見出し画像

二回目の人生の終活が始まったのか否か

僕の人生は25歳の時に一度終わったと思っている。
人生観を変える程に大きな出来事が重なり、大きな夢を複数叶えて全て失った。そんな一年だった。

そこから心機一転、また新たな人生を始めるつもりで懸命に頑張ってきた。
ゼロからのスタートではなく、RPGの2周目の所謂「強くてニューゲーム」的な形でスタートを切れた割には、うまくいったのは最初の方だけでその後苦難が続き、苦労が長かった。
しかし何とかその苦難からも脱することができ、今はとても幸せな日々なのだが、ここ最近どうにも既に終活気分が湧いてきている。

やりたいことは全てやれている。やりきったとは言えないかもしれないが、カレーの紹介にしろアイドルの指導にしろ、やりきったという事はあり得ないので、どれだけやっても終わりはない。ただ、既成事実として僕が最初にメディアに紹介してから大人気店となったお店も多く、僕が指導してから大人気となったアイドルも多いので、結果は既に残しているとも言える。
どちらもその実績によって信用が生まれ、新たな仕事が途切れない状態であり、できるだけ今の状態を長続きさせたいと考え、現状維持を目指すと下降するので常に上昇させることを意識しながら動き続け、結果的に現状維持プラスアルファくらいな状態でここ数年活動できている。

だが、休みなく動いてきすぎたせいか、それに疲れているのかもしれない。
そして身体の衰えを感じることがどんどん増えてくる中、今の仕事を今のペースのまま年老いても続けることは不可能なことを痛感し、老後はどうすべきか考えて既にそれに向けて動き出してもいる。

先日自分と同世代で近い世界で働く友人と話していた時、自分はもう心が死んでいるということを思い知った。
友人は40代にしてまだやりたいこと、やってみたいことが沢山あると言う。
しかし僕には新たにやりたいことがもう無いのだ。やりたかったことは既に全てやってきたし、今もやり続けている。
そういう意味ではもうやり切ったと言えなくもない。

そんなことを考えていたら、ひょっとして25年周期で、50歳になる頃にもう一度人生が終わるようなことがあるのではないかと、ふと思った。

現状に満足し、幸福を感じているのでできれば終わって欲しくないし、ずっとこの状態が続いて欲しいとは思っているのだが、肉体の限界は必ず来る。
そうなった時どうするか。
強くてニューゲームというわけにはいかないかもしれないが、賢くてニューゲームということはできるかもしれない。
我武者羅に頑張る体力はもう無いが、効率良く頑張る知恵は二回目の人生で得られた気もする。

それであればまた三回目の人生が来たとしても何とかなるだろう。
と言いつつ今のまま変わらずにこの先何十年も生きるかもしれないが、先のことはわからない。
何があっても心の準備さえできていれな何とかなるだろう。

50歳という年齢がリアルに近づいてきて、50歳以降の生き方について考えることが増えてきた昨今。
何がどうなろうと何とかなるし、ならない時は終わりというだけだ。例え人生が本当に終わったとしても既にやりたいことは十分以上にやってきたのだから、終わりを恐れすぎることもせず、一日一日を大事に生きていきたい。


と、朝の喫茶店でこれを書いたわけだが、書き終えて立ちあがろうとしたら腰にきた。。。

歳をとるというのはこういうことなのだと文字通り痛感している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?