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「無自覚なキャバクラ療法」を繰り出していた心療内科研修医が、気づきを得る話【後編】

前編はこちらから↓

 幸か不幸か、前編を書きあげた後に、当時の日記が出てきた。おかげさまで記憶が鮮明になったし、私の中でも良い方向に記憶が修正できた。
(まぁ、思い出さなくていいことも、思い出したけども)

 研修施設では、カンファレンスが二段構えになっていた。具体的には4、5人程度の小規模カンファレンスで治療方針を確認 →  難しい症例は全員参加のケースカンファレンスに提出 という流れだ。
 小規模カンファは、上級医、臨床心理士、研修医、心理研修生のチームになっていて、それぞれの立場から意見交換をする。研修医は担当患者全員についてサマライズして共有するので、事前資料の作成が必要になる。

 事前準備の段階での私の疑問は、ひとつ。
「Bさんは腹痛が良くなっていそうなのに、私が尋ねると『痛い』というのは何故だろう」
 この疑問を引っ提げて、カンファに臨んだ。

 前述のBさんとのやりとりを報告し、疑問を口にしたところで、上級医の表情に気づいた。もともと、ユーモアのある医師だが半目で半笑いだ。臨床心理士の先生も物言いたげな表情でこっちを見ている。
 上級医X先生が、徐に口を開いた。

「……それ、あもう先生自身が腹痛の持続因子になってる可能性、ない?」
「……え?」
「つまり、君に触って欲しくて、『お腹痛い』って言い続けてない?
「!!?」 

 絶句。
 え、そんなことある?
 いや、そんなこと……あるなぁ!
 私はいつだったかの診察場面を思い出していた。Bさんは、私の手を握ると自分の腹部に当てた。
「妻にもよくこうして温めてもらうんです」
 このときも、お茶に誘われたときのような違和感を感じたけれど、
「痛いところに手を当てるというのは、医学的にも痛みを和らげる効果があるんですよー」
 と別の話題に逸らすことで、その違和感を掘り下げなかった。

「あ、ぁあー……そういう、腹痛」
「実際、腹は痛いのかもしれないよ? でも、先生に訴えていることには意味があると思う」
「私も、何かおかしいなとは思っていたんですけど……」
「まあ、悪くはないんじゃない? 客とキャバ嬢みたいになってるけど

 あまりに直截的な喩えに、私を含めて皆で笑った。そうすると、新たに疑問点が浮上した。

「あの、サマリにも書いたんですけど、Bさんはもともとお母様から男女関係に厳しく育てられた方みたいなんですけど」
「だから、よけいに、じゃないですか?」

 今度は心理士のZ先生が答えてくれた。

「本来、触れてほしいとか抱きしめてほしいとかいう欲求があったら、そのまま『ハグして』とか言えばいいんですよ。でも、Bさんは本来甘えていい対象の母親から厳しく教育された。だから、その台詞は言えない。でも触れてほしい。そうなったら、『ケアしてもらえる立場』になるしかない
「つまり、『お腹が痛いなら、ケアしてもらえる』と」
「痛みを手放すとケアが受けられないなら、『治りました』とは言いにくいでしょうね」

 さまざまなピースがあるべき場所に収まるような気がした。急いでメモをとっていると、X先生が追撃をかけてきた。

「まぁ、あもう先生の無自覚キャバクラ療法とは相性が良かったんだろう。但し、治療は意図的にしないと患者に振り回されるし、患者さんも困る」

 この言葉は耳が痛かった。実際、退院予定は来週に迫っているのに、Bさんからは「全然良くなっていない」「こんなのじゃ、帰れない」と退院拒否をされていた。

「つまり私がすべきことは、お触り禁止(症状のセルフマネージメント)と閉店時間(退院時期)を把握してもらって、『元気出してねっ』ってエンパワメントして帰っていただくこと、ですか」
「そこまで乗っからないでいいですよ」

 最後にZ先生に釘を刺され、小規模カンファは終わった。そして、この症例は全員参加のケースカンファレンスに出すことになった。

 ケースカンファレンスは若手が症例提示をし、自分でディスカッション・ポイントを決める。私は交流分析を用いて、こう記した。

「ご本人からはNP(思いやりやケア)を求められているように感じます。しかし、A(客観性)でのやりとりに持ち込もうとすると、CP(こうあるべきという態度)で抑えこもうとされます。どうすれば良いでしょう」

 これだけで理解できる層もいると思うけれど、小規模カンファ後のやりとりを含めて、あえて説明してみる。
 Bさんからは「お腹を触って、痛みがあることを知って、治してほしい」と望まれている。
 けれど、痛みに対して私が撫でて治し続けるわけにもいかないので、治療上、Bさん(もしくは協力的な家族)による痛みのセルフマネージメントが必要になる。
 実際、バリウムで評価した通過障害は入院時に比して改善しており、腹痛時には私の手ではなくBさんの手を腹部に当て、セルフマッサージに持ち込もうとした。
 すると、「僕ではできません」と、「僕は君からケアされるべき立場なんだから、君がしなさい」という構図になってしまった。

 これに対し、各職種から様々な意見が出たけれどそれは守秘義務の観点から割愛する。
 結果的に、「退院後は別の男性指導医が担当する方が良かろう」ということで、X先生が担当することになった。程なく症状は落ち着き、「もう結構です。あとは自分で何とかします」と話して、Bさんは心療内科を去っていかれた。

 このケースからの学びをあげるならば、

「治療において、患者との関係性に無自覚であってはいけない」

ということだ。
 医療行為であっても、私の行動は患者の治療に影響し、症状にどう波及するのかを見極める必要がある。
 Bさんにとって、私は症状を和らげる治療者ではあったけれど、Bさんが日常生活に戻るために本当に必要だったのは、「痛みを訴えずとも、自分がケアしてもらえる環境」だろう
 
奥様との関係性は悪くなさそうだし、奥様からのケアで良くなっていればいいなぁ。
 
その後のBさんの安寧を、遠い空の下祈っている今日この頃である。

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