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共感されない安寧




2020年、母が亡くなる2ヶ月前、癌と共生する為の最後の薬に切り替えた途端、母の容体は急変した。


私はその頃、あまりの不安から過呼吸を起こしやすくなっており、前回のnoteで書いた様に、入院したりと精神的に限界が来ていた。


そんな日々の中、1週間程アトリエ住まいで休養することになった。物理的に、精神的に「癌」から離れた方がいいという判断で、実家からは離れることに。

けれども毎晩夜になると、次から次へと恐ろしい事が頭に浮かぶ。約三年、毎日のように調べ続けた「癌」というワード。CT画像、電話の保留音、血液検査の結果。まだ見てもない、火葬場の風景。


そしてお約束の過呼吸が始まる。



そんな時に、隣にいる夫はいつも私を宥めてくれた。


いつもの様に、徐々に呼吸が楽になり、嵐の後の様に静かになる。
そんな静かな時が流れる中、夫はこう言った。




「大丈夫。これもいつかは終わるから」



私はそれを聞いた瞬間、自分でも制御できないくらいの感情が溢れ出てきてしまった。


これもいつかはおわるってどういうこと?今まで母さんと日常を、限界まで作って作って作って、命を伸ばして伸ばして伸ばして、でも手からすり抜けていく砂の様なスピードでそれが崩れていって、どうしても手放したくない大切な命なのに、簡単に「いつかは終わる」と言われて、わかっているけれどそれを受け入れる事をしないで信じてきたのに。健康なお母さんや、崩れずにある帰る場所があるあなたに、いったい私の何をわかってそんな事が言えるんだ‼︎‼︎‼︎
醜い感情に塗れた。

泣き喚いて叫んで大暴れしているときも、ずっとそれを横で見ていた夫は更に言った。




「それでも、それでも、いつかは終わるんだよ。お母さんも、俺も、藍も。」





…それを聞いたら、すっと自分の中で、気づきが生まれた。


そうだ。みんないつかは終わる。母さんも、終わる、でも今はまだ、終わっていない。この苦しみも、辛さも 「今はまだ母さんが生きているから」 存在する。私は今この瞬間の苦しみも受け入れて、愛そう。今は生きている母さんとの時間を、大切にしたい。母さんの病気と、どうやって向き合うか考えよう。

そういう勇気が、湧いてきた。
その後、ゆっくりと眠る事ができた。




私が「今」欲しかった言葉はきっと、


「大丈夫。お母さんは助かるよ」


だったと思う。
けれども、そうやって気持ちをその日暮らしでまやかしていたら、私は本当に理想と現実から左右を引っ張られ続けて、バラバラになってしまったかもしれない。

そして私が逆の立場だったら、共感で一緒に沈んであげることしか、できなかったと思う。



今となっては私の中に、新たな示準が生まれた日だった。


共感だけが、必ずしも人の心を掬い上げるわけでは無いという事。



きっとこれって、そうそう簡単に起きる事象ではなくて、こういう事象のぶつけ方は相手をどん底に突き落とす可能性もあれば、自分が恨まれたり、嫌われたりする可能性もあるし、関係が終わる事もある。
心からの信頼と、「相手を信じる強さ」がないと成立し得ない、精神性質対局同士の起こした事象。

でも極限の心の中で、自分の特性と彼の特性をはっきりと把握し、それぞれの良さや脆さを感じることの出来た、象徴的な出来事として私の中にしっかりと刻まれることとなったのだった。

そしてそんなもの同士、今も共に生きている。
私はこの事象に、とてもとても感謝している。









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