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短編小説「ようこそ喫茶店、銀河鉄道へ」

 街外れの閑静な住宅街。そこからさらに離れた人気のない公園。その公園のもっと深く、誰も知らないようなところにその喫茶店はある。
 その喫茶店を見つけられるのは、その喫茶店を必要としている人だけ。後の人は、きっと見つけられないだろう。
 この喫茶店は、一見普通の喫茶店のように見えるが、少し変わった不思議な喫茶店である。
 さて 今宵も迷えるお客様が来店した。彼は不思議な縁でここで出会った。
 今日は、そんな話を皆さんにしていこうと思っている。
 では、喫茶店「銀河鉄道」へようこそ。

1
 実にくだらない人生だった。
 僕がこの世に残したものなんてこれっぽっちもない。もう僕には生きる道はないのかもしれない。あぁ自分の人生思い返しても、原稿用紙1枚程の薄い人生だったと思える。
 こんな人生ならとっとと捨ててしまおう。
 そんなことを考えながら、僕は夜道を歩いていた。家まではまだまだ距離がある。なんせ、帰り道は、電車を使わなかった。もし、駅のホームに立ったら、そのまま飛び降りていたかもしれなかったから。
 まるで、僕の気持ちを表したかのような皺の多いスーツ。顔さえ、パッとしない。側から見たらただの一般人A。人生なんて、そんなもん。
 夜の街は心地が良い。誰にも何も言われず、誰にも会わないから。街を外れて、途方に暮れながら住宅街に差し掛かった。住宅街の家々は、暖かそうなライトがついており、きっと家に入れば、この外の寒さなんて忘れてしまうのだろう。
  きっと、人生うまくいってたら僕にも帰る家があって、愛しの誰かが家で待ってくれる。そんな人生もあったのかもしれない。僕は一体どこで人生を間違えてしまったのだろうか。時間を巻き戻そうにも巻き戻せない。考えても無駄だと知っていながらも、いつも考えてしまう。なんせ、同年代の人たちは、毎日一生懸命働いて、給料をもらって、暖かい家があって、友達がいて、それに恋人がいて。周りと僕を比べると、自分がみすぼらしく感じてしまう。
 僕は外の世界から逃げるようにイヤホンを耳にかけた。今日の気分は、アップテンポの曲を聴けるような気分ではなかった。しっとりした曲で自分の心を癒したかった。
  音楽を聴きながら、無意識に目についた公園へ入っていた。この広い公園は、森を貴重にしており、生い茂っている木々が沢山ある。何かに導かれるように、あてもなく公園内の街灯を辿っていった。耳から女性の優しい歌声が聴こえて、身体全体に響いていった。
 公園に入ってさらに奥。何か大きな黒い塊が見えた。暗くそれがなんなのか分からず、内心得体の知れない何かに恐怖を感じつつも、早足でそれに近づいてみた。
 そこにはもう走ることのない大きなSL列車があった。今にでも煙突から煙が出てきて、走り出しそうな黒いSL列車の迫力に息を飲んだ。
 最近は、使わなくなった蒸気機関車を公園に置いて、子どもたちに人気の遊具になっていることを数年前のニュースで見た気がする。これも同じものなんだろうって僕は思っていた。
 前方から側面を観察して歩くと後ろに一両だけ列車がついていた。中からライトが眩しいくらい漏れていた。時刻は午後9時半を回っていた。こんな時間に何をやっているのだろうと思って明かりの方へ足を運んだ。中の様子は、僕の身長では見えなかった。扉の前には、列車の中に入るための段差が数段あった。僕は意を決して、イヤホンを外し、階段を登って、目の前の扉から列車の中へ入っていった。
2
カラッカラン。
 横引きの扉を開けると、鈴が鳴った。
 オレンジ色のライトが特徴的で木を基調とした店内というのが印象的だった。中は思ってた以上に狭く、よくある電車内の内装をイメージしていた僕にとって、カウンター席しかない店内は意外だった。L字型のカウンターテーブルには、一人の男性が机に突っ伏していた。恐らく酔っ払って眠ってしまっているのだろう。横には瓶ビールとグラスが置いてあった。
 僕はドアの前で店内の様子を眺めながら、立ち尽くしていた。すると、奥から黒いワイシャツに腰エプロン姿のお爺さんがやって来た。
 「いらっしゃいませ」
 優しい声で話しかけて来たお爺さんは、80代くらいのように見えるが立ち振る舞いから少し若く見える。
「どうぞ好きな席に座ってください」
 僕は促されるまま、目の前の席に座った。
「あ、あの僕初めてで、、、」
 お爺さんは、ニコッと目を細め僕を見た。お爺さんは、優しそうな雰囲気を持っているが、僕にとったら全てを見透かされているような気分だった。
「メニューとかってありますか?」
僕がお爺さんに問いかけてもお爺さんは何も言わず、僕に背を向けたままキッチンで何か作業をしていた。
 初めて本格的な喫茶店に入ったから、雰囲気に飲まれそうになっていた。
 すると、お爺さんは僕の方へ体を向け、そっと温かいコーヒーを出してくれた。僕は何も頼んでいないのに。でも、悪い気はしなかった。
 僕は、恐る恐るそのコーヒーに口をつけた。ブラックコーヒーなんて、初めて飲んだけどこんなに飲みやすいんだと感じた。僕の心にあったわだかまりがコーヒーの甘さによって少しだけ癒されたがちょっとした苦味がまだ僕の気持ちをスッキリさせてくれなかった。
  しんみりとした雰囲気に耐えられなくなり、僕はお爺さんに話しかけた。
 「こんなところに喫茶店なんて、あったのですね」
「はい、だいぶ昔からあります。しかし、ここのお店は、普段は誰も来ません。来ることもできないでしょう。この喫茶店を望んだ人でないとお客さんは来ることはありません。そんなお店です。」
 設定が凝っている喫茶店、あるいはお爺さんが変なのか。僕はなんて返していいかわからなくなり、もう一度店内を見渡した。
 大きなL字型のカウンター席がこの車両の大半を占めており、僕が座っているのは入り口からすぐの席。机に突っ伏しているおじさんがいるのが僕と真逆の入り口から一番遠い席。椅子は全部で7個しかなく、本当にこじんまりした喫茶店と言う感じだ。キッチンには、コーヒーを淹れるためのポットなどをはじめ、様々なカップ、またウイスキーなどのお酒も並んでいた。コンロも一台あるから、何か料理も出せるのだろう。また、店内には多くの雑貨が置いてあった。木彫りのフクロウの置物やどこかで買ったであろう小物。もちろんミニチュアの列車の模型もいくつかあった。これらの雑貨が店内を狭く感じさせる印象を持たせているのだろう。
「何か気になるものでもありましたか?」
 僕が興味津々で店内を見渡していたら、カウンター越しにいるお爺さんが話しかけて来た。
「いえ、特に何もありません。すごく雰囲気のある喫茶店だなと思いまして。」
「はい。当喫茶店は、多くの時間を旅しております。そこでのお土産などをここに飾っているのです。お客様のことを忘れないように。」
 何かコンセプトカフェのような感じの喫茶店だと思った。
 僕は特に何も話すこともなく、店内を見渡していると、コーヒーが飲み終わったことに気がついた。時刻はもう11時になろうとしていた。時間の流れの早さを感じ、一杯のコーヒーを飲んでお店を出ようとお会計をお願いした。メニュー表もないお店の会計程怖いものはない。僕はドキドキと待っているとお爺さんは右手の掌を僕の方へ向けて言った。
「お会計は結構です。またのご来店をお待ちしております」
「いえ、そんな、、、」
「いえ、大丈夫です。きっとあなたはまだこの喫茶店を望んでいる。なので、またご来店をしていただければ」
 こんな、商売をしてていいのだろうか。僕はお爺さんの言葉に甘えつつ、お店を出ようとした。
「あ、あの今更ですけど、ここのお店の名前ってなんですか?」
 お金も払っていないのに、失礼なことを聞いていると重々承知の上で聞いた。お爺さんは、また目を細め優しい笑顔で僕に言った。
「はい、銀河鉄道と言います。」
3
 翌朝、いつものように目が覚めた。毎日起きるたびに自分が死んでいないかを確認している。こんな辛い人生なら、寝ている間に心臓が止まって死んでいてもいいのに。幸運か不運か今日も生きている。
 スマートフォンの画面は朝八時を指していた。そのまま僕は「喫茶店 銀河鉄道」と調べてみた。昨日の出来事が今でも心のどこかに引っかかっていた。謎の喫茶店は、インターネットではヒットはしなかった。地図で調べても出てこなかった。きっと小さすぎて地図にも載らない喫茶店なんだろう。隠れ家的なお店を見つけられて、なんだか特別な存在に心が惹かれた。毎日同じようなことの繰り返しだったが、なんだか今週一週間は何かいいことが起きるのではないかと心を踊らせながら今日のスケジュールを確認した。

 人生後ろめたいことばかりだった。今でもそうだ。他人と比べて僕は充実した人生だったなんて言えない。同年代の人は今頃キチンとした仕事に就いて、恋人のためや自分の家族のため。そして育ててくれた両親へ恩返しをしているといったところだろう。でも僕はどうだ。ろくな仕事もしていないし、親からは心配ばかりされて若干呆れられている。当然、恋人という存在なんていない。寂しくて、辛い毎日だった。そんな矢先に見つけた喫茶店、「銀河鉄道」ここは誰にもバレない、辛く虚しい人生からの逃げ場だと思った。
 カラッカラン
 またこの前のように扉を開いた。前回酒で潰れていた人は今日は起きていた。
「なんだ、坊主」
若干、強面でガッチリとした体のアラフォーと思える男性がいた。
「シゲモトさん、優しくしてくださいよ。この子はこの前初めて来店した子なんですから」
「そうか。坊主もここへ来たんだな。こんな場所の喫茶店にも人が来るのか。なんだ、俺だけの場所かと思ったのに。まぁいいやマスターもう一杯。」
シゲモトと言われていたおじさんは、グラスを片手に前回同様奥の席で一人で酒を嗜んでいた。今日はウイスキーのロックを飲んでいた。スーツ姿から、きっと仕事帰りなんだろう。シゲモトは、その見た目からスーツとロックグラスを持つ姿がよく似合っていた。この喫茶店の常連客のようにも見える。
「シゲモトさん、あまり飲み過ぎないでくださいよ。」
「あぁ、わかってるって、マスター。でも飲まないといけないんだよ」
 シゲモトは半分ヤケクソのように酒を飲んでいた。前回もきっとこの調子で潰れていったのだろう。今日はまだ8時を過ぎたあたりだった。
「君も好きな席に座りなさい」
今日もキッチンに立つ姿が頼もしいマスター。
マスターに促され、また入り口に近い席を取った。ズカズカと店内に入れないことと、なんせ、シゲモトの近くには座りたくなかった。彼の強面の顔と彼が酔っ払っていて絡まれたくなかったからだ。
「今日は何か飲みたいものがありますか?」
マスターが気さくに僕に話しかけてくれた。何が飲みたいかなんて決まってはいなかったけれど。
「おうおう、坊主。そんなしけた面してないで、決まってないなら一緒に飲もうや」
 シゲモトは、僕へグラスを持ってくるようにマスターに言った。僕はあまり飲む気にはなれなかったけれど、断れず言われるがままにマスターからグラスを受け取った。そして、シゲモトと同様にウイスキーをロックで飲んだ。ウイスキーは炭酸と割ってハイボールとして飲んだことはあるけれど、他の飲み方は知らなかった。初めて飲んだウイスキーのロック。少し口につけただけで、ウイスキー独特の匂いが鼻をくすぶった。そして、首を絞められているかのように喉が苦しかった。
「はっ、坊主、酒を飲むのは初めてか。」
「そ、そうですね、こんな強い酒を飲んだのは初めてかもしれません。」
マスターが気を利かせて水を持ってきてくれて、その水を一気に飲んだ。僕を見ながらシゲモトは、僕を馬鹿にするようにカッカと笑っていた。
「おまえは、そんなしけた面してるより、そうやって素で苦しんでいる面の方がよっぽどいいぞ。暗い顔してると幸福も逃げてしまう」
シゲモトは僕に言いたいことはなんとなく理解した。僕はなんと返していいかわからず、黙ってしまった。
「まぁ、人生色々悩むことはあると思うけど、まだこうやって飲めるならまだ元気はあるっちゅうことだ。今日は、坊主のウイスキー童貞卒業を記念して飲むか」
 シゲモトがまた僕に酒を飲むように言った。僕はまたウイスキーのロックを飲んだ。明日のことなんて考えず、シゲモトとただ飲んでその日を終えた。
4
ピ、ピピピィ。ピピピィ
 翌朝、激しい目覚まし音で目が覚めた。時刻を確認すると昼過ぎ。自身から放つウイスキーの香りがより一層体調を気持ち悪くさせる。昨日はどうやって家に帰ったのか記憶がない。トイレに駆け込むと同時にもう金輪際ウイスキーを飲まないと心に誓った。
 アルバイトに行く準備をして、家を出た。夕方から始まる飲食店のアルバイトには毎日憂鬱な気持ちで向かっている。バイトへ向かう途中、一件のメッセージが届いた。「今日、夜空いてる?」大学の友人からだった。大学を卒業してから、大学の友人とは極力会いたくなかった。しかし、友達も少なく、頼み事を断れない自分は、そのメッセージに対して肯定的な返事をした。
 「いらっしゃいませ」
 僕が働く大衆居酒屋の店内は若く、活気が良い。勿論同じように働いている人たちは、僕よりも若い。みんな、大学へ進学したばかりの人たちや大学在学中の人たちが多い。同年代の人たちと言ったら、スーツ姿のお客さんかアルバイト先の社員である。ひと昔前までは、同世代と呼ばれる人たちもいたが、各々就職などを理由に辞めていった。取り残された僕は、若い人たちに囲まれながら、大学生時代から続けていたアルバイト先を辞められず続けている。
「4番テーブルにこれ持って行って」「ちょっとドリンク作って」
 自分より年下で、自分より充実した人たちにアレコレ支持されるのはなんとも惨めな気持ちになってしまう。僕は考えることをやめ、無心でアルバイトに励んだ。
 「お疲れ様でした」
 僕は、年下の大学生たちに向かって声をかけ、店を後にした。大学生らは、同年代で、息の合うこともあり、大学生同士で何やら話していた。自分にもこんな時があったと懐かしい気持ちになると同時に、かつて共にアルバイトをしていた人たちのことを思うと早くいなくなってしまいたい気分になる。
 大学の旧友とは、かつて通っていた大学近くの最寄り駅にある居酒屋で待ち合わせをした。
 彼らと会うのは久しく、少し楽しみな気持ちもあったが、早く帰りたい気持ちが勝っていた。店内は、仕事帰りのサラリーマンや飲み会をしている大学生、カップルなどで賑わっていた。僕が店内をうろついていると、見覚えのある顔の人たちがいた。
「おぉ、久しぶり!」「おせぇんだよ!」
 かつてのノリで僕に話しかけてきてくれたのは、スーツ姿では好青年のように見えるタツキと大学生の時に比べて少し太った印象を持つタナカがいた。
 彼らとは、映画サークルを通じて知り合った。大学時代は彼らと馬鹿をやって過ごしていた。共に授業をサボり、ともに単位を落とした仲だ。大学生活の大半は彼らと過ごした。就職活動期間中も彼らと同じように過ごしていたつもりだった。でも、今の結果を見れば僕と彼らの差は一目瞭然だった。
「さて、全員集まった所で、改めて乾杯でもしますか」
いつものようにタツキが乾杯のあいさつをし始めた。僕は無理にテンションを上げ、ジョッキを持った。
「そういえば、大学の時に付き合っていたあのカップル、結婚するらしいよ」「いやー高校の友達が最近さ、」など最近身の回りで起こった出来事や思い出話で飲み会は盛り上がっていた。僕は直前まで行きたくなかった気持ちも彼らと話していたことで、忘れていった。
 「そう言えば、俺今度昇進するんだ」
 少しぽっちゃりした印象を持つタナカが突然言い始めた。とてもすごいことなのに、僕はどう反応すればいいのか分からなかった。
「すご、すごいじゃん。おめでただよ」
僕は、ありきたりな反応しかできなかった。タツキは「良いなぁ、俺も早く昇進してなぁ」なんて言っていた。「お前もきっとすぐできるよ」なんて二人で盛り上がり始めて、僕は虫の居心地が悪くなっていった。
「お前は最近どうなんだよ。就職したか」気を良くしたタナカが僕に向かって言ってきた。「いやー今してるんだけど。中々ね」僕は苦笑いを浮かべながら答えた。
「そ、そうか。お前もすぐできるよ、な。タツキ」
「あ。あ。そうだな。お前はやればすぐできるよ」
 二人の気遣いが僕にとって苦痛でしかなかった。こんな時に「何やってんだよ。お前。もうすぐ30だろ。そろそろ、職につけよ」なんて怒られた方が僕にとっては気が楽だったのかもしれない。僕は、ジョッキに残ったビールを飲み干した。いつもの好んで飲むビールは、苦さを残して喉を通っていった。
5
 夜も更けてきたころ、久しぶりに「銀河鉄道」へ来店した。しばらくの間、バイトやら何やらで忙しく行けていなかった。店内に着くと、シゲモトがいつものようにお酒を嗜んでいた。久しぶりに見るシゲモトはなんだか痩せているように見えた。
「おぉ、坊主か。また辛気臭い顔して。今日も飲むか。」
「いえ、今日は大丈夫です。この前、散々な目にあいましたから」
「そうか。そうか。」
 シゲモトはまた大声で笑っていた。そしてグラスに入っていたお酒をクッと飲んだ。
「おっといけねぇ。こんな時間だ。坊主申し訳ないが、俺は今日は先に帰らせてもらうぜ。マスターご馳走さん」
 シゲモトは席を立ち、出口へ向かっていった。そして、出口近くに座っていた僕の肩に手を置き僕の顔を見ていった。
「坊主、次会うときは、もっと明るい顔で会おうな。たまにはお前の笑った顔も見てみたいぜ」
 シゲモトはそそくさと「銀河鉄道」を後にした。
 僕は、シゲモトが居なくなった後、マスターと二人で静かになった銀河鉄道で特に何も話すことなく、アイスコーヒーを飲んでいた。シゲモトの存在感を改めて感じていた。
カラッカラッン
 後ろで突如ドアの開く音がした。シゲモトが帰ってきたと思った。
「あのー。やっていますか」
 そこには、若い女性が扉を半開きにして覗いていた。
 僕の隣に座った女性は僕よりも年上に見えるOLだった。彼女の名前はユメと言っていた。ユメは店内を興味深そうに眺めていた。
「色んな物が置いてありますね」
「えぇ。多くの時間を旅していますから」
「あの、メニューなんかありますか」
「いえ、基本何でも大丈夫ですよ」
 淡々とコミュニケーション能力が高いユメはマスターと話していた。
「んー、ていっても何もわからないから、アイスコーヒーで」
「かしこまりました。ミルクと砂糖は入れますか」
「お願いします」
 元気よく笑った姿は、年よりも若く見え、少女の様だった。
「ところで君はさっきから暗い顔で私のことを見ているけど、どうしたの」
 少女の顔が一気にお姉さんの顔になって僕の方へ話を向けてきた。
「いや、特に何もありません」
「しけてんなー。君あまりもてないっしょ。暗いし、一緒にいても楽しくなさそう」
 痛いところ、特に女性に言われたことでこの場から立ち去って行きたかった。
「そんなに、彼を責めないであげてくださいよ」
 マスターが丁度頼まれていたアイスコーヒーとチーズケーキを二つ持ってきた。
「良かったら、こちらもどうぞ」
 僕と彼女の目の前に出されたチーズケーキは、甘いチーズの匂いと綺麗な黄色が僕たちの食欲を誘った。
「んんー、うまい」
 彼女が喜びながらケーキを食べている姿を見て、僕もチーズケーキに手をつけた。
 食べたチーズケーキは、一切れ口に頬張った瞬間チーズの香りが口の中に広がった。そしてほのかにレモンの味もした。
「君、人生諦めているっしょ」
 ケーキを食べながらユメは僕に目を向けてきた。彼女はマスターと話している時やケーキをおいしそうに食べている時は、僕と同い年のように見えるが、僕と話すときだけ大人びたお姉さんのような眼差しになる。
「い、いや、そんなことは、、、ないですけど」
「いや、違うね。君死にたがっているじゃん。わかるよお姉さんには」
 ユメに心臓をつかまれている感覚だった。
「ならさ、一週間いや、一日だけ私に頂戴よ。そうしたらあなたは好きなように生きるなり死ぬなりすればいい。でも一日だけ私に時間を頂戴、ね。」
 彼女から突如された提案に僕はなんと返事を返していいか分からなかった。不思議な雰囲気を持つ彼女は、今日初めて会ったのになんだかどこかで出会っているような気がした。彼女は、僕の返事を聞かずに強引に予定を決めた。
「じゃあ今週、土曜日に会おう」
 彼女は連絡先を僕に渡してそそくさとお店を後にしようとしていた。
 彼女はお代を払おうとしていたが、マスターはそれを受け取らなかった。
「ああっ、ちょっと」
 お店を後にしようとする彼女に向かって話しかけようとしたが、椅子にこけてしまい彼女を追うことが出来なかった。僕は、どうしたらいいのか。

「その女やるな」
 かッカッカッと高笑いしているシゲモト。この前あった出来事をシゲモトに言ったらシゲモトは「おまえにも春が来たか」とか言って茶化していた。きっと彼女はそんなつもりで僕に言った訳でもないだろうに。
「ほれ、坊主も飲めよ」
シゲモトは僕にグラスを差し出してきた。そしてまたきついお酒をそのグラスに入れた。
「それでは坊主の人生初デートを祝って乾杯」
「初じゃないですよ」
 シゲモトは気分が良くなり、お酒を飲み始めた。確かに久しぶりに女の人と出かけるのは事実ではある。僕は色々と困惑していた。なぜ彼女は急に初対面の僕に対してそんなことを言ったのか。彼女も彼女なりの人生があるのではないかと。
 「ああ、今日は良い話を聞けたな。マスターご馳走さん。坊主頑張れよ。」
 最近、シゲモトは以前のように深酒をすることなく早い時間に帰ることが日課になっていた。また一人取り残された僕。そこへまた、ベルの音と共にユメが現れた。
「お、君また来ているのか」
 ユメは僕と目が合い、僕の隣に座った。この前の出来事もあり、彼女と何を話していいかわからなくなってしまっていた。
「デート、楽しみだね」
 彼女は僕のことを見ないで、カウンターの方に目を向けていた。
「当日はどこへ行こうか」
「どこ、でもいいです」
「そっか。君、人生最後に行きたいところとかないの」
 人生最後に行きたい場所か。そんなことを言われても行きたい場所なんて思いつかない。いつ死んでもいいようにと思っていても、何も分からなかった。
「なさそうならいいや。とりあえず私の行きたい場所に付き合って。あとは、女性と遊ぶんだから当日はきちんとおしゃれしてきてね」
「わかりました」
「それで良し」
 彼女がリードしてくれたおかげで、勝手に僕が思っていた彼女都の気まずさは徐々に薄れていっていた。
「じゃあ今度会うときはデートでね」
 彼女は、またアイスコーヒーを一杯飲んで銀河鉄道を後にした。僕は、グラスに残っているお酒に手をつけないでお店を出ていった。

 訪れた土曜日。天気にも恵まれ、澄み渡る空が心地よかった。僕は駅前でユメを待っていた。休日ということもあって駅前には多くのカップルや学生、休日を謳歌する人たちで溢れかえっていた。僕の今日の格好はいたってシンプル。白いTシャツに薄い青のジャケット、パンツはジーパンといったところだ。
「おまたせ。まった?」 
待ち合わせ時間になって、しばらくした時にユリは僕の目の前に現れた。落ち着いた雰囲気を持つ彼女の格好。ハイウエストパンツにトールネックのニット。首元に垂れ下がっているネックレス。茶色いジャケットを手に持っていた。「今日は地味に暑いね」なんて言いながら。
 「さて、まずは腹ごしらえだ」
 ユメに言われて、言われるがままに彼女の背を追った。
 ついた先は、寿司屋さん。全国にあるチェーン店ではなく、そこそこ値が張る寿司屋。お店の前に着くとユメは自分の名前を店員に告げた。「あ、ご予約していた方ですね」って若い店員に言われるがまま、並んでいる人達を横目に店内へ入っていった。
 通された先に二人で座り、ユメはまじまじとメニューを見ていた。
「なんか好きなものある?」
「いえ、特に。何でも食べれるので」
「遠慮せずに何でも食べなさい。私も食べるから」
 メニューを必死に見ている彼女の姿はまるで家族でファミリーレストランに来た幼女の様だった。
「私ここへ行ってみたかったのよね」
「そうなんですね。僕はまわる寿司しか食べたことないので、こういった寿司屋さん始めてきました」
「あら、ならよかったじゃない。丁度来れて。お姉さんに感謝しなさい」
「ありが、とうございます」
 そんな会話をしている内に、目の前に頼んでいたビールが二つ出された。そして、二人は何も言わず、グラスをくっつけた。
 お寿司を食べ終わった後は、軽く街の散策をした。彼女が行きたがっていた本屋へ行って、彼女が見たいと言って入った洋服店。「銀河鉄道みたいだね」って言いながら入った雑貨屋さん。ユメは終始楽しそうにしていたが、どこか寂しさを彼女から感じていた。
 結局最後にたどり着いたのは、こじんまりした喫茶店だった。歩き疲れて二人とも脚に限界が近づいていた。
「今日は、ありがとう」
「いえ、とんでもないです。僕も楽しかったです」
 彼女はコーヒーを一口飲んで目の前のケーキを器用に食べ始めていった。
「私ね、絶対に結婚がしたいの」
 他愛のない話をしている最中に彼女は突然言い始めた。
「私には、お父さんがいなくて。小さい頃に病気で亡くなっちゃったの。私が生まれる時にはもう限界だったらしいけど。なんとか私が生まれるまで耐えて。でも、お父さんとお母さんは私のために色々してくれたの。だから夫婦って良いなって。まぁ別に両親のために結婚するって訳でもないけど、両親を喜ばせたいの。それにウエディングドレスとか着てみたくない?あれ、すごくかわいいじゃん。私は結婚して子どもを産んで好きになった旦那さんと人生の最後まで幸せに暮らしていくのが夢なの」
 彼女が語る結婚からは幸せを感じなかった。
「でもね、私、最近彼氏に振られたの。他の人を好きになったって。そうね、丁度私が銀河鉄道に来る前日。最悪でしょ。もう私は三十路で。自分がいくら若くいようとしても世間にとったらおばさんで。彼が最後の人になるかもなんて思っていた。周りの友達ももう、結婚しちゃって。ユメはいつ結婚するのなんて言われて。だから、銀河鉄道に着いた時は、もう、ちょっと自暴自棄になっていたのかもしれない、ね」
 彼女が僕に向けた笑顔の裏にある泣きそうな顔を僕は本能的に救ってあげたかった。でも、僕には彼女になんて言っていいか分からなかった。
「ごめんね。急にこんな話をしちゃって。今日は楽しかったよ。付き合ってくれてありがとう」
「いや、そんな。そんなことはないですよ。ユメさん。あなたは素敵な人ですし、この先もきっとまた出会いがありますって。ユメさんは、ほんとうに本当にお世辞抜きで綺麗で性格も良くて。だから絶対素敵な人、現れますよ。短い間でしたけど、ユメさんのこと僕は応援してます」
ユメは立ち去ろうとしていた時に、僕に呼び止められ背を向けたまま僕の話を聞いていた。
「こんな年下にそんなこと言われるなんて、思ってもいなかった。ありがと、ね。なんだか自信が出てきたよ。また近いうちになんだか素敵な人に会える気がしてきたよ。私も君を応援するよ。君は会った時よりも、今日は良い顔していたよ。」
 ユメが僕に向けて目を細めた。そして、ユメは喫茶店を後にして行った。

 「その、女も結構悩んでいたんだな」
 僕は、後日銀河鉄道でシゲモトに会った時この前の出来事を伝えた。ユメはあれから銀河鉄道には来なかった。もらった連絡先に電話をしても繋がらなかった。僕は、ユメと出会ってから心のどこかに引っかかる物を感じていた。
「坊主、お前はどうなんだよ」
 シゲモトは険しい顔つきで僕に顔を向けていた。
「お前、人の心配をしている場合か。最近はなんだか、顔つきが良くなっている気がしたけどよ。まだ、悩みがあるんじゃないのか」
 シゲモトに話を振られて、僕は自分のこれまでについて語りだした。

「はい、御社を志望した理由は」
 僕は才能のある人間だと思っていた。
「御社の多様性を重視した点が良いと思って」
 小さい頃から映画が好きで、大学に入っていた映画サークルでは、4年間で何本もの自主映画を作成していた。
「君、経歴がないけど、今まで何をしていたの」
 大学で発表した自主映画はかなり好評を受けていた。「お前なら、日本一の映画監督になれる」って大学時代には多くの人に言われていた。
「いや、いくら大学で好評を受けていたからと言って、なんか賞とか取ってないとね。こっちも評価しようがないのよ」
 だから、就職活動よりも映画に専念していた。「自分は天才だ」「自分には才能がある」「自分は普通とは違う」って自分に言い聞かせていた。でも現実は違った。仲間は徐々に定職に就き気が付けば自分一人になっていた。
「君は、大学出て新卒で会社に入ろうて思わなかったわけ。君の年だと周りはもう働いているよ。君はそれでも学生気分が抜けずに自分の好きなことをしていて良かったの。何も思わなかったの」
 そこで初めて、就職しないと思ってももう遅かった。多様性や転職を重視している社会でも一度レールを外れた人間はどこも必要としていなかった。
「面接は以上になります」
 そして気が付けばもう30代を迎えようとしていた。
10
 シゲモトとマスターは僕の話を静かに聞いていた。僕は気がついたら涙で前が見えなかった。
 そう、僕には才能なんてなかった。
 僕のうつむいている背中に向かって、シゲモトは大きな手で思い切り叩いた
「おい、坊主。お前が夢に向かって費やしていた時間は無駄じゃない。むしろそこまで夢に走り続けたお前は凄いじゃないか。職がないからどうとか、周りが働いているからどうとかそんなのお前には関係ない。他人と比べるな。人生の価値なんて自分で決めろ。俺は、お前の人生そんなに無駄のようには感じないぞ。羨ましいくらいだ。」
 シゲモトの豪快な笑顔は、僕に勇気を与えてくれた。マスターは僕たちの様子を静かに見守っていた。
「俺は、今まで生きてきて思いがけないことにあったことなんていくらでもある。プラスの意味でもマイナスの意味でも。それが人生っていうもんじゃないのか。お前はまだ全然若い。これから10年何が起こるか誰にもわからない。だから、自分で信じた道を進んでいけ」
 シゲモトの言葉になんだか自分が悩んでいたことがアホらしく感じてきた。まだ自分を信じて進んでも良い気がしてきた。
「おう、坊主。俺はそろそろ行かないとな。そんなしけた面してないでまだ前を向いて頑張れよ。」
「シゲモトさん。なんか、俺。シゲモトさんに出会えて本当に良かった気がします。もう少し、自分を信じて歩いて行こうと思います。一緒に飲んだウイスキー、美味しかったです」
 シゲモトが立ち去る前に僕はありったけの感情をシゲモトへぶつけた。シゲモトは僕の顔を見て、もう一度おおらかな笑顔を僕に向けた。
「お前の笑ってる顔なんて初めて見たわ。坊主が頑張ろうと思うなら頑張れや」
 僕の胸に引っかかっていたわだかまりが取れた気がした。マスターも目を細めて優しい顔で僕を見ていた。
 カラッカラッ
 まだ、人生何があるかわからない。僕は自分の信じた道を信じて銀河鉄道を後にした。
エピローグ
 私は随分昔のことを思い出して頬が緩んでいた。
 元彼と別れて足が向かった先が喫茶店「銀河鉄道」だった。
 銀河鉄道で出会った彼がまさか今話題の映画監督だったなんて私は思ってもいなかった。彼は、学生時代に作り上げた映画が作った何年か後に話題になって一気に時の人となったのは有名な話だ。
 彼が、もう一度私の目の前に現れたのは元々銀河鉄道があった場所だった。彼とデートをした次の日に銀河鉄道へ行ったけど、そこには大きなSL列車なんてなかった。なんだか私は夢を見ている気分になった。しかし、「銀河鉄道」と言う喫茶店の代わりにそこへ立っていたのが、少し大人びた彼だった。彼は私を待ってたかのように歩み寄ってきた。
 私は当初彼には気がなかったが彼のものすごいアプローチによって、交際が始まりそして彼と結婚をした。母も喜んでくれたし、天国の父もきっと喜んでいただろう。
 彼は私の夢を叶えてくれた。
「ママ、はやく」
 娘が私を呼んだ。私たちは今、父の墓参りをしている。
 彼は線香を私の父にあげ、そしていたずらを仕掛けた子どものように顔を緩ませ、かつて父が好きだったウイスキーのボトルを墓の前に置いた。

 いかがだったでしょうか。
 喫茶店「銀河鉄道」は人生の大きな決断を迫られた人の前に現れます。
 きっとあなたが思い悩んだ時、「銀河鉄道」は訪れるでしょう。
 その時はいつでも待っていますからね。それではまたどこかで会いましょう。
~Closed~


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