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美しい徒労-英訳版「雪国」再翻訳を通した言語考察

大学4年生の頃、友達とアメリカ旅行に行った際に、ポートランドの本屋で「雪国」の英訳版(E.G.Seidensticker訳)を買った。それ以降約5年ほどずっと積まれていたのだが、ようやく読もうという気になり、そしてそこから2週間ほどかかって先日ようやく読み終えた。さすがに英訳版のみでは心許なく、日本語版、つまり原文「雪国」(新潮文庫)とも照らし合わせながら読むことにした。当初は英語だけでは理解できなかった文を確認する、程度の使い方を想定していたが、いつしか読んだ英語を自分なりに日本語訳をし、その日本語と原文を比較する、という読み方に変わっていき、その読み方によって別の面白さを見いだすことが出来たので、いくつか例をあげながらここで紹介したいと思う。

英訳者であるサイデンステッカーは、川端康成の綴った日本語のもつニュアンスをなるべく壊さないように英語に訳したと言われているが、自分はその英語訳をなぜか「中学・高校英語教育で学習する構文的」に日本語に戻すスタンスを取っていた。まずは冒頭の一文を見てみよう。

①国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

これをサイデンステッカーは次のように訳す(括弧内は私の再翻訳)。

The train came out of the long tunnel into the snow country.
(列車は長いトンネルから出て雪国へとやって来た。)


私の受験英語に染まった頭は、はじめこの一文を読んだ際、原文の「~雪国であった。」というニュアンスは強調構文にしたほうが適切なのではないかと考えた。つまり次のように。

It was in the snow country that the train came out the long tunnel and arrived.
(列車が長いトンネルから出てたどり着いたのは雪国であった。)


しかし、上の訳を読んで原文との差異が少ないと感じるのは、英語を日本語に戻して理解する人だけであり、英語をそのまま英語として理解する人にとってその感覚はないはずだ、とその後すぐに気がついた。強調構文「It is ~」の「~」の部分が最後の語順になるのは、それをセオリー通りに日本語訳したときだけであって、英語を英語のまま理解する人にとっては文末を「into the snow country.」で締めるほうが「雪国であった。」のニュアンスに近いと感じるはずである。

ここまでは「語順」の話。ここからは「品詞の違い」というテーマで見ていく。次はこちら。

②鏡の中の男の顔色は、ただもう娘の胸のあたりを見ているゆえに安らかだという風に落ち着いていた。弱い体力が弱いながらに甘い調和をもたらしていた。

The man's face in the mirror suggested the feeling of security and repose it gave him to be able to rest his eyes on the girl's breast. His very weakness lent a certain soft valance and harmony to the two figures.
(鏡の中の男の顔には安心と安らぎの気持ちが表れていたが、それらの気持ちは、彼の目がその少女の胸に向けたままにできることがもたらしたものであった。彼の非常な弱さはある種の柔らかな均衡と調和を添えていた。)

*「the feeling of security and repose」の後に関係代名詞が省略されており、完全な文に戻すと「it give him (the feeling of security and repose)」というSVOOの形を取っていて、「it」は「to以下」の形式主語、という形で訳したつもりである。


語順もかなりややこしいが、ここで比較したいのは、「安らかだという風に落ち着いていた」と「security and repose」である。似たような意味の「形容動詞+動詞」という組み合わせを「名詞+名詞」という形で訳している。このような似た意味の名詞を二つ列記するというのは、後の文の「valance and harmony」でも用いられている表現である。

これと並べて紹介したいのが次の二つの部分。

③小さい瞳のまわりをぽうっと明るくしながら、つまり娘の眼と火とが重なった瞬間、彼女の眼は夕闇の波間に浮ぶ、妖しく美しい夜光虫であった。

As it(=the light) sent its small ray through the pupil of the girl's eye, as the eye and the light were superimposed one of the other, the eye became a weirdly beautiful bit of phosphorescence on the sea of evening mountains.
(明かりが彼女の瞳を通してかすかに輝くとき、彼女の眼と明かりは互いに重なって、その眼は夕方の山々の海で異様に美しく燐光を発するようになるのであった。)


④駒子の愛情は彼に向けられたものであるにもかかわらず、それを美しい徒労であるかのように思う彼自身の虚しさがあって、けれども反ってそれにつれて、駒子の生きようとする命が裸の肌のように触れて来もするのだった。

He was conscious of an emptiness that made him see Komako's life as beautifle but wasted, even though he himself was the object of her love.
(彼は、駒子の人生を、美しいが一方で無駄だと思わせるような虚しさの意識があった。彼自身が彼女の愛の対象であったのだけれども。)


③で気になったのは、「妖しく美しい」という「形容詞+形容詞」の部分が「weirdly beautiful」という「副詞+形容詞」になっている点である。この部分から、日本語の形容詞は活用することができるため、連用形になって別の形容詞とくっつくことができる、というのは一つの特徴たりうるということに気づかされた。
また④は、「美しい徒労」表現が「beautiful but wasted」と表現されている。本来「美しい(beautiful)」というポジティブな評価と「徒労(wasted)」というネガティブな評価は逆接でつなぐべきなのだろう。しかし原文にそのような配慮は見られない。この③と④の例から、日本語の形容詞は「活用する」という特徴も手伝いながら、あとにどんな言葉が続いてもある程度自然に接続することができるのかもしれないと感じた。

今回は英訳版「雪国」を原文と比較しながら、「語順」「品詞」という2つの観点について考察した。川端康成は、自身がノーベル文学賞が受賞できたのはサイデンステッカーの英訳の貢献が大きいとのことで、ノーベル賞の賞金の半分をサイデンステッカーに渡したと言う。そんなサイデンステッカーの英訳の凄さを体感しようと読み始めたのだが、結局は英語を頭の中で日本語訳して理解するというプロセスをしている以上、完全に理解することはできないと冒頭の一文で気づかされ、それこそこの試みは「美しい徒労」に終わるかと思われた。しかしながら、今まで意識していなかった日本語の特徴に気づけたり、自分の英文和訳の思考プロセスに自覚的になれたりと、思わぬところで収穫があった点は有意義であったと思う。

もちろん今回とりあげた部分以外に着目することもできる。たとえば、「語彙」に着目すれば、川端康成の描いた「雪国」の(英語文化圏から見れば)エキゾチックな世界観がどう英語で説明されているのかを深く考察することもできる。これについては、「山袴」は「mountain trouser」、「髢」は単に「string」など、意外と言葉多く説明しておらず逆に不安になる部分でもあったが(そもそも「雪国」は「the snow country」でよいのか、という疑問も残る)。それで言うと、原文のかなりハイコンテクストな会話も、基本はそのまま訳されていたのも興味深かった。これを読んだ英語ネイティブの人はどう理解するのか、是非とも機会があれば聞いてみたいものである。

【補記】

川端康成の「雪国」自体は大学2年生の「日本文学講義」で後期セメスターの半分を使って精読したきり、今回2回目の精読であった。当時教科書代わりに使っていた文庫本を開くと、

彼がもとめる言葉には答えないで、
          ←「体を」(p.33)
「私は何にも惜しいんじゃないのよ。決して惜しいんじゃないのよ。」←「貞操が」(p.35)
「あんたが悪いのよ。あんたが負けたのよ。」
          ←「体の欲望に」(p.36)

上の「 」内のように言葉を補うメモが所々に書かれていて、見ていて懐かしい気分になった。
また、ストーリーや時系列などはほとんど覚えていなかったが、最後唐突に火事が起こるところと、「火事の焦げ臭さに繭を煮るような臭いが混ざっていた。」という一文の「繭を煮るような臭い」という描写だけが強烈に記憶に残っていた。初読のときからどんな臭いなのだろうと想像していたからだろうか。昔知り合いに「嗅覚と結びついた記憶は忘れにくい」と聞いたのを思い出した。

注)本文の引用に関して、原文・英訳はそれぞれ以下を参照した。
・川端康成「雪国」(新潮文庫, 1947年発行, 2014年改版)
・Yasunari Kawabata「Snow Country」
translated from the Japanese by Edward G. Seidensticker(A wideview/ Perigee Book, 1981)

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