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その日のために

大学生の頃だったか、もう社会人になっていたか。
家の用事でとある場所に泊まりで赴かねばならなかった。家族は一緒ではなく、子供の頃からお世話になっている、祖母ぐらいの歳の女性と共に。
その夜、その方と布団を並べて寝んだ。確か祖母が亡くなって暫くした頃だったと思う。だから、不謹慎だけどそんなことを思ったのかもしれない。

いつか、この方も亡くなる時がくる。
今夜のことをきっと思い出すだろう。

それから十数年後、その方は亡くなった。

それ以降、思い入れの強い相手や長年ご一緒することが多かった人と時を共にする時、未来から今を見つめるように、きっと今の瞬間、今日の出来事を後で思い返すに違いない、そう思うようになった。
昨今は自分の親に対して。

なぜそんなことを思うようになったのか。
無意識で。

心の準備?

そんな思いを、まずは話してみた。

別れが来ても悲しまずに済むように。
免れない、いつか必ず来るその日。
それを言い聞かせているような感じ。

でもいくら言い聞かせたって、頭ではわかってたって、その瞬間はきっと辛いし、その気持ちから逃れることはできないだろう。その意味では心の準備なんかできないだろうし、いくら思っても無駄なんじゃないだろうかとも思う。

いつかいなくなる人のために、後悔しなくていいように、精一杯尽くしている。でも必ず後悔することは目に見えてる。きっとどれだけ尽くしたとしても、後悔しないことはないのだろうと思う。

どこにも落とし所が見つからない気持ちを抱いてた時に、映画「ダウントン・アビー 新たなる時代へ」を観た。

ダウントン・アビー 新たなる時代へ

(以後、ネタバレを含みます)

今作品ではシリーズ当初からずっと出演していたバイオレットが亡くなる。劇中最初は普通に元気だがやはり高齢だけに終盤で危篤状態を告げられる。家族一同がベッドの周りに集まり、死にゆく彼女を見守る。そのやり取りが、ユーモアすら交えながらもそれでいて暖かい。最後の瞬間は悲しいけれど、葬送の場面では家族一同が毅然とした表情だったのが印象的だった。
バイオレットが亡くなる前に、息子の嫁であるコーラも身体の不調を自覚し不治の病を予期する。それを夫であるロバートに告げた時、彼は一瞬取り乱すが直ぐに彼女への愛情を表すのだった。

その後に観たこの番組でも。

番組では大阪の文化を守る幾つかの家族が紹介されていた。それぞれの家族が、大切な家族の一員を失っている。それでも伝統を守り続けている姿は素晴らしいものがあったし、人の強さ、しなやかさを見たような気がした。

他にも、上でシェアしているスタエフの番組内でも触れたけど、身近な仲間や職場仲間の家族の訃報に接することが今年は多い。家族を亡くした当人たちはそれでもまた日常に戻り、健気に日々を送っている。

この週末に出席した同窓会でも、同じような人たちに出会った。同い年の旧友の中には既に両親とも亡くなったり施設に入れたりしている人がかなり居た。家の処分なども含めて、悲しいながらも決断が必要になる場面を過ごしてきている。

生きていれば嬉しい出会いもあれば、悲しい別れも避けることはできない。その日を迎えたらどうなるのだろうか。心にぽっかり空いた穴をどうやって埋めていくのか。みんながそうしているように自分も乗り越えていけるのだろうか。いや、そうするしかないのだろう。

いなくなるのは自分も同じだ。最近では子どもと過ごしている時にも、未来からこの瞬間を見つめるようになった。

人生何が起ころうとも、目の前に道は続く。最後の日まで。その日までは歩いていくしかないのだろう。どんな心の準備が間に合わなくとも。周りの人たちのしなやかな強さに目を向けながら、自分もそうありたいと願う。

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