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「当たり前」の向こう側

noteのお知らせで「今月1本書くと9ヶ月連続で投稿したことになります」という励ましを頂いたので、書いてみる。1本の記事を書くほどではないけれど。

時差出勤である。
最寄駅は新快速が止まらないため、いつも一駅先(仮にA駅としよう)まで各停に乗り、そこで新快速に乗り換える。
新快速は15分に1本走っているのだが、1時間に4本のうちの1本はその駅を通らず、さらにもう一つ先の駅(B駅と呼ぼう)でしか乗り換えができない。

これには実は路線が違うとかいろいろ理由があって、鉄子な私はそれを語りだすと止まらなくなるので、本筋とは違うその件については、今回は差し控える。我慢する。
Ray心のつぶやき

電車に乗ったらすぐスマホを開いて夢中になってしまう私は、この新快速への乗り換えミスをたまにやらかしてしまう。毎時決まった時間の新快速1本だけが、さらに一駅向こうのB駅で乗り換えなきゃいけないのに、スマホに気を取られたりぼーっとしたりしていつもの調子でA駅で電車を降りてしまうと、職場への到着が15分遅れてしまうのである。

そんな私に、今日はとても嬉しいことがあった。

各停に乗ってA駅に向かう車内。
車掌さんのアナウンス。
「次はA駅です。新快速電車にお乗り換えのお客様は、この時間はA駅には止まらずB駅でのお乗り換えとなります。お間違いのないようお気をつけください。」

電車に乗る前からずっと「乗り換えはB駅、乗り換えはB駅」と心の中で呟いていた私にとって、このアナウンスはまさしく、差し伸べられた救いの手のように思えた。

大袈裟かもしれないけれど、こういうちょっとした案内や注意喚起や啓発って、注意散漫な人にとっては軌道修正の大切なきっかけになると思う。けれど、そのようなちょっとした気遣いが誰かの大きな救いになることは、あまり知られていないのだろうな。

自分にとっての当たり前が誰かの当たり前とは限らない。自分には簡単に出来ることが誰かにはとても難しいかもしれない。その「当たり前」の枠組みの向こう側の世界を想像するのは難しいかもしれないけれど、その鍵となるのはやはり、謙虚さじゃないだろうか。

こうして文章にすると、本当に使い古された言葉しか出てこない自分にもどかしさを感じるけど、とにかく、目には見えにくいことで困難を抱えている人たちに少しでも目が向けられることを願いながら、このnoteを締めくくるとしよう。誰かにつたわりますように。

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