日本文学を定義して字数を稼いで部分点もらう

邦楽の通史に関する書籍が少し話題となっているが、そのような論考や情報を発信する際に重要になるのは「定義」である。定義とは、「この本において、『邦楽』とはここからここまでを指す言葉として使いますよ」みたいなことである。言い訳っぽくも聞こえるが侮れない。筆者が思い描いている「邦楽」と読者全員が思い描いている「邦楽」が一致するほうが奇跡なのだから。受験数学を経験した人間なら「定義」がいかに重要か知っていよう。かく言う私も変数xの定義を書き忘れて、ごっそり点数を引かれた人間である。

というわけで、今回は「日本文学」の定義について考えていこうと思う。「日本文学」とはどこからどこまでを指すのだろうか。

「日本人」が書いた文学のことだろうか。
では「日本人」とは? 大和民族のこと? それとも、日本国籍をもつ人?

張赫宙や龍瑛宗は、朝鮮や台湾が日本の植民地だった時期に活躍した作家である。日本文学の雑誌にも掲載されていたようだ。また、南洋パラオでも、日本の植民地期に「コロールの五丁目」という日本語詩が歌われていたという。
逆に、敗戦後、連合国軍占領下の日本(1945-1952)で書かれた小説は? アメリカ文学…ということにはならなそうだ。

現代に目を向けてみる。2008年、「時が滲む朝」で、日本文学の賞である第139回芥川賞を受賞した楊逸は、中国ハルビン市出身。2011年に日本国籍を取得したが、受賞当時は中国籍である。他にも李琴峰や温又柔、柳美里、崔実、リービ英雄、グレゴリー・ケズナジャットなど、外国籍をもつ作家で、日本文学のフィールドで活躍している人たちはたくさんいる。

また、「日系ブラジル移民日本語文学」というジャンルも存在する。詳しくはないが、調べると、古野菊生や鈴木南樹、醍醐麻沙夫などの名前が出てくる。
※現代では逆に「在日ブラジル人ポルトガル語文学」というジャンルもあるようだ。Silvio Sam「Sonhos que de cá segui」など。気になる。(https://www.newsweekjapan.jp/asteion/2023/12/post-153.php)

ここまで考えると、「日本文学」とは「日本語文学」。すなわち「日本語」で書かれた文学のことのようである。誰が書いたか、ではなく書かれたものが何語で書かれているかで定義される、ということだ。だから、宮本正男のエスペラント語文学や多和田葉子のドイツ語文学は「日本(語)文学」には含まれない。日本で作られた漢詩・漢文はどうなのだろう。「変体漢文」という、日本語を漢文のルールで綴った文学などもあるが…。

また、「日本語」だけでよいのだろうか。日本語以外の「日本国内の言語」はどうだろうか。ユネスコによると、日本国内には日本語・アイヌ語・琉球諸語(おきなわ語・宮古語・奄美語・与那国語・国頭語・八重山語)・八丈語の8言語があると言われている。うーん・・・。

日本で作られた人工言語は? 人工言語というと、まつもとゆきひろが作ったプログラミング言語であるRubyがある。「Rubyで文学を書きました!」というのは聞いたことはないが。

「言語」以外にも「表記形式」についても考えたい。日本語と言えば、漢字とかなを主とする表記形式だが、それ以外で書かれることもある。寺田寅彦の「UMI NO BUNGAKU」や土岐哀果(善麿)「NAKIWARAI」などは日本で「ローマ字論」が議論されていた時代にローマ字で書かれた文学らしい。また、松坂忠則「火の赤十字」は、「漢字制限論」が議論されていた時代、使用する漢字を500字に制限して書かれた文学である。

他にも、全編点字で書かれた文学もあるかもしれない。では、手話はどうだろうか。紙媒体で記録できないから含まれないのだろうか。そもそも「日本手話」は、日本語とは文法体系が大きく異なるらしく、もはや「別言語」と捉えられてもいるらしい。

「日本文学」の「日本」の部分だけでもこんなに書くことがあったが、「文学」にもいろいろある。物語(小説)・随筆/紀行文・詩歌・戯曲(音声劇・舞台芸術・映像芸術)・・・。ゲームシナリオ(TRPG・ゲームブック・コンピュータADVゲーム/ビジュアルノベル・コンピュータRPG)など。どこまでを「文学」とするのかは人によって異なりそうだ。

定義だけでこんなに長く書けるのだ。字数で原稿料が決まるのなら、定義は無意味に長々と綴るに限る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?