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地域に「物語性」をどうインストールするか?

週の約半分、新潟の大学でメディアやコンテンツを教えています。大学がある新発田(しばた)市は人口10万人弱、新潟市内に通勤する人も多い地方都市で、忠臣蔵で活躍する堀部安兵衛の出身地として知る人ぞ知る場所でもありす。コシヒカリの有数の産地でもあり、ご飯が美味しくて困ります(太る)。

さて、いまこのような地方都市が力を入れているのがコンテンツツーリズムです。従来の「物見遊山」的に史跡名勝を巡る「観光」ではなく、その土地を訪れ、そこにある「物語」を味わいながら様々な体験を提供するというものです。

「内容」を意味する「コンテンツ」という言葉は非常に幅広いジャンルを含んでいるのですが、ツーリズムの世界でとりわけ注目されているのが、アニメの舞台となった土地における動きです。流行語にも選ばれた「聖地巡礼」や、「アニメツーリズム」という言葉も生まれています。(画像は一般社団法人アニメツーリズム協会より引用)

このアニメツーリズムの成功例としてよく挙げられるのが、ゲゲゲの鬼太郎の作者、水木しげる先生が子ども時代を過ごした鳥取県境港市です。筆者も現地を訪れましたが、町の至るところに鬼太郎を始めとした妖怪キャラクターの銅像が建ち、老若男女問わず多くの人たちが熱心に写真を撮っていました。

(鬼太郎の小便小僧とか、もう撮るしかない、という感じでした)

年間の観光客の数が200万人を突破した境港の成功もあって、いま全国でマンガ家の生誕地、縁(ゆかり)の地が町おこしに活かそうという動きが拡がっています。しかし、その際気を付けないといけないのが「物語性」をそこにどうインストールするか、という点です。

「人は、その地域の物語性を味わうために旅に出る。(中略)なぜ人々は嬉々としてディズニーランドへ行くのか?それはミッキーマウスを観察しに行くためではない。そこにある世界観に浸り、その世界の住人になること。これこそが人々の心を満たす。」(山村高淑「アニメ・マンガで地域振興~まちのファンを生むコンテンツツーリズム開発法~」PARUBOOKSより)

物語性を味わう旅は、その世界観の追体験を求めるものであるわけですが、作家が生みだした精緻・繊細な世界観を、現実空間に再構築するのは本当に大変です。私たち訪問者は少しでもそこに違和感を覚えると、「これは違う」となってしまうのです。

本来はその地に残された作家の印(しるし)を地域では紹介したいところです。しかし地方で生まれ育ったマンガ家の足跡を辿ると、驚くほどその地では記録が「残っていない」ことが多いのです。ひたすら絵を描くことに夢中で、商業作家としてのデビューを果たし活動の舞台を東京に移してから、様々な人々との交流がはじまり、記録が残りはじめる、というのが特に昭和のマンガ興隆期に数多く生まれたマンガ家の方々に多いパターンです。(いまは建物が失われてしまったトキワ荘がその象徴ですね)記録、足跡が乏しいと、その地に物語性を「インストール」するのは難しい。キャラクターの立て看板を置いただけでは「ミッキーマウスの観察」に留まってしまい、物語性を味わうまでには至らないわけです。

境港「水木しげるロード」は、その点、大きな優位性あるいは特異性があったと筆者は考えています。それは、ゲゲゲの鬼太郎のキャラクターたちが「妖怪」であったという点です。水木しげる先生自身が語っているように、妖怪は私たちの生活のどこにでも潜んでいる身近な存在という世界観がゲゲゲの鬼太郎では確立しています。港町という観光客にとっては少し非日常な空間に、それぞれの妖怪たちの特徴を捉えた銅像が遍在しているというのは、ゲゲゲの鬼太郎だからこそ成立する「物語性」だと言えるのではないでしょうか。

(Wikipediaより:ディズニーが洗礼を受けた教会:CC BY-SA 4.0

ディズニーが構築した世界観を追体験できるディズニーランドには多くの人が足を運びますが、ウォルトディズニーの生誕地(イリノイ州のハーモーサ)を訪れる人はごく限られています。そういった地にどのように物語性をインストールできるのか? 実はまだまだ方法論は確立されていないというのが現状です。私も引き続き考えて行きたいと思っています。

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