見出し画像

Procrastination & dispassion 先延ばしと執着を手放す

今月のヴェーダーンタ勉強会。

◆嫉妬や嫌悪感を手放す

嫌悪感や嫉妬が、内側の汚れになる。それらを溜め込むことで辛くなってしまう。プラティ・パクシャ・バーバナは、仏教徒の間ではよく知られる、嫉妬を祝福に変換すること。
嫉妬とは、相手が自分に無いものを持っていたり、自分に出来ないことを為していることに対して生まれる。つまり、相手の「それ」に対して、自分が価値を見出している。相手にそれがもたらされていることを、祝福する。この祝福を、バーバナという。私が嫉妬するもの=価値があるものが相手に授けられたことに、感謝する。その想い方に換えることで、嫉妬を中和する。このように、反対のことを持ち込むことが、プラティ・パクシャ。嫉妬も嫌悪感も、反対にバーバナに変換して、愛・慈しむ心にする。

・・・え。無理じゃない??却って辛くなっちゃいそうじゃない??
と勉強会で。それはそうで、一足飛びには難しい。「まじほんとムリ・・」という相手に対しては、自分がもっと傷ついたり、逆効果になる場合もありそう。まずは、距離と時間を置くのが良いかも。自分の安全・安定を確保したうえで、自分の中の汚れや閊えを手放していく。

負の感情を軽くするために、相手だけではなく、相手の背景、全体を観る練習として、イーシュワラについて学ぶ。

◆「先延ばし」と「後回し」の違い

・先延ばし Procrastination
-やらないといけないのにやってない・「今やりたくない」以外の意図がない・罪悪感がある

・後回し procrastinate
-必要なタイミングを見極め計画的に後にする・意図がある・罪悪感は無い

つまり、理由も意図もないのが「先延ばし」=ディールガ・スートリー。
本来は、難しいこと・努力が必要なことを、先にすべき。急を要するものは例外。とはいえ自分を鑑みると、緊急性や忙しさを優先した結果、本来すべきものを「先延ばし」にしてしまうことがある。対策として、予め「本来すべきこと」のための時間を確保する。取り掛かりやすくするために、小さいto do (タスクばらし)にしておくとか。。

「先延ばし」を避けることを、スタイリャムという。「後でより上手く完了させる」よりも、「すべき期限までに完了させる」ほうに価値がある。この文化を、スヴァ・カルマ・ニシュタという。「すべきこと」は、私のダルマであり、私がすべきなのは、誰かのダルマではなく、私自身のダルマである。誰かのダルマに惹かれる、というのは日常に起きている。いいなぁとか真似してみようとか。もしくは、自分のすべきことがあるのに、相手がすべきことに必要以上に介入したり手を貸してしまうとか。「説明してやってもらうよりも、自分でやってしまったほうが早い」も、時に相手のダルマや機会を奪っている。

◆「価値をのせる」ことによる失望

感覚器官で知覚するものはすべて、願望の対象となりうる。私たちはそれらを、「ありのまま」には扱っていない。なんらかの価値を上乗せし、その結果、執着したり失望したりする。ヴァイラーッギアムは、「それをそれとしてありのままに観ること」である。

一番わかりやすい例からいうと、
主観:貝殻を銀のコインと認識 ←ありのままに見ていない
客観:貝殻を貝殻として見る。銀のコインを銀のコインとして見る

次の段階としては
客観:銀のコインには、相当するモノを買う価値がある 
ここまでは、ヴァイラーッギアム。

一方で
主観:お金は、人を幸せにする

これは、お金そのものが持っていない価値を上乗せしてしまってる。約束されてるわけではないから、失望や不幸を感じてしまう。モノのあるがままを知らずにそこにない価値を見ることを、アッデャーサという。

偏差値の高い学校に行けば・大企業に行けば・結婚すれば・子供が出来れば・これを手に入れればetc.
「成功」とみなされる「価値」。それさえあれば、自分が変われる・幸せになれる・勝ち組である は、主観であり、且つ、それらが約束されているわけではない。モノや地位・お金についてのみならず、誰かに対しても、何かを期待したり約束されているものだと思い込むことで、それが違ったときに失望したり悲しくなる。

お金には、モノが買える価値がある   ←ヴァイラーッギアム
お金があれば、楽しい時間を過ごせる・豊かになれる ←アッデャーサ
お金があれば、安心 ←アッデャーサ
お金があれば、幸せ ←アッデャーサ

ただし、期待そのものが悪いわけではない。期待や求めるものがあるから、行動が起こせる。

要は、期待して行いをした結果の扱い方。結果は、自分の意に介さない範疇にあるもの(複合的な要因によって、秩序の中でもたらされるもの)。
自分が行いを尽くして、結果はお任せする、という。と知ってはいても、中々受け入れるのが難しい場合も多いけど。。「そういうものである」という観方がもてるだけでも。

あと、不安があるほど、何かしなくちゃ・何かを得なきゃという思考になるので、それも意識的になれるとよさそう。。

◆「上乗せの価値」について千春の話で考える

・行きたかった大学も人生を賭けていたバスケも手放した

金銭面の問題で進学が叶わなかった千春。もしもバスケの強豪校に行っていたら、プロの選手になることが約束されている進路だったかもしれない。←これは価値の上乗せ
でも実際には、高校卒業後は北見のおじさんがやってる飲食店のバイトを掛け持ちして、バーで時折弾き語りをする人生を歩むことに。毎晩ギターを枕の傍らに置いて、曲を創っていった。お金や場所・地位が何かを約束してくれるのではなく、そこで・それでもって自分がどんな行いをするか(ダルマ)。

・同じ値段の席に、価値の上乗せをしている

千春のコンサートは、最前列でも、2階だろうが3階だろうが同じ値段である。席はランダムで割り振られる。「ファンクラブ枠なのに2階だ」というのが当然起きる。「一番前でも、あんなに壁に張り付いて俺のこと米粒にしか見えん奴らも、同じ値段なんだぞ」と千春のMC。千春はわかっているのだ。座席に価値の上乗せが起きていることを。だから、2階席に向かってよく話しかけるし、歌ってるときもほぼ上を見ている。「2階席だと千春と目が合う(気がする)」という価値を作っている。
極論として、「どこに居ようと絶対満足させてやる」だし、「客がコンサートを作ってる。だから俺は歌える」と、席を問わない価値を、自覚的にアナウンスしている。
「あの人は●●なのに・・」という個々の嫉妬をとっぱらって、客全体が千春のコンサートに必要な存在 という価値に変えていく。
千春、、イーシュワラなのか?

この記事が参加している募集

#仕事について話そう

110,170件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?