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『十二単を着た悪魔』は生まれるのが早すぎた女性の話

11/6から公開されている映画『十二単を着た悪魔』。源氏物語好きとしては見逃してはならぬと張り切って観てきました。

映画『十二単を着た悪魔』って?

・自動車事故で問題を起こして話題になっている俳優、伊藤健太朗さんが出演している
・脚本家、小説家の内館牧子さんの小説が原作
・監督は黒木瞳さん
・NHKの夜ドラ『いいね!光現実くん』に出演していた伊藤沙莉さんが出演している

↑などなど、気になる要素が満載です。
「小説が原作ならそっちも後々楽しめそうだな〜」とか「女性監督なら、下品な雰囲気にしないかも…」と思いながら、観てきました。周りに源氏物語好きがおらず感想をシェアできないので、せめてここに記録しておこうと思います。ネタバレが存分に含まれるためこれから観に行く予定の方はご注意ください!! 「観に行く予定はないけどどんな話なのか気になる」人には参考になるかもしれません^^

映画『十二単を着た悪魔』を観た感想

◆俳優さん、女優さんが素敵!
主演の伊藤健太郎さんの役は、不甲斐ない日雇い派遣生活を送る若者。伊藤さんの過去の役や普段の雰囲気を知りませんが、今回の役の雰囲気にはとても合っているように感じました。若者感や不甲斐ない感じがすごく自然。女優さんたちも役のイメージにうまくハマるビジュアルの方ばかり。唯一、六条御息所だけは少し雰囲気が若々しいなあという印象でしたが、ミステリアスな空気感はかなり魅力的。
◆スリップ(トリップ?)した感を感じさせる演出が良かった
題材は何であれ異世界にトリップしてしまう設定の映画はたくさんありますが、主人公がすぐにその世界に慣れてしまうことにいつも違和感がありました。今回の作品はスリップ先での主人公の見た目や振る舞いに違和感がなく、演出に好感が持てました。主人公が現代に帰ってきた後、平安時代の言葉遣いや作法がなかなか抜けない演出もリアリティがあって良かったです。
◆「スリップ」(トリップ?)の演出、もうちょっとどうにかならないものか
特に最初の「現代から源氏物語へ」のスリップの演出、なんだか安っぽいというかちゃちいというか、もうちょっとなんとかできないのかなあと思ってしまいました。。もちろん実際はとても難しいことなのでしょうけど…。
◆弘徽殿の女御と朱雀帝サイドに寄せ切った視点が新鮮!斬新!
これまであまりフォーカスされてこなかった脇役(弘徽殿の女御)に思いっきり光を当てている点が新鮮。この視点から見ると源氏物語の設定がこれまでと違った風に見えてきます。特に、「桐壺帝(光源氏の父)→愚帝」「桐壺(光源氏の生母)→出世狙いのあざとい女」「光源氏→ただのエロガキ」「藤壺(光源氏の継母で想い人)→したたかな女」という感じ(筆者主観)で、光源氏サイドの人間をすべからく悪く描いている点が斬新。「そこまで悪く描かんでも」と思う節もないわけではありませんでしが「まあ、弘徽殿サイドから見ればたしかにそう感じるよな…」という妙な納得感も。私の大学時代にも「光源氏、大嫌い」と言うゼミの同級生が何人もいましたが(源氏物語を研究する中古文学ゼミだった)、みんな今回の映画に「よく言ってくれた!」と思っているんじゃないでしょうか……。
視点を変えると同じ物語でもこうも捉え方が変わってくるものなのですね。評価や善悪なんて、しょせん相対的なものでしかないんだよなと改めて実感した気がします。
◆伊藤健太朗さん扮する偽陰陽師の妻が、出産で命を落とすストーリー展開にリアリティがある
偽陰陽師の妻の役を務めた伊藤沙莉さん。「いいね!光源氏くん」にも出演されていたのできっと今度も重要な役なのだろうと思って見ていたら、けっこうアッサリ死んじゃってびっくり。とはいえ、この時代、出産で死ぬ女性は決して珍しくなく、逆にリアリティを感じました。鑑賞後、気になってちょっと調べてみたら平安時代の出産時の死亡率は2割前後、というのが通説のようです(※)。

※『栄花物語』全40巻中の出産シーンを研究したところ、47人の妊産婦のうち11人の死亡例(23.4%)があることが明らかになっているそうです(佐藤千春『栄花物語のお産』日本医事新報)。『栄花物語』とは平安時代の歴史物語。基本的に史実に基づいて書かれていることから、当時の貴族の出産の実状に近いと思われます(栄養状態・衛生状態がさらに落ちる庶民はもっと死亡率が高いと筆者は想像します)。
◆下品さがなくて安心しました
源氏物語は性愛の文学だとかエロの文学だとかいう解釈を否定はしませんが、あまりに下品に編集した作品に対し、個人的には正直、良い気持ちはしません。今回の映画でも性的描写は若干ありましたが下品さを感じませんでした。良かった。

原作も読みました

映画館からの帰り道、本屋さんで原作も購入しました。思ったより分厚く「あれ、こんなに内容濃かったっけ…?」と疑問に思いましたがそれもそのはず、映画のストーリーは原作の半分くらい。大筋は変わりませんが、かなり端折られている印象。
とは言っても、悪い意味ではありません。原作をそのまま詳細に映像で再現したら、難解過ぎてたぶん鑑賞者はついてこれません。映画は万人向けですが、原作の小説の方は「多少は源氏物語を知っている人」向けだと感じました。逆に、原作を知っていて映画を観た人は「物足りない」と感じるような気がします。
ちなみに映画を観ている最中に「ん?なんか変だな」「セリフ、矛盾していない?このタイミングでこんなこと言うかな?」と思った箇所がいくつかありましたが、原作を読むと納得できました。ストーリー展開に違和感があった人は原作を読むのがおすすめ。きっと腑に落ちます。

原作と映画の違い(ざっくり)

いくつもありますが、大きいのは、映画版にほぼ登場しない光源氏、桐壺帝、藤壺なども原作ではちゃんと登場する点です。また、作中、主人公は陰陽師を自称して周囲の人を誤魔化しますが、映画の演出では「陰陽師について詳しくない」という設定でした。原作では逆に「そこそこ詳しいからこそなりきれた」ことになっています。このような点からも、映画化に際し、原作の細かい部分をそぎ落とし設定やストーリーをシンプルにし、「わかりやすさ」を優先したと理解しました。

映画と原作の両方を楽しんだ私の結論

勝手を言わせてもらうと、原作の方が面白いです。主人公が人間的に成長していくストーリーも原作の方が深みがありますし、登場人物たちの台詞も厚みがあって、ふと考えさせられてしまうことが何度もありました。名台詞は映画でも使われていますが、前後が端折られているので伝わりきらなかったような気がします。弘徽殿の女御を「平安時代ではなく現代に生まれるべき女性」と評している点や、当時と現代の価値観の差なども、原作の小説の方がより深く描かれていて興味深かったです。

また、「弘徽殿の女御サイドにフォーカスする」点は映画も原作も一緒ですが、原作の小説では作者が主人公の口を借りて源氏物語の作者である紫式部に言いたい放題文句を言っている感が強く、そこも個人的にはツボでした。あまりの言いように何度も「そこまで言うか」と笑ってしまいました。光源氏は今でいうならセックス依存症だとか、光源氏の周りにいる人間はほとんど全員問題がある(うろ覚えです、すみません)とか。とはいえ、これも作者が源氏物語に対して並々ならぬ愛着を持っていることの証拠だと思い、なんだか私も嬉しくなりました。

さいごに

補足しておくと、映画が面白くなかったということではありません。映画があったからこそ原作とも出会えましたし、映像だからこそよりリアルに伝わる部分もありました。色とりどりの着物も綺麗だったし、当時の暮らしぶりもリアルに感じられて、思いっきり平安時代の空気に浸れました。あ〜楽しかった^^この映画をきっかけに平安時代や源氏物語に興味を持って私と一緒に語り合ってくれる仲間が増えたら嬉しいな〜。

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