絵の生成AIによる画像データの学習を著作権の侵害だと主張する向きに賛同できない理由の話

まず絵の生成AIについて問題が絶対に何一つ起こりえないと考えているわけではない

 AIによる絵の出力について権利や人権上の懸念点はある。
・学習元画像の持つ著作物性に相当する、独自の意匠と認識・認定されるレベルで原形を留めた図柄をほぼそのまま出力してしまう可能性
・元の画像に含まれるプライバシー情報が特定可能なレベルで原形を留めた図柄をほぼそのまま出力してしまう可能性
・それが偶然で発生する可能性が実際にどの程度あるのか、重大だと評価できる有意に大きなものであるか否か

 以上のような点は要検証であり懸念がある。
 そしてこれは学習入力したものに対する解析から出力のプロセスにおける技術上の問題である。
 対して学習・入力においては、表題の通りの話として、人間もAIも既存の絵を分析し学習し利用し反映することそれ自体は著作権侵害を構成しないし、元作品の「著作権に抵触する固有の無二の個性」をそのまま残さない範囲で利用・反映している分には著作権上の問題は生じない、というのがここで述べたい本題である。

 元より、人間であれAIであれ見聞した先行作品が以後の作品・創作に一切の影響を与えていないなどということ自体がほぼあり得ないし、作者が見たことのある全作品の権利者がその大小様々な影響部分の全部に対して細大漏らさず許諾確認や使用料を要求するような法理はないので、人間であれAIであれそのような学習・取り込みそれ自体を「著作権の侵害」として扱うことはできない。
 先達の画像を参照・学習して得た情報を自身の生成物に反映する、ということ自体はAIも人間も行っているし、それは「著作権に抵触する固有の無二の個性」をそのまま残さない範囲で行う分には「著作権」の侵害にはあたらない。
 侵害にあたらず責めるべき理由がないからこそ、勤勉にたくさんの著作物を見て学習しそれらの情報を利用している絵師が自分の絵を発表しても、成長過程でトレス練習をしていようが何だろうがその結果的生成物自体が著作権を侵害しているパクリ絵だと評価されない限りはなんら問題ないとされている。

 

概要を最初に軽くまとめてみる

・著作権があっても「無許可での利用や受益は何でもダメ」になるわけではない。
・生成AIでも人間の絵師でも、「先達の絵を参照・学習して得た情報を著作権に抵触する固有の無二の個性をそのまま残さない範囲で利用し自身の生成物に反映する」ことは「著作権」の侵害にはあたらない。
・報酬や対価というのは楽をしたか苦労したかではなく「相手が求めているものを用意して交渉し成立させた商取引」の内容によって支払われるものであって、労力に比例して発生するものではない。
・絵を描く労力を報酬のアテのない趣味で浪費するのも自由だし、絵の質より儲けるための売り方の工夫に多く労力を割いてもよい。報酬・金を獲得できるかどうかは、労力の量ではなく当人の選択と商売の手腕の問題である。
・少ない労力で優れたものを作って市場競争で勝つことは不当ではないし、それに劣って負けたことは「不正」の侵害や損害ではない。生産のプロセスをAIで効率化するのはなんら悪いことではない。
・自己の取捨選択や判断として自分が感謝している絵師への還元や助勢を行うことは自由だが、それは「著作権」の問題ではない。
・競合で人間絵師が稼ぎにくくなって神絵師が減ったり新規絵の供給が減ったりしてその伸張がいくらか減衰するとしても、機械の発達による成り行きであり、不正な侵害とはいえないAI使用者の活動の自由を制限できる余地は少ない。
・ワンパターンな構図しか切れないような創作性の劣った生成AI使用者やお絵描き初心者でもそれを理由に弾圧され権利を制限される謂れはないし、一度見た絵を軽々と完コピできるような能力と効率が高い神絵師や生成AI使用者でもそれを理由に弾圧され権利を制限される謂れはないので、等しく扱われねばならない。
・仮に絵や声のAI生成に取って代わられて人間の仕事がなくなるとして、それは本来なら人間の負担が減る好ましい社会環境なわけで、そこで生じる問題の本体は既得権者・資本家による生産利益の独占でありそこに再分配が必要という方面の話である。
・学習の一部に違法サイトの画像などが紛れ込んだとしても、そこからの出力行為が具体的な不正の侵害と被害を生じさせる効果を持たない限りそれを制限する必要性と公益性がないので、安易に自分が気に入らないAIを攻撃したい都合のために犯罪被害者をダシにすべきではない。
・問題の主要部分は「原物の情報がほぼそのまま出力されることで著作権やプライバシー権などの侵害にあたる重大な被害が発生する」という危惧であり、その発生可能性を十分に低くするためのどのような方策が講じられるかである。

重要なのは「現行法で許可されてるから合法/法律を改定すれば違法」ではなく「著作権と人権の法理」である

 法と人権・著作権の問題を考える上で重要なのは、「無断での分析学習は人間もやってるんだからOKなんだ!!」とか「学習は現行法に合法だと書かれているから何も悪くないんだ!」とか、あるいは逆に「無断学習は違法だと書いた著作権法改正案を多数決で通せば悪だと確定するんだ!」という話ではない。
 このような分析・学習情報蓄積を規制すべきか否かを判断する基準は、絵を学習される(ここの定義は重要ではないのでAIのは学習ではないとか言いたい人がいるなら分析や解析やデータ蓄積と呼んでもよい)ことによって、どのように「不当な」「著作権と人権の法理上の」侵害・被害が発生しているかである。
 そもそもの「権利の具体的内容」と「その侵害の存在を主張する根拠となる法理の組み立て」が明確に確認されなければ侵害とはいえないし規制もできないとするのが法と秩序と人間の理性だからだ。

 まずそもそも「元とされる絵」の著作物性が残っていない、「元とされる絵」とは別の絵である、とみなされるものを発表したときに、そこで著作権の侵害はない。
 逆に著作権侵害で違法になるものというのは、AIによる生成か人間による生成かを問わずその発表物が別人の著作物に酷似した内容で単なる「パクリ」に相当すると判断されるものであり、この扱いは人間の手で描いたと言おうがAIにやらせたと言おうが変わらない。侵害や盗用の不存在を証明する手段として補助的に時系列やプロセスの話を主張・採用することなどはあっても、「著作権の侵害」は原則として学習や解析をしたかどうかというプロセスではなくその生成発表物において判断される。

・「AI擁護者は人間の学習とAIの学習は同じだと言っているが人間とAIの学習は同じじゃない」という主張の誤解について

 「人間も同じ事やってるし学習は不当じゃないでしょ」というような説明について、「学習」とか「同じ」という言葉に対する誤解というか語義のズレで話の行き違いが発生している場面が多いように見えるんだけど、AIによる絵の学習・分析・利用が容認されている理由は『人間の学習とAIの学習は1から10まで何もかも完全に同じことをやっている』という根拠によるものではない。
 なので『人間の学習とAIの学習の違い』を一つでも挙げればAI学習を「違法で泥棒で人権侵害だ!!」などと誹謗中傷して攻撃していいという話でもない。

 そもそも人間同士でもAI同士でも何もかも同じ物なんかないので、能力が個々で異なることは当たり前で、手を使う人でもAIを使う人でも何にでも違う部分はあるけど、大事なのは「共通する部分には共通した取り扱いをする」ということだ。
 お絵描き初心者と神絵師だって見た絵に対する分析やコピーの能力や効率は全然違うわけだが、絵を軽々と精密に完コピできてしまう優れた神絵師だったら他人の絵を見るだけでも著作権侵害であり弾圧して縛るべきだ、などという結論にはならない。

 これは「人間の学習だけは人間様の能力の低さとか創作性とかに免じて特別に人権侵害してもなんとなく許されることになっていてそれは人力で絵を描く人間だけの特権のはずなのに機械で著作権侵害の学習をしようとしているからズルい」などというものではなく、単純に「先達の画像を参照・学習して得た情報を自身の生成物に利用すること」は正当で人権侵害ではないから人間かAIかを問わず認められる、という話なのだ。
 『結果的生成物それ自体が既存作品の著作物性をそのまま残した著作権侵害とみなされるものでない限りは侵害も違法性も不当な被害もなく普通に 別の作品 として成立するのであって、別の作品を完成させるまでの過程で何かの画像を参照し学習し分析し利用することは著作権の侵害にはあたらないのだから人力でやっても機械でやっても人権侵害とはいえない』ということであり、「先達の絵を分析学習して絵の品質を改善向上しようとする絵師やAI使用者」の自由と人権を弾圧する根拠となるような何らかの侵害の存在と法理が確認できない以上は今後の立法においてもそれらを規制・弾圧してはならないということだ。

人権法理なしにAI使用者の行動の自由を制限すればそれ自体が人権侵害である

 AIであれ人間絵師であれ先達の何かを見て分析した後に、著作物性のある固有の特徴が酷似しているわけでもないほぼ別のものを作っている限りは「著作権・著作物性」の部分について侵害されている法益要素はないのだから、著作権の侵害を問うべき理由がない。
 ここで著作物性・元の絵が絵として表現する固有の無二の個性を保持していない「単なる上手いキレイな絵」としての価値で競合して人間の絵師が利益を得られなかったとしても、それは「著作権」とは関係なく、単にその人の絵にAIで量産できる絵を差し置いて採用するメリットがないとみなされただけで、自己の「著作物固有の個性を独占する権利」として認められている範囲とは関係ないものであり「不当な著作権侵害」による不利益ではない。

 たいして苦労もしていない(ように見える)奴が簡単に大量に小奇麗な絵を作って利益を得たとしてもそれはその人がうまく儲けただけの話である。うまく儲けた人に対する「羨ましい」という感情を安易に「ズルい」へすり替えてはいけない。より少ない労力でより優れたものを作って市場競争で勝つこと自体は不法や不当ではないし、それに負けたとしても不正な侵害や損害ではない。文明人が生産のプロセスを機械で効率化するのはなんら悪いことではない。

 そして基本的なこととして「無許可での利用や受益は何でもダメ」になるわけではない。
 先達の漫画に憧れて学んで研鑽した結果その先達を超えるヒット作を生んだとして、それは先達の権利を不当に簒奪したものではない。
 多くの絵師が先達の漫画を読んで研究分析して時にはトレス練習して成長している。そこでは実際に明確に無断で「利用」されているが、不当ではない。「生まれてから金を儲けるまでのプロセスでどんな用途用法であっても一度たりとも他者の権利物を無断で学習分析改善に利用してはならない」などというものではないからだ。
 もちろん後追いから世界的ヒットを飛ばした漫画家が「今の私があるのはかつて出会った~~先生の漫画があってこそなんです!」と公言するような場面もあるだろうし、そういう場合大きく貢献しているのだろうし、それに対してお礼として贈与をするなどの還元をすることも別におかしいとは思わない。

 しかしそれは「著作権の侵害」の話ではない。感謝と贈与は単なる自由意志の行動だ。
 「後追い大ヒット作家は先達の先生の著作権を無断で侵害したクズだから泥棒したものを返さねばならない」などという話ではない。

 後追いの絵師が過去の名作漫画を何万回トレスに利用して練習していたとしても、結果的生成物が過去作品の著作権に引っかからない代物であれば侵害もないし違法性もない。逆に当該著作物の絵を見たことがない人間とかデータに一切入れていないAIでも既存のキャラと同じ特徴を得るように指示して描かせれば著作権に抵触する出力をする。
 「人間/AI」「元絵Xを見た/元絵Xを見てない」に関わらず、「元絵Xの著作権・著作物性の侵害にならない絵」を描けるし、「元絵Xの著作権・著作物性の侵害になる絵」も描ける。
 結果的生成物の問題に関して「絵を学習した・学習の許可をしたかしなかったか」などという過程を論うことはナンセンスである。

 「そこにある絵図の情報」を読み取っているのは人間もAIも共通であり、そこから何を再現できるかできないか・再現するかしないかは単に能力と選択の問題である。お絵描き初心者と比べて神絵師の分析力・分析速度が優れているからといってハンデつけたり弾圧とかしないし、データの分析において大多数の人間の手よりAIが「楽」だとか「優れている」ということがAI使用を弾圧する正当な理由にもならない。効率化を忌避して苦労を信仰するのは不健全だ。
 ある1枚の元絵X1を見た人間様も、元絵X1を分析したAIも、「元絵X1だけではない別の沢山の絵の要素も組み合わせて元絵X1とは異なる新たな絵を作っている」のであれば、それらの絵は元絵X1と同じ絵にはなっていないし元絵X1の著作権を侵害してもいない。同様に別の元絵X2の著作権も侵害しないし元絵X3の著作権も元絵X4の著作権も元絵X5800000030zの著作権も侵害していない。

法理なき誹謗をAI使用者に投げつけることは人権侵害である

 人権法理なしにAI使用者の行動の自由を制限すればそれ自体が人権侵害である。
 人権法理なしにAI使用者を泥棒呼ばわりすればそれ自体が人権侵害である。
 人権法理なしに「お前こそ絵師さんたちの人権を侵害しているくせに」などと誹謗すればそれ自体が人権侵害である。

 AIと人間の挙動に色々と違いはある。その上で、AIを使用する他者の自由や人権の抑圧・弾圧を主張するのであれば、その特殊な事情に起因して現に生じる不当な被害と損害の確認が必要であり、そこで認定し保護したい人権「~する権利」をその根拠となる法理を明示できる形で画定しなければならないし、その「~する権利」は必要性と正当性を検証したうえでAIと手工業に等しく適用できるものでなければならない。

学習と影響に許諾と使用料を要求すれば人間の絵師も自由を奪われる

 小説賞で応募作をふるいにかける下読みの担当者が下読みした作品の全てから一切何のインスピレーションも受けず自作に欠片も反映されないなどというわけではないし、だからといってそれ以降の作品の特殊でもない共通点を指して全応募者から著作権侵害の盗作だなどといわれるような筋合いもない。
 まともな人権法理の組み立てもなしに、「無許可での利用は何でもダメ」「何らかの形で絵を利用された=許可がなければ著作権侵害」「データを分析した情報を得ているというだけで人権侵害として差し止めや賠償や使用料請求ができる」などというデタラメを通せば、万人の万人に対する使用料請求の行われる地獄が発生する。

「俺の絵を見て学習した情報を含むデータで作った絵なら俺には公開禁止する権利がある!人間は許可するけどAI使用者は100万円払え!学習されている権利者がダメだと言ってるんだからそれが全てだ!著作者の意見を尊重しろ!それが絶対なんだ!」
『えっ、そんな権利があるんですか!やったあ!! じゃあ私のアイコンや今置いた画像見てデータ得た人は、脳からの完全抹消を証明するか私に使用料5000兆円払うまで二度と新しい絵の公開をしないでください!著作物を無断学習してから作った絵は許可取らないと公開できないと思っているんでしょ!』

写真も著作物

 とまあ、「見た絵の参照や要素の分析抽出」という人間の脳でも行われることを禁じたり対価の支払いを強制する権利などという不合理を押し通せば、人間の従来通りの学習や経験・知見の蓄積を致命的に阻害する。
 「自分の絵が他者に何も学び取らせず何も改善させない何も成長させないこと」が必要な権利であると考えてその規制に賛同する人はほぼいないであろう。ならば当然AIとその使用者に対してもそれは主張できないわけだ。

 人間もAIも引き出しにあるのは絵であれ風景であれ過去に参照したものであり、作品が「過去に参照したデータの部分部分」+「選択」+「その時々の乱数や何かの原因による偶然の歪み」で構成されていることは変わらない。
 そこでの人間の寄与・創造性が発揮されているのは、過去の参照データの部分部分の組み合わせ方の「選択」の部分における技術や新規性や思想感情の発露であって、「参照した過去の見分データからの組み合わせなど何も行わずいつも全要素を完全な無から創出している」などという話ではない。

 また「既存データのパターンの絵しか作れないAIなんかと違って人間の絵師は3次元的にイメージして構図を組み立てたりできて高度な真のほんとうの †創作† をしているんだ」とか言ったところで(まあ実際AIが苦手とする構図を「選択」することができるのは人間の優れたところだし現状当面AIで人間の絵全部の代用なんてできないだろうと私が考えている理由でもある)、優れた創作をしていようが劣った創作をしていようが「人間もAIも過去に参照したデータを全部に許可を得ていないまま利用している」という単純事実にはなんら変わりがない。
 これは「優れた創作性をもつ神絵師様だけに許された特権」ではないのだから、できることに限りがあるAI使用者や不慣れな構図を切れないお絵描き初心者でも、たとえどれだけ程度が低く創作性が劣っていようが、学習分析と利用は正当に認められるという話である。
 だから、AI使用者に対してだけ「絵の情報と要素を無断で参照利用して組み合わせることは許されない」などと非難するのは不合理な難癖だと言われるわけだ。

 「人間の持つ偶然とか歪みや不合理だけは特別でAIとは違ってとにかく神聖で立派な創造といえる特殊なものなんだ!!」と変なクスリか宗教やってるような言い分を繰り出すのはまあ勝手だし、AIのは立派じゃないとか真の創作じゃないとか人間のは魂のある真の創作だとかいうなら脳内定義は勝手にすればいいのだが、その人間様の真の創作でも過去に見た他人の絵を分析していて要素を利用して組み合わせている。

 機能や経緯が違おうと「過去のデータ参照」+「選択」+「偶然・歪み」という構造は同じである。著作権保護に抵触するとみなされるほど原型を留めた塊で利用するのでなければAIであれ人間であれ問題はない。
 ドラゴンボールを参考に「変身で姿と色が変わるキャラ」という要素を無許可で出したのがドラゴンボールを読んだ漫画家でもドラゴンボールを解析した漫画製作AIでも著作権侵害ではないし、「変身で髪が逆立って髪が黒から金や青に変化して気功波を放つ孫悟空という名のキャラ」くらいの塊で要素を持ち出せば人間でもAIでも著作権侵害とみなされる、という話にすぎない。
 そこにおいて「過去の参照データからのストックと選択・組み合わせ」行為自体を否定して何万何億件の極悪な著作権侵害だなどと断罪すれば、それはそのまま、人間のよく学んでいる絵師ほどその創作を否定されることになる。

 経験に相当する風景や組み合わせるデータ量の豊かさでいえばAIがどんどん多くを読み込む方が増すし、偶然で特定の元絵に近いものが出力される確率も下がる。「人間はその不完全さやいつも一定ではない揺らぎがあるから元絵のデータだけから作ってはいない」というのも、AI生成も入力指示だけではなく乱数の使用で同じものではない幅ができているので人間限定のものではない。他人の絵の組み合わせだけではない独自の経験に由来するオリジナリティが加わらなければ許されないというなら、たとえば今ある地点から空を流れる雲の様子を小一時間観測したデータでも取り込めば誰にも著作権はないし他の誰も持っていない独自のデータを含むそのAIちゃんだけの独自のオンリーワンの個性は発生するけどそれで満足かね?

 あとAI生成に関する著作権や創造性を誰にどこまで認めるかは程度問題として別途要検討として、AI使用者が指定したり「無数の生成物の中から選び出す行為」の中にも感情や意図などの人間の営為自体は発生しているし、何も指定しないランダム生成を入力しただけでもAI設計者データ収集構成計画者には意図があるとは思う。

「海賊版の不法転載や違法ポルノなども参照していて許されない」という主張について

 これも結局、最初に示した通り、原物がそのまま出力されて具体的な権利侵害にあたる被害が発生するかどうかの話であろう。
 その特定の著作物に固有の特徴が残っていて明らかに類似とみなされる内容であるなど既に現行法で禁じられているような内容の出力でもない限りは「海賊版違法転載の被害」「著作権に関する法益の侵害」にあたるものがない。
 ここで当該生成物が具体的にどの部分でどの作品の著作権を侵害して具体的にどういう被害が発生しているのか、という指摘ができないような、「いろんな著作物をなんかうまく利用しててうらやましい、ずるい、とにかく無断だから58億件分の究極の著作権侵害だ!!」レベルの解像度の主張では話にならない。
 保護法益の侵害のない行為を罰し制限する道理はない。大事なのは、AIがそれを学んで出力したことにより著作物性に関して実際にどのように不当な権利上の被害が発生し存在しうるか、それをどう防ぐかであって、自分が気に入らないものへ難癖つけるために犯罪被害者をダシにすることではない。

データ集めに許諾確認を要求することは無駄にAIと人間の足を引っ張る以外の効果が乏しい

 AIの構築にあたって「データ集めに苦労をしたか楽をしたか」は絵師個人の権利保全にほぼ関係がない。機械的にクロールして参照していた58億枚の絵を捨てて著作者の意思確認作業に従事する人員に何億・何兆円使って仮にそれが10億枚の絵を学習したAIになったとして、社会リソースが浪費された挙句に機械の性能も劣化して社会利益が下がるだけである。
 その隙間に僅かに何かの利益が増した人がいてもそれは自分の権利の変化に起因するものではなく単にAI発展の足が引っ張られたせいでAIと競合したら選ばれない人が相対的に得をしているだけにすぎない。そして内容が著作権侵害になる絵を出せば学習許可があろうとなかろうと何も変わらず著作権侵害だ。

 「絵の学習・分析」の規制という「絵師またはAI使用者の自由・人権の制限」をするのであれば、「そこで守ろうとしている人権法理上の人権の内容・性質を具体的に画定した上でその内容・性質に照らしてこの行為がその権利を重大に侵害していることを示す論立て」が必要である。
 特に人間が見聞したものを学習し分析し絵に生かすことがこれまで通りあるいは重大な問題なく行えることを当然の前提にするなら、「人間の学習と分析がこれまで通り行えるように認めつつ、AIによる利用についてだけ無断学習を規制できるような、AI利用者の側の人権を制限するほどの根拠となる人権法理」がなければAIの学習を規制することはできない。

「競合して人間の絵師が利益の機会を奪われて苦しくなる」
「絵師が稼ぎにくくなれば数が減り神絵師が減る」
という主張について

 世の神絵師が減るのであればその人でないと描けないものが出てこなくなるので実際私にとっても不利益で嫌なことだけど、それは私の都合であって、AI使用者を縛るのは個人の都合ではなく人権から導かれる法理でなければならない。

「AIを野放しにして人間が利益を得られず誰も絵を描かなくなれば新しい絵が供給されずAIの絵も劣化して衰退してしまう」という主張

 1点としては、絵師が減るぶん全体が衰退するとしたら残念だけど、まあAI使用者の自由を闇雲に侵害するわけにもいかないしそうなるなら仕方ないと思う。工業化されて職人が減って画一的になり奇特な好事家需要以外が減衰して変質したものは器にしても何にしても沢山あるだろうし。
 2点目としては、そもそも現状AIが全部を代用なんてできてないので絵師の需要は当面たくさんあるし、本当に人間の新しい絵が貴重になるならその希少さをマネタイズする余地もあり絵で商売したいなら需給の変化に合わせて対応すればいいし、それをしない人が金貰えなくて趣味では描きたくないというならそれは当人の自由選択なので描かんかったらええねんという話で、手工業のノスタルジーで機械を呪っても仕方ない。

「絵も声もAI生成に取って代わられてしまい仕事がなくなるぞ」という主張に対して

 労働者が工業機械に取って代わられる話もそうだけど、その問題の本体は既得権者・資本家による生産利益の独占で、そこに再分配が必要という話であって、そもそも機械の発展によって特定の労務のコストが激減して人間がその仕事をしなくてもいい社会になること自体はプラスである。技術で負担が減って一日中獲物を追い回さなくてよい社会になったのだから。
 むしろAIが全部とってかわるなんてことができるなら基本的にそれに越したことはない。しかしまず当面無理だと思う。たとえば福本伸之のような漫画をオリジナルと遜色ないレベルの内容で組み立てられる漫画AIが実現したら諸手を上げて喜ぶところだ。本当にAIで全部を代用できれば苦労はしない。
 今のAIを見て「AI学習で簡単に似たようなもの作られて漫画家とか絵師が(あと最近だと声優が)廃業になるぞ」などと言ってる人たちこそが漫画家や絵師の能力とその作品の価値をまともに評価せずバカにしてるだろ、とすら思う。

つまるところ

 そこにいる人間の絵師はそれまでに学習参照分析した画像とまったく同じではないものを作る選択をしたから別の絵が生まれるし通常そこに著作権侵害はない。
 そこにある生成AIもそれまでに学習参照分析した画像とまったく同じではないものを作る挙動をしているから別の絵が生まれるし通常そこに著作権侵害はない。
 ただそれだけのことである。

以上。一応付けてるけど下に内容はないです。

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