見出し画像

僕らが旅に出る理由

たぶん、物覚えが良い方ではない。

映画もマンガも大筋は憶えているんだけど肝心のラストシーンがどんなだったか思い出せないことは珍しくないし、待ち合わせの時間や店を忘れたりなんてこともよくある。仕事の上では悪運の強さもあり、取り返しのつかないことはギリしていないと思うんだけど、もしあなたが私と仕事上の付き合いがあり「そんなことはない!」と思うなら謝っておきます、スマン。でも私は忘れてるのであなたも忘れてください。どうでしょう、ここは一つ痛み分けということで。

これまで付き合った女の子たちの誕生日はもちろん、付き合い始めた日なんて付き合い始めて1週間後には忘れてる。でも不思議なものでこれまでの彼女たちとそれが原因で怒られたことや喧嘩したこともない。おそらく彼女たちは何らかの嗅覚で私のことを「憶えない人」と嗅ぎ分けて、それが平気な子だけが私の周りに残り、そうでない子はすぐに去っているのかもしれない。女性にはきっとそういう不思議な嗅覚があるんだろう。もしくは怒られているけど私が憶えてないだけなのか。ひょっとして今でも「物覚えの悪い男」として怒りを買っていたりするのだろうか。世の中には深く考えない方が良いことが多い。

今シーズンもJリーグの日程が発表された。いつものようにアビスパ福岡のホームゲームは結構な数、足を運ぶだろうしアウェイゲームもめんどくさいとか言いながらそれなりの数行くんだろう。コロナ禍の昨季は3試合だったけど一昨年は10試合超行っているしその前年もそうだ。一番多い年は15~16試合行ったはずだ。やはり試合結果とか内容はよく憶えていないんだけど。

「えっ!なんでたった1試合見るためにわざわざ○○県まで行くの?」

これはアウェイに行く人が必ず聞かれることだと思う。この質問に真面目に答えてはいけない。だいたいの場合、相手は明確な説明など求めていないので会話が交わることはないからだ。かといって相手を責めてはいけない。あなただって太平洋でシロナガスクジラに出会ったら「えっ!なんであんなにデカいの!?」と叫ぶだろうがその時「クジラが大きいのは体温保持のためであり浮力を~」などという説明は求めていないだろう。彼らにとって我々は奇異な人種でありシロナガスクジラみたいなもんなのだ。陸の理屈は通じない。しかも私は多くのアウェイゲームを福岡から車で10~12時間かけて行く。こんなこと言うともうクジラどころか異星人のごとき扱いを受けるのでそのことに自分からは触れないようにしている。

「プルースト効果」と呼ばれる現象がある。特定のにおいがそれに結びつく記憶や感情を呼び起こす現象のことで、フランスの作家マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』という小説の中で、主人公がマドレーヌを紅茶に浸した際、その香りで幼少時代を思い出す場面があり、その描写が元になっているということである。
心理学の研究をしていて、あのべらぼうに長い小説のワンシーンを思い出し名前を付けるなんて、やはり学者先生は物覚えがいい。私の物覚えの悪さにもいつか誰かが名前を付けてくれないだろうか。

アウェイゲームに初めて行ったのは2001年の万博競技場だった。こればかりはアビスパが初めて降格してしまった試合だから憶えている。そこから色々なスタジアムへ行った。20代をよく言えば自由に、わかりやすく言うとプラプラしていた私は、最低限だけ働いてそれ以外は福岡から日本の各地へ旅に出たり音楽フェスに行ったりアウェイへ行ったりしていた。金はなかったけど時間だけはあったので移動はだいたい車だった。
いつも、付き合っていた彼女と2人で行くか、よくつるんでいた友達やそのまた友達なんかと3~4人で行くか、という感じで3~4人の時は日帰り弾丸、2人の時は気ままに四国での試合のついでに飽きるまで3日間くらいうどん食べて回ったり、平塚でのアウェイの帰りに桜が綺麗だったので京都インターで降りて数日京都で過ごしたり。いつもそんな感じだった。

しかしそんな生活も永遠に続くわけではない。あれから10年以上たち、私も人並みにまっとうな定職に就き、ある友人とは疎遠になり、ある友人は永遠に歳を取らなくなり、一番長い時間一緒にいた彼女は付き合いだして3度目のW杯が終わった後別れを迎え、私の生活もいろいろな変化があり一時スタジアムを離れ、そしていろいろな変化を経てまたスタジアムに戻り、なぜかまたアウェイへ行っている。いい大人になったんだから飛行機や新幹線使えばいいのに、性懲りもなくあの頃と同じように車で、あの頃と違う友人たちと。

アウェイゲームに行ってると、プルースト効果に似たことがよくある。
アウェイゴール裏の椅子、立ち寄ったガソリンスタンドのイントネーション、見慣れない電車、いつもと違う見え方をする夕陽。
何年ぶりかに訪れた街やスタジアムで、何年ぶりかに目にした風景で突然思い出す。中でも助手席や後部座席が寝静まった中1人走る深夜の高速、ヘッドライトに浮かぶ高速道路を見ていると、もう二度と会うことのない人たちのこと、その時の空気、その時の会話が甦ってくる。

願わくば、アビスパがJ1へ上がったニュースを見てあの頃の友人も私のことを思い出してくれるといい。私の知らない街で私の知らない人と暮らしながら、たまたま見たニュースでアビスパの名を見て、あの頃を思い出してくれたらいい。それもきっと、プルースト効果なのかもしれない。

そんなことを思いながら、また今年もアウェイに行くだろう。往復2000kmで疲れ切って「次は絶対飛行機乗ろう」なんて思いながら、そんなことなど綺麗に忘れ、また地面を這いつくばり深夜の高速を走るだろう。

たぶん、物覚えが良い方ではない。なんでアウェイに行くのかもよく憶えてないけれど、きっとそういうことなんだろう。

なんと、「あちらのお客様からです」が出来ます!