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短編vol.9「愚者の都々逸」

【登場人物】
隠居
八五郎

ご隠居が縁側で煙管をふかしていると、
左官屋の八五郎が血相変えて走ってくる。

八五郎 ご隠居!
    こんち!
隠居  ああ……八っつぁんか。
    久しぶりじゃないか。
    今日はどうしたんだい?
    酒かい?
    囲碁かい?
    金の普請かい?
八五郎 いやだなぁ……ご隠居。
    それじゃあまるで、
    あっしがそれしか知らねぇみてぇじゃねぇですかい。
隠居  違うのかい?
    じゃあ何しに来たんだい?
八五郎 いやぁ……それがぁ……あんまり良くねぇんで。
隠居  やっぱり金かい? 借金かい?
八五郎 ちょちょちょ……ご隠居。
    あっしがならず者みたいな言い方はやめてくだせぇよ。
隠居  違うのかい?
八五郎 へへへへ。
隠居  何なんだい?
    早く言いなさい。
八五郎 実は……事と次第によっちゃ……。
    夜逃げをしなきゃならねぇかも知れねぇんで……。
先生  夜逃げ? 
    こりゃ穏やかじゃないねぇ。
    金じゃない……女にゃ縁がない。
    するってぇと……見当が付かないね。
    訳を云ってごらん。
八五郎 へい。
    実は……あっしンところの娘っこなんですがねぇ……。
先生  あぁ……よく覚えてるよ。
    小さい頃うちの前でよく遊んでいたねぇ。
    親に似ず本当に可愛い子だ……良かった良かった。
八五郎 へへへ。
    それがねぇ……近頃……変なものにハマっちゃいまして。
隠居  大麻かい?
八五郎 ご隠居!
    うちの娘っ子幾つだと思ってるんですか?
隠居  冗談だよ。
    で……何にハマってるんだい?
八五郎 いやぁ……それが……ね……何て言うんでしょうかね。
    あの……みんなでトグロ巻いてパッパッと札ァばら撒いてるやつ?
隠居  花札かい?
    娘さん賭場にはまったか?
八五郎 だから!
    うちの娘っ子幾つだと思ってるんですか!
    ほら……あれですよ。
    札をいっぱい持ってるやつが。
    「なんとかの~なんとかがぁなんとかでぇ~」
    てな具合で訳のわからねぇ都都逸唄ってるやつ。
隠居  お前さん……そりゃぁ百人一首じゃないかい?
八五郎 お! そうそうそう!
    さすがご隠居なんでも知ってるね。
    無駄に年取ってないね。
隠居  帰ってもらおうかね。
八五郎 まぁまぁまぁ。
    で……その百人なんちゃらって……。
隠居  百人一首。
八五郎 そうそう。その百人一首の唄の中で色男の唄があるでしょ。
隠居  色男? 
八五郎 へぇ……色男です……ああ……何でしたっけ。
隠居  お前さん……百人一首で色男って言えば……。
    そこら中誰でも知ってますよ。
八五郎 そうなんですか?
隠居  お前さんも知ってるはずだよ……その色男。
八五郎 そうなんですか?
隠居  ほら……名前は……なんとかのなんとか……みたいな。
八五郎 へぇ……あの……あ……そう在原業平……。
隠居  正解。
    在原業平。
    これは知ってなきゃ駄目だよ。
八五郎 へぇ……さすがご隠居。
    で……その……ヒラヒラ公の唄なんですがね……何でしたっけ。
隠居  え?
八五郎 何でしたっけ……百人一首にあるヒラヒラ公の唄。
隠居  情けないね。
    在原業平の唄を知らないのかい?
八五郎 娘っ子が何度も家で唄うんで、
    さっきまで覚えてたんですけどねぇ。
    ご隠居知ってますかい?
隠居  当り前じゃないかい。
    「なんとかのぉなんとかなとかのなんとかしたぁ」
八五郎 あ! そんな感じです。
隠居  この唄は……そこら中誰でも知ってますよ。
八五郎 そうなんですか?
隠居  私が言うのは簡単ですけどね、
    少しは人にモノを聞く前に思い出してみなさい。
八五郎 へぇ。
    えっと……えっと……あ!
    「千早振ちはやぶる神代もきかず竜田川
    からくれないに水くくるとは」
隠居  正解。
    「千早振ちはやぶる神代もきかず竜田川
    からくれないに水くくるとは」
    これは知っていなきゃ駄目だよ。
八五郎 へぇ……さすがご隠居。 
    で……その唄なんですよ。
    あっしの夜逃げの訳ってぇのは……。
隠居  え? 
    この唄が原因で夜逃げをする? 
    こりゃ……皆目見当がつかないね。
    訳を云ってみなさい。
八五郎 へい!
よ    くぞ聞いてくださんした。
隠居  なんだい芝居がかって。
八五郎 へへへ。
    実は……あっしがさっき仕事から帰ったら、
    うちの娘っ子がこの唄の訳を教えろ教えろってせがむんですよ。
隠居  教えてやったらいいじゃないかい。
八五郎 いやいやいや。
    そう簡単におっしゃいますがね。
    あっしは自慢じゃねぇですけどね、
    学と名のつくものとはてんで縁がない。
    都都逸なら少しぁ知ってますがね。
    こんな小難しい唄……まるっきりお手上げ。
    でもね……こんなバカなあっしでも親でござんすからね。
    わからねぇってぇのも癪に障るじゃござんせんか。
    だからね。
    「便所からでたら教えてやるよ」
    って言って便所に逃げ込んだんですよ。
    まぁ……そうこうしてる内にあの娘、
    家に帰っちまうだろうと思って、
    便所の戸をこっそり開けたんですよ。
    そしたら……まだ居るじゃぁねぇですか。
    よく考えたら……あっしの娘だから
    嫁に行くまで家に居るんですよ。
隠居  相変わらずの馬鹿だね。
八五郎 まぁ……そうなると……あっしはあいつが嫁に行くまで、
    便所から出られなくなる。
    そう言う訳もいかないから……
    便所の窓から抜け出てきたんですよ。
    でも抜け出して来たら来たでうちへ帰ることもできゃしねぇ。
    こうなったら……もう……夜逃げしか残っちゃいねぇんですよ。
隠居  呆れたねぇ。
    つまり早い話しが在原業平の唄の意味が分からないから、
    夜逃げしようって言うのかい?
八五郎 へぇ。
隠居  じゃあ……なんだい。
    その訳が分かれば夜逃げなんぞしなくていい寸法じゃないか?
八五郎 へぇ……え!
御隠居……教えてくれるんですかぃ? 
    どういう唄なんです?
隠居  えっ? 
八五郎 さすがご隠居……何でも知ってますね。
隠居  ははは。
    唄の意味?
    ははは……そんなの……そこら中誰でも知ってますよ。
八五郎 おねげぇしますよ。
    馬鹿なあっしに教えてくだせぇよ。
    この通りです。
隠居  まぁ……そこまで頭下げられちゃぁねぇ。
八五郎 あざっす!
隠居  唄の意味ねぇ……。
八五郎 どういう意味なんですか?
隠居  どういう……ったって……それはお前さん……その……
    千早振るってんだろ?
八五郎 へぇ……。
隠居  千早振るって言うんだよ。
    神代も聞かないんだよ。
    そうなるとどうしたって竜田川ですよ。
    つまりねぇ……からくれないってくればね。
    そうなりゃ終いにみずくぐる……ということになるわけですよ。
八五郎 へぇ。
隠居  これだと……分らない?
八五郎 へぇ。
隠居  ……お前さんいいかい?
    千早振る……あぁ♪……神代もきかず竜田川……
    ああ♪……こりゃこりゃ。
八五郎 へぇ。
隠居  これだと……分ら……。
八五郎 分りません。
隠居  (咳払い)
    いいかい?
    お前さんはこの竜田川をないがしろにしている。
    竜田川ってぇのはなんだと思う?
八五郎 え? 
    ないがしろ?
    竜田川が何だって?
自慢じゃねぇですが丸っきり分かりませんよ。
隠居  素人考えでもいいから何か云ってごらんなさい。
    馬鹿でも想像力てぇものがあるでしょう。
    竜田……川……川の名前だと思うだろう? 
    どうだい? 
    思うだろう? 
    川の名前だと思いなよ。
八五郎 川の名前だと思います。
隠居  不正解。
    そこが畜生のあさましさですよ。
八五郎 なんだよ。
    ご隠居がそう思えって云ったんじゃないですか。
    じゃ……いったい何なんですか?
    その竜田川てぇのは?
隠居  これはね……相撲取りの名ですよ。
八五郎 へぇ? 
    竜田川? 
    あんまり聞いたことがありませんねぇ。
隠居  そりゃそうですよ。
    江戸時代に活躍した力士ですからね。
    大関にまで昇り詰めた大層立派な力士ですよ。
八五郎 へぇ……そりゃ大したもんだね。
隠居  強いったって初めから強いわけじゃない。
    竜田川も相撲取りンなったからにゃぁ
    何とか三役になりたいってんでね、
    神信心をして五年のあいだ女を断った。
    その甲斐あって大関まで出世したんだよ。
八五郎 へぇ……そりゃ大変だ。
    あっしなんざ……五年は愚か……五日だってもちゃしませんよ。
隠居  竜田川は大関にまで出世して、
    そのお陰で贔屓も沢山付いて人気は上がる一方。
    そんなある日のこと。
    贔屓の衆に連れられて吉原へ夜桜見物。
    遊郭てぇものはただでさえ明かりの入るのが早い。
    両側の茶屋は昼をあざむくばかり。
    月は満月。
    桜は盛り。
    げに不夜城の名……空しからず。
    ベンベン
八五郎 ご隠居のってますね。
隠居  竜田川が茶屋から仲之町に目をやると、
    花魁道中が通りかかった。
    第一番にナニ屋の某、
    第二番にナニ屋の某と、
    先を争い飾り競って出てくるのは、
    いずれ劣らぬ花比べ。
    ベンベン
八五郎 よ!
隠居  第三番目にあたって、
    辺りを払うばかりの一文字、
    一際目立つあで姿……いま全盛の千早太夫のご登場!
八五郎 よよっ!
隠居  チャンランチャンランチャンラン。
八五郎 え……なんすかそれ?
隠居  これは清掻きという三味線の音ですよ。
八五郎 へぇ……どうぞ続きを。
隠居  そんなこんなで、
    これが竜田川と千早太夫との出会いでございます。
    竜田川は千早太夫の姿を一目見ると、
    「あぁ……世の中にあんないい女がいたのか……
    おれも男と生まれたからには、
    たとえ一晩でもああいう女と杯のやり取りをしてみたいものだ」
    と……竜田川が言うと。
    贔屓の衆のひとりが、
    「吉原の女は売りモノ買いモノ。
    金を積めばどうにでもなりますよ」
    それを聞いた竜田川さっそく花魁に掛け合ってみましたが、
    太夫ともなると職人だの芸人だの相撲取りだのの所には
    出てきません。
    それでも竜田川……惚れた弱みで通い詰めましたが……
    ずっと振られ通し。
    さて……この千早太夫の妹女郎で神代太夫いうのがおりまして、
    これがちょいと千早に面ざしが似ていたので、
    今度は竜田川……この神代に話しをつけようとしましたが、
    神代も「姉さんの嫌なものは、わちきも嫌でありんす」
    と……これも云うことをきいてくれなかった。
八五郎 へぇ……女郎買いに行って振られて帰るなんてぇのは、
    切ねぇもんですねぇ。
隠居  せっかく大関に登り詰めても、
    惚れた女ひとり口説くこともできなかった。
    それが原因で力士を続けるのが嫌になって、
    相撲を辞めて豆腐屋になりましたとさ。
八五郎 え? 
    なんですか?
    おかしいじゃねぇですか。
    振られてやけになったからって……なんで豆腐屋なんですか?
    展開が急すぎやしませんか?
隠居  展開が急……まぁ……この竜田川の故郷の商売が豆腐屋
    だったんだよ。
八五郎 ああ……なるほどそうですかい。
    ちょっと強引ですけどね。
    どうぞ続けてくだせぇ。
隠居  故郷に戻った竜田川を見ると、
    年老いた両親は喜んだ。
    「せがれや。よう帰って来てくれた。
    これからは家で一所懸命に仕事に精出しておくれ」
    「はい。これからは親孝行いたします」
    ベベン。
    月日の経つのは早いものでございます。
    竜田川が故郷に戻ってはや三年のある秋の夕間暮れ。
    翌日の豆腐の豆を挽き終わって、
    竜田川が一服つけていると、
    そぼろを身に纏った女乞食が竹の杖にすがって、
    「あのぅ……2・3日……何も口にしておりませぬゆえ、
    ひもじゅうてなりませぬ。
    どうぞ……お店先の卯の花など、少しばかり分けては
    いただけませぬか」
    もとより情け深い竜田川。
    「こんなもので良かったら、いくらでもお上がンなさい」
    と……おからを握って差し出す竜田川。
    「ありがとう存じます」
    と受取ろうとする女乞食。
    見上げ見下ろす、互いに見交わす顔と顔!
    ベベンベンベン!
八五郎 イョー待ってました!
隠居  お前さん。
    この女乞食誰だと思う?
八五郎 え……誰なんです?
隠居  ベベン!
    な……なんと……この女乞食は千早太夫のなれの果て!
八五郎 ちょっとちょっと!
    いい加減にして下さいよ。
隠居  なんですか……ここからが見せ場なんだよ。
八五郎 いやいやいや。
    大関が急に豆腐屋になったり、
    全盛を極めた太夫が乞食になったり.
    ちょっと……今度ばかしはその展開はちょっと……。
隠居  なんだい?
    物言いかい?
    いいんだよ!
    本人がなりたいってんだから。
    大関が豆腐屋になっても、
    大夫が乞食になってもいいんだよ! 
八五郎 へぇ……そうですか……どうぞ続けてください。
隠居  (咳払い)
    因縁というものは恐ろしいもので、
    女乞食にまで身を落とした千早が、
    こともあろうに竜田川の店先に現れる。
    さぁここで問題です。
    お前さんならこの時……千早に卯の花をやるかい? 
    やらないかい?
八五郎 え……そうっすね。
    あっしならやりません……癪に障るじゃありませんか。
隠居  正解。
    千早と目が合った竜田川は烈火の如く怒り。
    「お前のお陰で俺は大関の座を捨てたんだ! 」
    と……手に持った卯の花を地べたに叩き付けると、
    逃げようとする千早の胸をドーンと突いた。
八五郎 スカッとするね。
隠居  突いたのは関取衆の中でも大力無双と云われた竜田川、
    突かれたのは2・3日何も食ってない女乞食
八五郎 はははは……どこまで飛びました?
隠居  豆腐屋に付き物の大きな井戸に背中からドーンとあたると、
    そのまま井戸の水の中にドボンと落ちて、はかなく息は
    絶えにけり。
    チャンチャンチャン。
八五郎 こいつぁ面白くなって来ましたね。
    その井戸から千早の幽霊が出て、
    竜田川に仕返ししようってんでしょ?
隠居  いや。
    話しはこれでおしまいだよ。
八五郎 えっ? 
    そんなバカな。
    それじゃあんまりあっけないじゃねぇですか?
    千早が井戸に落ちて終いって……。
隠居  うるさい。
    お前さんがゴネてもこれでお終いなんだよ。
八五郎 へぇ。
隠居  いいかい?
    吉原で千早に一目惚れした竜田川が千早のところへ通い詰めたが、
    振られちまったろ? 
    だから「千早振る」じゃないかい?
八五郎 えぇっ? 
    なんですか? 
    今までの話し……ヒラヒラ公の唄の意味だったんですか?
隠居  いいかい?
    千早が振った後で妹分の神代に話しをつけようとしたが、
    神代も云うことを聞かなかったから、
    「神代も聞かず竜田川」となるだろう。
八五郎 へぇ。
隠居  で……三年後に女乞食に落ちぶれた千早が、
    竜田川の豆腐屋の店先に立って「卯の花をくれ」つまり、
    「おからをくれ」と言ったけれど、
    竜田川はやらなかったろう? 
    だから「からくれない」じゃないかい。
八五郎 へぇ……なるほど。
    おからくれない……「からくれない」とは……。
    でその後は?
隠居  井戸へドボンと落ちれば、
    「水くぐるとは」ですよ。
八五郎 はぁぁ……そりゃぁどんなに身の軽い女だって井戸へ落ちりゃぁ。
    いっぺんくれぇは水をくぐりますよねぇ。
    いや……さすがご隠居。
隠居  まぁ……それほどのことじゃないですよ。
八五郎 あ!
でも……あれですねぇ。
    水をくぐるってぇ話しなら、
    「水くぐる」でいいじゃぁねぇですか。
    最後の「とは」ってのは何なんですか?
隠居  お前さんもいじましい男だねぇ。
    「とは」くらいまけときなよ。
    八五郎 いやいやいや。
    まかりゃしません。
    教えてくださいよ……ご隠居。
    その「とは」はいかに?
隠居  「とは」てぇのはね……後でよく調べてみたら、
    千早の本名でございました。

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