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ジョーカーになるスイッチは、きっと誰もが持っている

今年の秋、10月11日だ。
ホアキン・フェニックスが主演を務めたJOKER(ジョーカー)の続編「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」が公開される。

前作の「ジョーカー」は、ひと通り話題になった後に観た。だから、観る前から何となくストーリーの断片のようなものは見聞きしていた。

コメディアンを夢見る心優しいアーサーが、どん底から抜け出せず狂気あふれるジョーカーへと変貌していく…というような、あらすじ。

それを踏まえた上で観て思ったのは、アーサーは本当に心優しい人間だったのか?ということ。そんなに善の部分が強調されていたようには思えなかった。真剣な場面でも笑いが堪えられなくなるという病気の部分を除いても「そりゃ、変な人って思われるわな」という描写の方が多かった気がする。

結果として、2時間の映画の中で描かれるシーンに現実とアーサーの妄想が入り乱れていたと考えると、元がそこまで善人だったようにも思えなかった。

ただ、アーサーに心を動かされる理由は2つある。1つ目は社会に馴染めず生きるのがヘタクソなところ。多分、誰しもそんな一面は持っている。
2つ目は、不遇なアーサーに自分を照らしてしまえるところ。あらゆるタイミングが重なって本来押してはならないスイッチが押された時、人は誰でもジョーカーになってしまうかも…という共感のような感情が湧いたこと。

観終わった後、決して明るくスッキリするような話ではなかった。ただ、「あるかもなぁ」という共感&納得がズシンと重くのしかかってくる映画だったのを覚えている。

…からの、続編。
あれからどうやって続編が描かれるんだろう。様々な解釈を生んだ前作のラストシーン。
続編のトレーラー映像を観たが、アーサーは収監されているような様子が出ていた。

ということを踏まえると前作のラストは、時系列通りだったということだろうか。JOKERとして務めを果たした後に捕まり、病院に送られた後の姿だったのか。今作では、そこら辺の回収はあるのかなぁ。

そういえば、前作のジョーカーをリビングで観ていた時のこと。最後の後半20分くらいのところで、小学校低学年の息子がやって来た。

…あ、ちょっと刺激強いかな。

一瞬そんなことを思ったが、息子はニンテンドースイッチでゲームに夢中だったので「ま、いっか」とそのままにしていた。
すると、その後の夕食で息子が言った。

「ジョーカーは、何か嫌だったな」

お前、観てたんかい。
そう思いながら「なんで?」と聞いてみた。

「だって、何があっても人をころしちゃいけないよね」

そう答えた息子に、僕は少し驚きつつ笑って返した。


「正解!お前が正しいよ」

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