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13. 夏カリー水滴纏う青コップ

 中村不折が書いた文字を看板に掲げる新宿中村屋。名物はチキンカリーである。生みの親はインド人。ところでインドと結びつきが強いロンドンには、インド料理店が多い。元はインド料理だが、今ではイギリス料理と呼ばれている一皿もある。

13. 夏カリー水滴纏う青コップ

   1901年(明治34年)、新宿中村屋の創業者相馬愛蔵・良夫婦は東京帝大前に居抜きでパン屋を買った。店名の中村屋も引き継いだ。その年の12月30日が新宿中村屋の創業日である。石川拓治の『新宿ベル・エポック 芸術と食を生んだ中村屋サロン』には、

 「中村屋はゆっくりと成長していった。急成長しなかったのは、理不尽な要求には一切応じないという愛蔵の頑固さと、(中略)石橋を叩いて渡るという彼の慎重な性格のせいだ。」

 とある。将来性を見込んで当時はまだ見窄らしい街、新宿に移転したのは1909年(明治42年)である。開店数年後の店の写真を見ると、不折の新宿中村屋の文字がある看板がかけられている。1927年(昭和2年)に喫茶部を開設しカリーライスを発売した。1929年(昭和4年)には三越が開店し、新宿は大きく変貌した。新宿中村屋のカリーは、インドの味を取り入れた本格的なもので評判も良かった。しかし、その誕生は外交上の問題も絡みドラマティックだった。

 愛蔵は、1915年(大正4年)日本に亡命したインド独立の運動家ラス・ビハリ・ボースを新宿の店に匿った。インドを植民地化していたイギリス政府はボースを捕らえようとし、当時日英同盟を結んでいた日本政府はボースに国外退去を命じる。そんな状況下で、愛蔵はボースを匿ったのである。1918年(大正7年)に第一次世界大戦が終戦を迎えると、イギリスのボース追求が終わる。自由の身になったボースは、日本でインド独立運動を継続し、のちに日本に帰化し愛蔵の娘と結婚し新宿中村屋の役員にもなった。前掲書によれば、ボースは日本のライスカレーを、

 「あんなにマズイものはない。あんなものはカレーではない。」と言い、石川は「日本のカレーとは、つまり小麦粉を使ってルーを作るイギリス式のカレーだった。第二の祖国日本で、そのイギリス式のカレーが子供の人気料理になっている。インド独立のためにイギリスと戦い祖国を追われた彼が、心穏やかにしていられたはずはない。」

 と書いて、インドの本格的なカリーに対する熱い思いとイギリス式カレーに対する複雑な思いがボースの心の中で交錯していると推測した。中村屋監修の『新宿中村屋シェフが教えるカリー・スパイス料理』には、ボースが愛蔵に、次のように訴えたと書かれている。

 「本当のインドの味を知って欲しいのです。日本で食べられているような安っぽいカレーではなく、鶏肉もバターも米も最上級のもので作る。印度貴族の食する本物のカリーの味を!」

 愛蔵は、ボースの提案を受けて材料を吟味し、日本人の口に合うように試作を繰り返した。そして、新宿中村屋喫茶部の開設時にはインドカリーをメニューに加えた。同書には、

 「素材を厳選し、調理に手間をかけて作られたカリーの値段は80銭。当時、一般のカレーライスが20銭で売られていたのと比べると、可成り高価ですが、1日300食が出るほどの人気でした。」

 と書かれていて、高級カリーとして大評判をとったことがわかる。愛蔵とボースの出会いから12年が経っていた。今でもメニューには「恋と革命の味 中村屋純印度式カリー」とある。同書には、新宿中村屋の看板メニューであるチキンカリーのレシピが掲載されている。スパイスやカレー粉は使われているが、イギリス式カレーの特徴である小麦粉の文字は見当たらない。ボースはインドがイギリスから独立する1947年(昭和22年)を迎えることなく亡くなるのだが、新宿中村屋喫茶部でインドカリーが発売された1927年(昭和2年)には、カレーの世界でイギリスから日本の独立を果たしたのである。インド独立の20年前である。

 2015年から2018年ごろの、ロンドンのインド料理店は人口一万人当たり1.3軒あるが、東京には0.3軒しかない。代わりにと言ってはなんだが、東京にはラーメン店が人口一万人当たり1.7軒ある。日本では飲んだ後のラーメンが定番であるが、イギリスでは飲んだあとに締めのカレーとなると聞いたことがある。イギリスとインドのつながりの深さを見せつけられる話である。小関由美の『ロンドン—美味しいものを探す旅』には、

 「ロンドンには多くのインド人が住んでいる。インド人街などもあり、そこへ行くと、『ここはほんとうにロンドン?』と驚くほど、歩いている人や店などがすべて、インドバージョンとなってしまう。」と書き、「ロンドンの西北、アンティークマーケットで有名なポートベローの近く、ウェストボーン・グローヴという通りは、『カレー街』とでも名付けたいほど、多くのインディアンレストランがある。」

 と、インド文化や料理がイギリスに根付いていることを伝えている。元はインド料理なのだが、イギリス流にアレンジされて、今ではれっきとしたイギリス料理となっている食べ物の一つにケジャリーがある。本には、ほぐした白身魚と玉ねぎ、ライスなどをカレースパイスとバターで炒め、固茹で卵とパセリを付け合わせたものと書かれていたが、私が食べたケジャリーはカレースパイスの効いたリゾット風のもので、ポーチドエッグが載った洒落た一皿だった。少し高級なレストランのスペシャル朝食メニューになっていた。

●石川拓治『新宿ベルエポック 芸術と食を生んだ中村屋サロン』小学館 2015年・・・相馬愛蔵・良夫妻と彫刻家の萩原碌山を軸として語られる。中村不折は碌山と交流があった。
●監修:新宿中村屋『新宿中村屋シェフが教えるカリー・スパイス料理』旭屋出版 2001年
●小関由美『ロンドン—美味しいものを探す旅』文化出版局 2001年
●私が食べた洒落たケジャリーは、地下鉄のGreen Parkの近くにあるThe Wolseleyというレストランのメニューである。それなりの値段だったが、とても美味しかった。

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