同僚から「母の日は何を贈るの?」と聞かれるのです。

何度も何度も繰り返し、渡す相手のいないプレゼントの内容を聞かれるのは、苦痛です。

事務所に帰ったら「介護の仕事をしているのに親不孝もの」と陰口を言われるオマケまでありました。


あげれるものなら、母を許してあげたい。

切った縁をまた結んで「ありがとう」と笑い合えたら……そう願うことも未だにあります。

絶縁して全てが解決するわけでは、ありませんでした。

その存在に怯え、思い出し、悩み、それを乗り越えようと藻掻き続けている毎日。

そのなかで「母の日」という言葉は思いのほか私を苦しめるイベントとなっていました。


「母の日は嫌いです」

そうはっきり言うことは、できませんでした。

そこで議論をすることも、場の空気が悪くなることも、同僚の幸せそうな気持ちに水を差すのも嫌だったのです。

多くの人にとって、喜ばしい日。

自慢をしたい日。相談したい日。感謝をする日。

それが「母の日」なんですから。

今年も同じように、この気持ちにフタをするだけ。


そう思っていた矢先、メールが届きました。

送り主は、普段noteでもお世話になっているグラフィックツール・Canvaでした。


まもなく「母の日」ですが、一部の人にとってはつらい気持ちになることもあるかもしれません。そのため、Canvaからの「母の日」メールを配信停止にするオプションを提供しています。(Canva公式メールより)

企業からこんなメールが届いたことは初めてでした。

大切な人と死別した方々や、もしかしたら私のような人間に向けて、このようなオプションを提供してくれているのかもしれません。

ただの企業からのメール。

簡単に言ったらそうなのですが、なぜか私はとても救われた気持ちになりました。

「母の日」がつらくなる人がいてもいいと、認めてもらえたような気がしたのです。

母の日は幸せで、感謝に満たされていなければならない。

どこかそう思うことを強制されているような息苦しさがありました。

そのなかで「つらい気持ちになることもあるかもしれません。」と考えていただけたことに、あたたかさを感じたのです。

クラスメイトにも、同僚にも、想像してもらえない傷口を、慮っていただけたことに救われたのです。

母の日をつらい気持ちで迎えても、いいんだ。
自分だけじゃないんだ。

受け取るメールを選択することができる。
見たくないものを、見ないようにすることできる。

私の勝手な想像や妄想かもしれません。

だけど、Canvaさんから届いたメールには、確かにやさしさがあふれていました。


Canvaさん、ありがとう。


#やさしさを感じた言葉

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