見出し画像

聖霊のシナリオか?自我のシナリオか? あなたはどちらのシナリオを選択する?

すでに終わった過去を見ている

今、時代は大きな変換期を迎えているかのように見えます。

この世界の形態、情勢を見るならば、たしかに、常に移り変わって、変化していっているかのように見えます。

私たちは、その変化にどのように対応していけばいいのでしょう?

真理からみるならば、どんなに時代が変わろうとも、どんなに世界の状況が変わろうとも、この世界は自我(二元性)の思考体系が作り出したドラマ(幻想/夢)であることに変わりないということです。

幻想は幻想のままであり、幻想でしかない、ということです。

どんなに時代が変化していこうとも、その内容はまったく変わらないということです。

ならば、その実践も変わらないということです。

では、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)では、変わりゆくこの幻想世界の中にいながら、どのような生き方をしていくのか?

というなら、

この世界をどちらの目的で見るのか?

それだけが私たちがフォーカスしていくべきことだといえます。

(ちなみに、この世界で起きている形態レベルのことはどうでもいい、無視していい、ということではありません。)

コースの教えからいえば、この世界の中で経験していることはすでに終わったことであり、私たちはすでに時間の旅を終えていて、そこから過去の記憶をただ振り返って見ているだけです。

私は過去だけを見ている。(W-pI.7)

奇跡講座/中央アート出版社

聖霊の視点(時空間を超えたところ)から見るとき、つまり、聖霊と共に見るとき、たしかに、時空間の中で起きている出来事すべてがすでに終わった虚偽というふうに見ることができます。

訂正された知覚(真の知覚)とは、そういうものです。

それを「ヴィジョン」というふうに呼んでいます。

すべてはすでに書かれたシナリオであり、今起きていること、これから起きることもすでに終わった過去を見ているだけであり、そのすべてがドラマ(夢)にしかすぎないのです。

つまり私たちは、本当は、時間と空間の外側にいるのであり、つまり、幻想の外側からこの世界の幻想を見ているということです。

そしてそれが、聖霊と共に見ている景観だと言うことができます。

一方、

自我と共に見るならば、時代の変化の移り変わりが重要なことのように見えます。

そのとき、私たちはこの幻想世界にとらわれ、この世界は幻想であるにもかかわらず、幻想に振り回されることになります。

以上のように、この世界の見方として、二通りの見方があるということを知っておきましょう。

それが、

聖霊のシナリオで見るのか?自我のシナリオで見るのか?

ということであり、

その選択が私たちにとって重要項目なのだということです。

どちらのシナリオも幻想のドラマを見ているにはちがいありませんが、片方は、夢から目覚めていくシナリオになっており、もう片方は、夢を見続けるシナリオになっているということです。

だとしたなら、あなたはどちらのシナリオを選択したいでしょうか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?