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#note1本書くほどでもないけれど #呑みながら書きました

クレも押し迫ったこの時期に。エントリーさせて絵いただきます。遅くなりました。
まりなさん、ありがとうございます。

実は、途中まで書いて力尽きたのです。d保お前に。1週間ほど前に。ん、なんだかキーボードがうまく入力してくれない。なので、ちょっと変速で変則でも牛開けないけど、この続きから蚊kせてください。

ここまで言うてたのに。
思いっきり後夜祭です。
呑み書きの当時通販 当日は体調不良で参加できず、そうこうしてるうちに日々が経ってしまいました。なのでゆるーく参加、ゆる〜く書いていきます。

(文章ってやっぱり勢いがないと書けないですね。何かの思いが心に沸々と上がって来た、その時に書いてしまわないと。今じゃもうだいぶ萎んでしまったので、最後まで書けるか不安です。服薬中だしアルコールは入ってないし。あ、今日のお供はコーヒーです。こんな時間にコーヒーかよ。大丈夫かよ私。)

育てる、育つ、育む

私、とても苦手なのです。人を育てると言うこと。
先輩後輩なら断然後輩キャラですし、自分より後発の人にうまく指導するとかできない。苦手。

なんでなんだろう?と考えてみると。

いやその前に、なんでこんなことを考えるようになったかと言うとfですね、職場の若手を見ていたからなのです。

別のチームの目上の人から「尊敬できる先輩いる?」と聞かれて「いない」と答えたというその人は、なんだか先輩に恵まれないのかなぁと思い。ま、単に愚痴多めな輩なだけかもしれないけど、、一緒に仕事する目上に対しても敬意が感じられない。ちょっとなんか書こうと思ってた内容と段々変わってきたな。この若手の上司が後進の指導力に欠けてるのかと思いきや、実はそうでもないのかも。

彼の愚痴にも一理あるというか、うちの部署、あんまり若手を育てる気概が感じられないのは事実。平均年齢高いのに、若手は自分で育てと言わんばかりな態度であんま面倒見る感じない。

かくいう自分も、上に書いた通り苦手なんすよ。

で、ここで、なんでなんだろう?人を育てるのが苦手な理由。


と、ここまで書いてたんですね、前回。キュ、今日はここから続き。
飲み物は、普通に緑茶。少し前に腰の完売、越乃寒梅を冷やでいただいたけどすっかり冷めちゃいました。
育てるという子tについて、結構熱く語れるぞ!と思っていたのですが、すみません、nすっかり熱が冷めてしまいmさいた。ました。けどとりあえあず、描こうと思っていたことを書いてみます。

人を育てるのが苦手な理由。それは多分、私たちという世代が原因なにのかもしれない。思えばバブル経済の最後の年に入社して、その後途端にはじけちゃったもんだから、後輩が長らく入ってこなkったんですよ。なので、そもそも人を育てるという立場に立つことが長らくなかった。
で、そのまま私は規定のレ^る^、レールから外れちゃって、アメリカ行ったり帰ってきてからはフリーランスでフラフラ仕事してたので、ついに後輩という存在ができないまま、今に至る。。

でもね、おsだてる、もとい育てるって、そんなに大行に考えなくてもいいんじゃないのかな。目うて、目上とか目下とか、そういうランク的なものを意識すると余計にしんどくなりそう。目うだし、目上だしこれくらいできて当たり前、こういう配慮はできて当然、みたいなのもプレッシャーだし、目下は目上を立ててとか、気使わなきゃいけない雰囲気だと余計に吸収することもできない。
要するに、その道で少し経験を長く積んでるから、その分ちょっとはためになることも共有できるかもしれない、役に立てるかもしれない、ぐらいの気持ちでいればいいんじゃないかと。なので、先輩の方が常に正しいわけでもないし、後輩だからt常に間違っているわけでもない。それを前提にすべきだと思う。

で、不tくぁ、再び我が職場に目をうmけると、考えてみれば寄せ集め的な職場なので、年配のメンバーも自分の立ち位置を計りかねているのかもしれニア。ないな。まだそれを決めかねて伊tる、ような。決まってしまえば後輩への振る舞いもなんとなく決まってくるんだろうけれど。今はまだ、なんかみてみぬふりのゆな。。。でもそれだと若い人はどんどん出ていっちゃう気がするの。もうちょっと必敗、引っ張っていくようなキャラの上司がいないと。うーむ。。

ま、私自身は自由な立場で発言したり行動したりできる立ち位置なのd、この3年ほどの間に自分が培った経験と知識は、若い方や後から北方にはどんどん共有していくし、後は本人の育つ力にまかそうと。子どもだって同じよね、きっと。過ぎたことだから、今だから言えるこんなこと。。msっmfs、なんだかまとまったんだかよくわからないけど、このテーマはこのくらいにします。

断てない、捨てない、離れられない

はい。断捨離でございます。モノに埋もれた日常をなんとかしたいと思いつつ、この年末にちょろっとハシリをやってみただけで、「あ、これは無理」となった経緯をちょっと書いてみようとお澪ます。」思います。備忘録として。

在宅勤務のデスク周りを片付けようとしたけど、とにかく書類の山。とあるグループの会報や、要提出書類、手紙を書いたときに使った便箋と封筒が何セットか、読みかけの本、別のグループの集会の世話役をした時の諸々の書類、自治会の書類、ライブで買ったCD、借りてるCD、聴きかけtのCD、編みかけのニット、作りかけの手芸用品、ギター関連のツール、レシートの山、そして目持つよう、mt、目もちゅおう、とメモ帳ね、と、カラーペンの山。

子trfskr、これだけ書いてても私自身がいかに注意力散漫かがオアわかりいただけるだろう。目についてたモニのに、とびつき、途中でポイ。とにかく楽しい、面白そうと思ったことにすぐ飛びつき、やり始めるけど、そのてょとちゅうで他に面白そうなことが目に入れば、今までやってたことをポイッと放って、新しいことを始める。断捨離でこれらを一つ一つ捨てようとしたものの、無理だった。どれもじぶんがすしょうかできてないので、捨てるに忍びないのだ。とはいえ、限られた津ペース、スペ^スニ、こういうものを一つ一つ整理して肩つけていかなくてはならない。

どこかで心に切りをつけないといけない。これから何度もわたしあh、これらのアイテムを一つ一つ無かいう日々を何度も繰り返すことだろう。その中で、やっtめみたい、やってみたいと思うっていることを、一つずつ手放して行くしかないのだ。あるいは、一つずつこなしていくか。どちらかになるだろう。器用だへないので、ではないので、同時にいくつもの小音を、並行して行うことはできない。

来年の今頃までに、少しでも物を減らしている古語ができますように。

自分の老いや、命の期限を今まで以上に意識した2023年でした。持ち物も今のうちに減らしておきたい。そんな気持ちも今ここに記しておく。

とりあえず、後夜祭、参加しましたー。
呑みかきと共に、今年を締めたいと思います。
今年もみなさま、ありがとうございましt
また来年もどうぞよろしkお願いイア足します・

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