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今回のイスラエル滞在目的のひとつであるキブツ(共同生活コミュニティ)で国際ボランティア生活をするため、テルアビブから電車に乗って向かいました。

キブツでの外国人ボランティアを取りまとめている機関、キブツボランティアセンター(KPC)で、テルアビブから比較的近くて人がフレンドリーな場所に行きたいと希望したところ、Lahavというテルアビブから南に電車で1時間下ったところのキブツを紹介されました。

ここは前任者が前に見学に行ったところです。今回は見学ではなく、実際に2ヵ月生活してレポートしていきます。

今回はまず電車での行き方をご紹介。

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テルアビブのビジネス街の中にあるHashalom駅から電車に乗ります。日本でいうSuica的なICカード、【ラブカブカード】を切符売り場のお姉さんに渡して、目的の駅名を伝えるとカードから金額を引き、そのまま改札を通れるようにしてくれました。値段は25NIS (¥770)。

電車は二階建てで、中は外見より綺麗です。

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Lahavキブツの最寄駅Lehavim Rahatに着くと、ここに軍のトレーニング場があるのか、若い兵隊さんがぞくぞくと降りてきました。女の子が多いです。普通に銃を持っているので最初はびっくりしますが、みな若者なのでキャッキャしながらおしゃべりして学校に行くような感じです。
イスラエルは兵役が男女ともにあり、男性が3年、女性が2年だそうです。

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駅でキブツのボランティアリーダーのRonniに車で迎えにきてもらい、Lahavキブツへ到着。
Ronniは現在63歳。18歳からLahavに住んでいるそうです(!)。シンプルで明確な英語でLahavの説明をしてくれました。

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さてキブツとはいったい何ぞや?と思う人のために簡単に説明を。

キブツとはイスラエル語で「集団」を意味していて、もともとは農業を主体とした共同体です。現在イスラエルに250カ所ほどあり、規模は様々で数十人~600人ほどの人が集まっている小さな村のような場所です。キブツ内では個人の地位などまったく関係なく政治家だってキブツの中ではただのメンバーのひとり。

19世紀に世界中で迫害にあっていたユダヤ人が自分たちの国をパレスチナの地(現在のイスラエル)に戻って作ろうと活動が起こりました(シオニズム運動)。それによって段々とユダヤ移民がイスラエルに入植して、そのうちの多くがキブツに集まって生活し始めました。財産もそれほどなく、新しい土地でしかも当時はやせ細った大地を農地開拓しなければいけませんでした。そこで優秀なエンジニアも集まり、キブツのメンバーみんなで知恵を持ち寄り、試行錯誤していく内に農業技術が発展していきます。キブツは今のイスラエル開拓に大きな影響を与えた場所でもあります。今ではプラスティック製造工場や、医薬品工場などの産業も商いにしているところもあります。またイスラエルに単身で移住してくる若者を受け入れる役割も続けています。

基本は労働と引き換えに、全員が平等に土地と財産を分け与え、一緒に食事をとり、子供はキブツ全員で子育てし、洗濯もみんなでするという、完全平等のシステムでした。しかしイスラエルは今は資本主義社会で、それによるキブツとのズレと、若い人のキブツ離れが増え、キブツはいつも人手不足です。

この「キブツボランティアプログラム」は1960年代から行われており、世界中の若者がキブツに集まり、ボランティアをしながら共同生活するプログラムを50年以上も続けています。世界でヒッピー文化が流行りだし、日本では学生運動が起こっていた60年代には年間千人単位で世界中から人が集まっていそうです。日本人もよく来ていたとのこと。

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普通の村だと言ってもやはり独特の雰囲気があります。(いい意味で!)
2006年からLahavには日本人は来ていないらしいのですが、よそ者が入ってきても白い目で見ず当たり前かの様に受け入れます。特にお爺ちゃんお婆ちゃんはみんな笑顔で挨拶してくれます。

あと犬猫がほぼ放し飼いで、どの子もひどく人懐っこいです。

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幼稚園があるので子供が沢山います。
小学生からはキブツの外の学校に行きますが、学校終わりは帰ってきてみんなで一緒にご飯を食べます。デイケアがあるのかご老人も多いです。

穏やかな田舎くらいしをしているようです。次回はキブツのシステムに関して書いていこうと思います。

※この記事は2019年3月13日に書かれました。


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