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結婚


私には9年前から付き合っている恋人がいる。
同じ母校の大学の一つ上、科違いの先輩だ。

彼は私が素材の選択を迷っていた学部2年の時から石彫を主な表現として選択し、そして作家になるまでの経緯を全て見てきた人でもあるし、逆に私も彼が社会人となるまでの揺らぎや葛藤を見てきた。

今はフリーランスである私と、サラリーマンとして生きる彼がいて、夫婦として共に生きている。



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私の事を縛り上げる呪いの言葉の一つに

結婚したら、女性作家はダメになる

と言う言葉がある。

彼との結婚を視野に入れ始めこた今から5年ほど前、この手の話に敏感になっていた自分がいた。
美術界の様々な場面でこの言葉を聞いてきた。

いつのまにか言葉の力に負けていき


自分の力が及ばないうちは意地でも結婚しない


という謎のハードルがそびえ立ってしまった。

2019年3月、予備校時代からの一つの大きな目標であったアートフェアでの個展をギャラリー花影抄ブースで開催させて頂く運びとなった。

他者からはいつ結婚しようが何かしら言われる可能性があるから

せめて自分が納得できるタイミング


で彼と結婚すると決めていたので、アートフェアでの個展を節目として2019年2月、満を辞して籍を入れた。


↑会場風景。今見ると人との距離が近い。


しかしながらアートフェアで会場にいた中で例にもよって

結婚したら女性作家はダメになる

と諭すように私に話し出す方と遭遇してしまった。

(自分の中で強い意思でこのタイミングで籍を入れたのだから何を言われても取り乱すなよ)

と自分自身を強く御したつもりだったが、次の瞬間にすごい勢いで反撃する自分がいた。
当時母の闘病を必死で支えながら活動していた私にとって

結婚した

ということだけでマイナスの日々をプラスに変えてきた力を全部なかったかのようにされる気がして辛すぎて怖かった。女の私にも全力で守ってきたものがあるのだ。

余裕のなさも相まって、恨みで満たされていった。

そんな恨みをはらみながら過ごしていく中で自分の中でいろんな価値観が歪んでいくのを感じた。

時に見かける

妻と(子供と)共に、明るい家庭を築いていきます。

そう高らかにSNSで表明する男性作家を疎ましく思いかけた時

このままではいけないと思った。

なぜ疎ましく思ったかと考えたら

そのように家庭を持つことでより信頼が高まったり、「養うことができる仕事」として表明できる恩恵をプライベートを開示することによって受けやすい男性

に対して

「女性作家は結婚したらダメになる」と言われる、なんなら仕事も減る可能性がある中、ありのままの自分の生き方、あり方を開示しにくい空気でいろんな事を我慢しなくてはならない私達女性とのギャップと、これまで私が言われてた言葉に対する恨み

が一気にこみ上げてしまうからでだった。


この思考回路は自分が求めている未来どころか自分が苦しめられた言葉を今度は発する側になりかねなかった。


こうやって我慢や恨みは連鎖していくのだと思った。

この連鎖をこのまま未来の世代に引き継ぐわけにはいかない。

こんな言葉は 呪い 以外の何ものでもないのだ。

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昔からの「男と女のあり方」であっても及ぼし合いながら助け合いながら生きていくことは変わりなく、現代に於いてはその助け合いの種類が増えていくだけで、今まで一生懸命生きてきた方々の人生やあり方を否定したいわけではなく

時代を変える とか アンチテーゼ とは言えど、ニュアンスとして

新たな枠が増えていく 

という考えとしてどうか許容して頂けたらとい言う気持ちです。

勿論、この事を発信したことによるリスクもあることは想像できるし、逆にあえてこんなこと改めて知りたくはないって方もいらっしゃるとは思います。(未婚女性である という条件のテレビの仕事に実際出くわしたことがあります。当然断りましたが)
しかし私自身にとってこの言葉はあまりにも呪いの言葉になりすぎてしまった

振り返ってみて結婚したからと言ってすぐに何かが変わるわけでもなかったわけで、(この1〜2年で私がいわゆる ダメ になる方へ変わったとは特に思わなく寧ろ、人生をかけて彫刻に力を注いだ年でした)
こればっかりは自分自身で解き放たないとどんどん卑屈になってしまうなと言う危惧があったためあえてこの様な形でお知らせする事を決めました。

結婚についてはデリケートな問題で、自分の意思のみでできることではないですし、すでに死別を経験されていたり、離婚されている方も居たり、作家活動の為結婚という選択肢を取らなかった方も大勢いらっしゃると思います。
そういう事を考え出したら、自分も口を慎むべきと思いましたがやはり

女性作家として生きるのならばこうならねばならない、これはすべきでない

この様な人生の選択肢を狭める考え方や空気の圧力はどう考えても不要なものです。

本当に大切なことは

純度高く作品を生み出すこと

生き方や環境においては、様々な形があり優劣なんてありません。
色々な環境や人生が背景にあるから、芸術は自由で面白いのです。そんな分野を取り巻く理念が寧ろ遅れたものなのも悲しいものです。


夫婦という関係性においても

個々に独立した理念と生き方

を尊重するのが重要
と思っています。

3年前母親がある日突然倒れた日から
他者の存在、健康、思想は常に流動的であり、本人の意思がどうであれ

決して「依存」するに値しない 

と考えています。

彼のことは心から信頼しています。
ただ、ある日突然あらゆる理由により家に帰ってこない可能性なんて0にはならないのです。彼にとっての私もそうです。

結婚というのはその緊張感を互いに背負うことと思っています。
だからこそ、今この瞬間を愛せるのだと感じています。

自律というのは1人で居ても他者と居ても必要なことです。

夫婦で共に過ごすにあたって、たくさんの恩恵を受けていることも事実です。
私は夫をはじめとし、沢山の方に沢山助けて頂きながら、制作することができています。

だからこそ、何かあった時に大切な人達を守るためにも、そしてもらった愛の分、世に還元する為にも、私は私で自分の牙を研ぎ続けなければと思います。
これは如何なる場合でも表現を手放さないようにする為でもあります。

呪いを自分で解きます。

きっとまだまだ色々風当たりはあると思いますが

自分の幸せを貫けたら、とても広い世界が待っているような気がしてます。

この変わりゆく時代をありのまま謳歌していきたいのです。

本当に女性作家は結婚したら

ダメになる

かどうかは誰かが決めることじゃない。

大きな流れにジャッジされること恐れず自分を貫いて行きたいと思っております。

そんな自分を過ごして

こういう生き方もあるね

とストンと心に落として頂けるような世の中になったらいいなと願いを込め、noteにて発信させて頂きました。





追伸
昨年6月に身内だけで式を挙げました。
大切な人との結婚までの道のりは長く特にこの3年間は、祖母の死、自身の仕事の独立、祖父の死、母の死を立て続けに迎え、精神的にも特にハードなものでした。ただずっと私心を支えてくれて、私の個人的な我儘に結婚するタイミングもずっと待っていてくれて、意思を信じて見守ってくれた彼には本当に感謝しています。


そして、祖母の黒留袖を着た母は、特別優しい顔で参進の儀にて傍で手を引いてくれました。誰もいない参道に敷かれた赤い道の上を母と共に歩いた時に、母のお腹の中に胎児となって戻ったような感覚になりました。真っ直ぐ前を見て歩く母と私の景色が重なったのだと思います。
今でもあの手の暖かさを想い、大きな幸せを感じた瞬間だったと振り返ります。死の気配がまとわりつく日々の中で、無垢な親子に立ち返れた束の間のひと時でした。

帰りは彼のお母さんが私の手を引いてくれました。彼を育んだ人、素敵なお義母さんです。

式には彼と私の家族親戚が集まって、私たちを祝福して下さいました。皆さんがいて、私たちが出会えた事を改めて実感いたしました。

3年前に亡くなった祖母は着物の先生で、式では祖母の仕事仲間であった加藤絹枝先生と木村紀子先生に着付けをして頂きました。


写真の向かって右側、加藤先生は今年7月に90歳のお誕生日を迎えられた現役の先生!

向かって左の木村先生は86歳、こちらも現役で働かれている私のおばあちゃんのような存在です。
この2人は20代前半から着付けの腕だけで今日まで生きてきた、誇り高く働く女性像そのもの。帯を閉める手は力強く、2人の息もぴったり。曲がることなくのびやかな背中。とにかくかっこいい。
また2人の武勇伝が本当に面白くて。

心から尊敬します。そして改めて感謝申し上げます。

ブライダルのカメラマンの仕事をしていた彼の弟和揮君にも沢山写真を撮っていただきました。ありがとう。

↑和揮くんが撮ってくれた写真。お気に入り

そして佐野家の冠婚葬祭皆勤の(笑)公私ともにカメラマンしてくれる縣ケンジ君。ありがとう。


メイクに無頓着な私に、合う口紅を探してくれて、当日妹のヘアメイクをやってくれた美容師のさおり。本当にありがとう。

↑建築士の妹は母方の祖母からのお下がり東京タワーの帯。髪飾りは母さんが育てたお庭の紫陽花。
とても華やかにして頂いた。


皆さんのお陰で沢山の記念を残すことができました。

私の周りには尊敬する大好きな人が沢山居ます。
こうやって紹介できることも純粋に幸せです。


↑昨年ギャラリーの皆様にお祝いして頂いた時の写真。昨年籍を入れてからも、勿論変わらずお付き合い頂いています。

そして、かねてより応援して下さる方々に感謝申し上げます。
こんな私ですが、これからも色んな事を経験したり体感したり、考えたりしながら、大切な人達と共に制作に励みたいと思います。

改めましてこれからもどうぞ、よろしくお願い致します。


↑披露宴会場にも連れて行ったピンクドラゴン

佐野藍

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