まず信じる

私は、他の人とうまくコミュニケーションできている自信がない。それは、ごく最近まで、あまりにもコミュニケーションの不正解ばかりを踏んできた人生だったからだ。他人との適切な距離感はつかめなかったし、何を話せばいいのかもよくわからないし、暗黙の了解というものを読み取れないことが多かった。

それでも最近は、距離感ぜんぜんおかしくない、とか、明るい、などと言ってもらえることが増えた。そうなれたのは、信じることがきっかけだったように思う。私は特定の信仰をもっていないと自認している。しかし、読書やSNSなどを通して、ほんとうに多くの人たちからの影響を受けてきた。その中に、とあるインターネットの有名人もいる。その人をきっかけに、その人の運営しているコミュニティに入った。今までまったく出会ったことのなかった類の人のいるところへ行き、リアルで話すようになった。そういう経験の中で、「人を信じるハードル」が明らかに下がった。その場所には、コミュニケーションがあまりにも下手な私にも寛容な、あるいは、やさしく放っておいてくれる人たちがいて、そのおかげで私は攻撃も、排除もされなかったおかげだ。私はコミュニケーションに難があるせいで、人から拒絶された経験が何度もある。だから人を信じることは危険だし、信じるだけ無駄ということを、私は無意識のうちに思っていたようだ。表面だけでは人を信じているように演じても、内心までそうだったかというと怪しい。

「人を信じること」、これが以前よりできるようになったおかげで、私は少し喋ることが怖くなくなったし、コミュニケーションは思っていたより楽しいものだと感じるようになった。人を信じることには、怖さがつきまとうが、それでも、まず信じてみることからはじめる必要があるのだと今では思う。神様や仏様といった、目に見えないし、はっきり言って実在を証明できなさそうに見える対象が信仰を受けてきたことにも、「信じること」の効果が現れているのだと思う。信じることで、裏切られたり、傷つくことも当然あるだろう。でも、そんなことばかりではないし、そうでなかった時の喜びこそが、生きるうえで必要だと思う。


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