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ステートメント_糸の間を泳いでる🧶/オキアミシュリンプ


編み物と電車

🧶仕事終わり、なんとなく100均に行って見つけた毛糸が目に留まった。ああ、この手触り。懐かしい。私は何かに導かれるように、勢いのまま毛糸とかぎ針を買った。

🧶珍しく空いていた帰りの電車の座席に座った瞬間、買ったばかりの毛糸をおもむろに取り出し、左手に絡ませ、右手でかぎ針を持った。編み方なんて覚えていないはずなのに、不思議とひとりでに手が動いていた。夢中で編んでいたら最寄駅に着いた瞬間、我に帰って手元を見たら、毛糸がちょうど1玉なくなっていて驚いた。

🧶その夜私は、帽子を完成させた。

🧶思えば、人生で初めて編み物をしたのも移動中のバスの中だった。


編み物と高速バス(出会い編)

🧶小学2年生の頃、夏休みに新潟に住んでいる母方の祖母の家で預けられ、1カ月の間を祖母と過ごしていた。

🧶三人姉弟の長女のくせに、一人っ子によく間違われる私は、ひとり遊びが大得意で絵を描いたり、漫画を読んだり、模写したり、映画を観たり、地面にチョークで線路を描いてオリジナル路線図を作ったり、三半規管が弱いくせに公園でブランコを一周させたり、折り紙でベイブレードを作ったり、フルーツの缶詰でゼリーを作ったり、新聞紙で洋服のパターンを作ってファッションショーしたり、キッチンに隠してあるお菓子を毎日少しずつ食べていつバレるか検証したり、とにかくひとりで遊ぶ天才だった。

🧶家に帰ったら妹と弟がいてうるさいので、ひとりの時間に飢えていたんだと思う。それを知っていたからか、祖母は基本見守るスタンスで、私が誘ったら一緒に遊んでくれる最高の相手だった。そして、祖母も私と同じようにひとり遊びが得意だった。

🧶そんな楽しい日々も終わり、1カ月が経って新潟から仙台に帰る高速バスに乗っている間、いつものように折り紙や絵を描こうとしても乗り物酔いしてしまうので何もできずにぼーっとしていたら、祖母がバッグから毛糸を取り出した。

🧶「これで遊ぶ?」

🧶その時は私は、こんなただの糸の塊で何ができるんだと思った。でも、元々絵本のおばあちゃんがしている(ステラおばさんのような)編み物に憧れがあった私は、祖母からかぎ針の基本的な編み方を教えてもらった。

🧶鎖編み、細編み、長編み。

🧶かぎ針はないから指編みで。

🧶不思議と酔わなくて、夢中で編んだ。パステルカラーの、ふわふわした毛糸の優しい感触をやたら鮮明に覚えている。

🧶祖母はすいすい編んでいって、1時間も経たないうちにコースターを完成させていて魔法使いみたいだった。夢中で編んでいるうちに長旅はあっという間に終わって、仙台駅で祖母とお別れした。

🧶車で迎えに来た家族の元へ合流した私は、「おばあちゃんともっと一緒にいたかった」とか、「長旅で疲れたなあ」とか、「1カ月ぶりに弟妹と顔を合わせるの変な感じ」とか、色々な感情が脳内を巡っていたけど、何より大きく鎮座していたのは、

🧶「編みたい」

🧶この感情だった。


編み物と幼少期

🧶仙台の家に帰った後も、本を読みながら沢山編んだ。滅多に祖母に会えないし、家に編み物をする人はいないので、とにかく編み物の情報が欲しくて図書館で借りたり100均の編み方ブックをお年玉で買ったりして、子どもなりに脳みそをフル回転させて編み物の情報を漁っていた。

🧶ある時母の本棚を眺めていたら目についた、『はんど&はあと』というハンドメイド専門の雑誌。

🧶もしかして、と思いパラパラとページを捲った。

🧶編み物特集がある!

🧶裁縫やお菓子作りのページしか読んでいなくて気づかなかった。

🧶今までは興味がなくて視界に入っていなかった編み物特集のページを隅々まで読んで勉強した。

🧶作れるものが増えて楽しかった。

🧶ある日、テレビで編み物アーティストの人が特集されていたのを観た。もう名前も忘れてしまったけど、身につけている物すべてが自作の編み物で、手元が見えないくらいの速さで苔、タコ、花、木など個性的な作品を生み出していく彼女を見て衝撃が走った。

🧶今まで私が見てきた編み物は、帽子やマフラーやポーチや靴下や決まった形だったから、こんなのアリなんだ! 編み物ってこんなに自由でいいんだ! と感動した。自分の常識や固定観念が崩れていった音がした。

🧶私も彼女みたいに自分の世界を編み物で形にしたい!

🧶心臓がドキドキして、今すぐ走りたい気分だった。

🧶編み物アーティストになりたい。

🧶その日、私は将来の夢が決まった。

🧶それから一年、ずっと編み物をしていた。レース編みもできるようになった。よく遊ぶ幼馴染の家でも編んでいたら、たまたまその姿を見た幼馴染のお母さんが棒針編みの方法を教えてくれた。幼馴染と遊ぶはずが、いつの間にか幼馴染のお母さんと編み物をすることが目的になっていた。

🧶その年の冬、幼馴染のお母さんと五段ずつ色を変えて交代で編んだ、青いボーダーのマフラーが完成した。初めて編み物で作品と言えるものが完成して嬉しかった。しかも共作だ。いつもひとりで作っていたから、誰かと一緒に物を作ることができるんだと感動した。私はこの気持ちを絶対形にしたいと思い、冬の間毎日毎日、幼馴染のお母さんが教えてくれた棒針で編んだ。

🧶冬が終わる頃、作品が完成した。

🧶目の部分にボタンを縫い付けた、青とピンクの毛糸で編んだ人型のあみぐるみ。誰にも頼らず編んだ、本に載っていない唯一無二の作品。

🧶不恰好だけど、私にしては上出来だった。今すぐ幼馴染のお母さんに見せようと思った。

🧶どんな顔するかな。驚くかな。

🧶「〇〇の家に遊びに行ってくるね」と家を出ようとしたら、「今日は大事な話があるから家にいろ」と父に止められた。

🧶端的に言うと、私は親の仕事の都合で新潟に引っ越すことが決まった。母は明るい口調で「おばあちゃん家の近くになるからよかったね」と言った。

🧶嘘だと思った。

🧶「どうしてそんな大事なこと相談してくれなかったの?」とか、「今の友達とお別れしたくないよ」とか、「この場所から離れたくない」とかが口から飛び出しそうになったけど、空気が張り詰めていて、言葉を飲み込んでしまった。落ち着くために肉野菜炒めを口に運んだけど、喉の奥がぎゅっとして味がしなかった。妹と弟は小さいからよく理解していないし、母も父方の祖母も何も言わなくて、無性に腹が立った。

🧶私が何か言ったところで変わらない。子どもって無力だ。

🧶この空間で一番動揺しているのは私だ。なのに、こんな大事な時でさえ怒る方法がわからなかった。私は、家族の前では自分の感情を外に出さない子どもだった。

🧶感情的で自分勝手な父が嫌いだった。父が家にいる時は緊張で空気が張り詰める。そのせいで、小さい頃から感情を制御することが癖になっていた。

🧶その反動で、自分の世界に入り込んで絵を描いたり編み物をすることで現実逃避をしていた。手を動かしている間は何も考えなくて済む。私にとって創作は、自分の心を守るための手段だった。

🧶翌日、パソコン室で隣の席の幼馴染に小声で「来週引っ越すことになったんだ」とぼそっと告げたら、「はあ!?」と大声で驚かれて、一瞬で私が転校することが広まってしまった。泣いてる人や驚いて立ち尽くしている人、教室がめちゃくちゃになった。授業どころではなくなってしまったので、先生に申し訳なかった。

🧶急だったので、お別れ会もできなかった。代わりに、当時流行っていたプロフィール帳を全員の席に回して書いてもらった。集まったページを読んでいたら、隅々まで書かれていて嬉しかった。友達の「好きな人欄」にクラスの人の名前が書かれている。両思いの人もちらほらいて面白い。みんなの秘密を知れるという転校生の特権。もう今後会うことはないから。

🧶幼馴染の自由欄には「勉強しろよ」と一言だけ書かれていた。

🧶ほかにないのかよ。

🧶最後の日。近所の友達や同じクラスの友達が見送ってくれた。

🧶ぶっきらぼうな幼馴染に「じゃあね、お母さんにもよろしく」と言ったら、「勉強しろよ」と言われた。「当たり前じゃん」と言って肩を叩いた。車に乗り込んでみんなに手を振った。手を振る内に小さくなっていくみんなの姿をじっと見つめる。祈るように、何度も何度も、消えてなくなるまで手を振った。

🧶遠くで幼馴染が肩を震わせて泣いているのが見えた。

🧶最後なのに不思議と涙は出なくて、妙に清々しい。状況をまだ飲み込めていないのか、気持ちを切り替えたのか、8歳の自分にはよくわからなかった。

🧶私は、あみぐるみを幼馴染のお母さんに見せていないことだけが心残りだった。


双極性障害と私

🧶それから大人になるまで、編み物に一切縁がない生活を送ってきた。あんなに好きだったのに、編み物への情熱なんてすっかりなかったことになり、たったひとつ手元に残ったのは絵を描くことだけだった。

🧶高校時代にこつこつアルバイトで100万円を貯めて上京して、奨学金を借りてグラフィックデザインの勉強をしたり、余裕がなくなって絵を描かなくなったり、デザイン事務所に就職したり、合わなくて鬱病になったり、転職したり、色々悩みながら生きてきた。

🧶21歳ぐらいのころ、双極性障害と診断された。

🧶昔から何かに集中すると周りが見えなくなる癖があったけど、その究極系のような。本当に寝食を忘れて没頭する。躁転すると無限にアイデアが湧いて、行動力も増す。躁状態で人と関わると碌なことがない。今まで沢山迷惑をかけてきた。

🧶病院に行くたびにお医者さんに「やりすぎはダメ。八分目で留めて。電池が切れたかのように動けなくなってしまうから」と言われる。
わかっていても、それができたら困っていない。

🧶私は0か100なのだ。

🧶我慢という言葉を知らない。

🧶躁のエネルギーを人に向けるぐらいなら、一人でできる創作に向ける方がよっぽど有意義で、誰にも迷惑をかけない。そう気づいてから、私は毎日自分に合うアウトプットの方法を模索するようになった。

🧶絵、ウクレレ、散歩、ブログ、アニメーション、漫画、料理、動画編集、色々なことを試した。

🧶落ち着かせるために無心で手を動かす。

🧶ほかのことが考えられなくなるように。

🧶私は元来飽き性で、凝り性だ。習慣化してしまったあかつきには、ほかのことを「考えられなくする」ためだったものが、それ以外「考えられなくなってしまう」。逃げで始めたものが、依存の対象となる。

🧶そして電池が切れたかのように、ぱたりと動けなくなる。1年間ほぼ誰にも会わずひきこもりになった時期もあった。

🧶双極性障害だと診断されてからの数年間、私はずっと藻搔いていた。思ったことを言い過ぎない、深入りしすぎない、話しすぎない、歩きすぎない、遊びすぎない、働きすぎない。何事も程々に留めておくことを肝に命じて、慎重に生活を送っていた。

🧶合う病院と薬を見つけてからは大分マシに生活ができるようになったけど、ずっと自分のことが信じられなかった。今もそうだ。

🧶躁の自分が始めたことは、躁にいずれ終わりが来て、鬱の自分がツケを払うことになる。最悪のサイクル。

🧶双極性障害と診断されてからの数年間は、沢山失敗した。失敗する中で、わかったことがあった。躁転した勢いで頑張りすぎると、鬱転した時の振れ幅が大きくなる。つまり、躁転しても「程々」を意識して生活すると、鬱転してもダメージが少ないのだ。

🧶なので、私はある決まり事を作った。

  • 企画の主催、旅、大きな買い物、大人数で何かをしない。

🧶この条件をすべて満たす趣味を作ると、精神と生活が安定する。

🧶色々試した中でなんとなく始めた編み物が、これらすべての条件を満たす行為だった。


編み物と生活、オーダーを受け始めるまで

🧶2023年の12月下旬、編み物にハマってから毎日飽きずに編んでいる。なんとなく始めた編み物は、楽しくて、ストレスなく続けられている。記録として、作った編み物作品をSNSに上げるようになった。

🧶編み物を始めてから、私の生活は一変した。

🧶常にリュックに毛糸とかぎ針を忍ばせて、暇を見つけるとおもむろに取り出して編み始める。それがどんどんエスカレートして、友達を待っている時、話している時、手持ち無沙汰になった時、家で映画を観ている時、いつ何時も狂ったように編み物をするようになった。電車や公園で編んでいると知らない人にじっと凝視されることがあるけど、みんながスマホをいじったり、本を読んだりするのと何ら変わらないと思っている。

🧶「息をするように編んでいる」と友達に言われたけど、「常に編んでいる」の意味ではなく、「無限に湧いてくるアイデアをアウトプットしないと苦しくて息ができないから、編むことでアウトプットして、そのエネルギーで水面に向かって泳いで、空気を求めている」とことと一緒だと思い、腑に落ちた。

🧶毎日毎日編んでいる内に、帽子が作れるようになった。セーターやマフラーは使用する毛糸の量も多いし時間もかかるけど、帽子は2~3玉で作れてしまううえに、集中して一気に編むと完成するので、飽き性の私には丁度いい。

🧶最初は猫耳の帽子、クリスマス用の小さなサンタの帽子、クリスマスツリーを作った。その後はクラゲのベレー帽、ポケットティッシュケース、ヘッドドレス、ポシェット、慣れてくるとその時聴いていた音楽から連想した帽子、朝ごはんをイメージした小物、豚バラ肉をイメージした巾着、オムライスのティッシュケース、お好み焼きの小物入れ、作っていく内に段々自分の作るものの方向性が見えてきた。概念を編み物にするのが好きなんだと知った。

🧶1カ月毎日作っていく内に量が増えてしまったので、人にあげたり、定期的にイラストのグッズを出店しているイベントで編み物を販売してみたりした。まだ素人なので物々交換 or 言い値という形で。意外と手に取ってもらえることが多く、驚いた。

🧶イベントが終わった後もそれは続き、帽子と物々交換を繰り返していく内に、私の帽子を友達が被っているのを見た、面識のない人からも帽子の依頼が来るようになった。友達なら信用しているので拙い作品でも見せられるけど、面識がない人に拙い作品を商品として渡す自信がない。

🧶友達と遊んだ時に私の帽子を被ってくれているところを見た時、これがどんどん広がったらどうなるんだろうという好奇心もありつつ、帽子を人にあげる時、迷惑だったらどうしようと不安に思う側面もあった。

🧶それでも「売り物になるよ」と言ってくれた友達の言葉を信じて、お試しで「概念を基に帽子を作ります」と依頼を募集してみたら、沢山DMが来て驚いた。

🧶そして私はオーダーを受けて帽子を作るようになった。

🧶みんなのオーダーは、思想や好きなものが違うから、ずーっと飽きずに編めている。結果的にみんなの思想や好きなものを尊重していることになるのが何より嬉しい。もしみんな同じものが好きで考え方が一緒だったら、私はすぐに投げ出して編むことをやめている。

🧶友達が「編み物は誰かのためになっているからいいよね」と言ってくれたけど、編んでいるだけで楽しいから正直役に立っても立っていなくても楽しい。

🧶漫画、イラスト、散歩、色々試して、なんとなく始めた編み物が、一番しっくりくるアウトプットの方法だった。編み物は下手でも愛おしく思える。手編みの温もりや触り心地が愛おしい。編み目が粗くても可愛いし、それぞれ良さがある。

🧶X(旧Twitter)を長年やっていると、バズることが増える。バズった投稿はどんどん知らない人へ届き、小さなことで炎上したり、リプライ欄や引用リポスト欄が地獄絵図になり、コンテンツ化する。人の数だけ考え方は千差万別なので当然だ。バズった投稿にはアンチコメントが必ずつく。そう思っていた。

🧶なのに。

🧶編み物に関する投稿にはアンチコメントがひとつもなかった。むしろ、編み物の楽しさや編み物に触れて優しい気持ちになっている人がほとんどだった。編み物というフィルターを通すだけで人の良い部分が見えるなんてすごい。もしこの世界で編み物が流行ったら、世界平和が訪れるのではないかとさえ思った。


編み物と表現

🧶イラストや漫画は工程が多くて、完成するまでに時間と労力がかかるから、純度100%の状態でアウトプットできない。「どうせならこのシーンを入れたい」「このセリフを入れたい」など、高確率で不純物が入る。元々描きたかったものがわからなくなって、結果的に納得いかないものができる。

🧶編み物にはそれがない。セリフやシーンを考えるための言語化が必要ないから、考えたことや思ったことをそのまま編めばいい。

🧶言語化って野暮。毎日言語化してるからこそ、そう思う。私はいつも言いすぎて失敗したと思うことが多い。言わない方がいいこと、言葉にしないことの大切さよ。言葉を選んで話せるのは、言葉を沢山知っていて、言葉を愛している人だけだ。考えていることや思っていることを正しく表現できたことなんて今まであったのかな? とさえ思う。

🧶本を沢山読む人は、沢山言葉を知っている。言葉を知っているから、自分の感情を正しく言葉にできる。言語化できる人は言語化という手段で感情を表現したらいい。でも、全員が必ずしもそうではない。

🧶音楽を作れる人は、音楽で伝えたいこと表現できる。映画を作れる人は、映画で伝えたいことを表現できる。漫画を描ける人は、漫画で伝えたいことを表現できる。

🧶その人それぞれ合った表現方法がある。

🧶私は今までいろんなことを試してきたけど、どれもしっくりこなかった。伝えたいと思って試行錯誤しても、上手く伝わらなくて苦しくなることばかりだ。何が自分に合っているのかわからなくてもどかしかった。

🧶そんななか、初めて表現方法としてしっくりきたのが編み物だった。私にとって編み物は感性を純度100%でアウトプットできる手段だった。

🧶編み物は、感性や感情を濾過せず、そのまま形にできる。落書きの方がうまく描けたりよく見えるのはきっと、自分の感覚を整えたりせず、純度100%の状態でアウトプットしているからだと思う。

🧶私の「編みもの」と「落書き」は似ている。ラフや設計図がいらないから。

🧶編み物は、フルーツをそのまま搾った状態に近い。

🧶考えたことを、編むだけ。2つの工程しかない。

🧶工程が多いと完成するまでモチベーションを保つのに苦労する。最初は楽しくても、いい作品にしようと思えば思うほど、自分のモチベーションと労力のバランスが釣り合わなくなっていく。そうなると最終的には「頑張った」と思ってしまう。頑張ったのに評価されなかったり、思い通りのものができないと損した気持ちになって、いずれ創作が嫌いになる。

🧶でも編み物は違う。そもそも頑張っている意識がないからだ。この前知らない人の引用リポストで、「応援しています」と言われているのを見た。なんだか腑に落ちなくてもやもやした。応援されることはしていないからだ。人が応援するときはどんな時? 頑張っている人を見た時だと思う。

🧶そう、私は頑張っていない。ずっと糸で「遊んでいる」が正しい。

🧶小学生ぶりに毛糸を触った時、新しいおもちゃを見つけた気持ちだった。一本の糸から何かを作り出すことの楽しさを知った。

🧶気に入るおもちゃを見つけた時って、それ以外どうでも良くなってしまう。今もそう。100均や手芸屋さんで毛糸を見ている時、おもちゃを買ってもらった子どもと同じ目をしている。毛糸を沢山買い溜めておくと、安心する。積ん読と似ている。

🧶元から誰かのために始めたわけじゃないし、自分が楽しいから続けているだけ。正直評価とか周りからの意見とかどうでもいい。

🧶編んでいる間はずっと楽しい。編み終わって完成したら、この遊びは終わり。ゲームをクリアした気持ちになる。なんだか寂しくて、物足りない。完成した編み物が誰かの手元に渡った後は、もう私は関係ない。

🧶「誰かのもの」だ。

🧶私は編むことそのものが楽しくてやっているから、ずっと楽しい。誰になんと言われようとも、この世界が終わって1人になっても編んでいたいと思う。

🧶作った編み物を、私のことを知らない人が、私の考えや人柄なんて教えてないのに、肯定してくれる。心や頭の中に浮かんでいるふわふわとした形のない思想やこだわりを編み物というフィルターに通して形にすると、言語化なんてしていないのに、伝わってほしいことが伝わる。自分が好きだと思うものや見てほしい部分を肯定してもらえるのが救いで、光だった。

🧶オーダーを受ける際、好きなものや雰囲気を教えてもらっている。それは外側で表面的なことでしかないのに、形にすると初めて相手の思想や魂が見える気がする。それがすごく不思議で、面白い。もっともっとオーダーを受けて編み物をしたい。


編み物と印象派の関係

🧶ある日、高校の友達と久しぶりに会って、上野で印象派とモネの展示を見た。

🧶モネの展示を見ていて、昔に美術史の授業を取っていたことを思い出した。印象派は見たままの感覚や印象をそのまま形にするという。

「自然の光と色の“印象”を捉えた絵画」

🧶衝撃が走った。

🧶印象派は、私が普段している編み物と同じだ。「感情や感覚の印象をそのまま形にしている」ということが共通している。

🧶というより、編み物で印象派をしているのかもしれない。

🧶見たままの印象を形にするというのは、中身を掘り下げたり知ろうとせず、ありのままを受け止めるということと似ている。編み物をしているときは自分がすり減る感覚がなくてずっと不思議だったけど、印象派の展示を見て、腑に落ちた。

🧶創作には2種類ある。

🧶自分の内側で作る創作と、外側で作る創作。

🧶内側の創作として例に挙げるなら漫画や小説だと思う。ここでは漫画について話す。漫画を描くときは少なからず自分に向き合って何を伝えたいか考えたり、フィクションだとしても、今まで吸収した作品、経験、思い出など、自分の内側の部分を使って描いている感覚がある。具体的な創作。例として挙げるなら、福満しげゆきのエッセイは特にそうだ。自分の人生や日常をそのまま描き起こして漫画にしている。そんなことまで描いていいの!? と思うようなことも沢山描いている。

🧶言葉の通り、自分自身を削って創作をしている。自分の子どもをエッセイにする漫画家は、子どもに許可を取らず漫画にして、子どもが大人になった時に実はずっと嫌だったと告白して炎上したり、漫画にするためのエピソードを発生させるために試行錯誤して破滅するパターンもある。破滅する可能性もあるのに自分自身を曝け出して創作をしている人は、見ているとハラハラする。命を削って描いているから、興味深く、面白い。

🧶ストーリー漫画を描いている人なら共感すると思うが、コミティアなどで知らない人に自分で描いた漫画を買われると、自分のことを話していないのに、自己開示している気持ちになる。人に読まれるという前提で作っていても、慣れなくていつまで経っても恥ずかしくてそわそわする。目の前で手紙を読まれているような、裸を見られているような気持ちになる。それは少なからずストレスが溜まり、不安も募るし、疲れる。自分について考えることは、エネルギーを使う。作品を世に公開している人は、一人残らず全員勇気がある人だと思う。

🧶逆に、外側で作る創作として例に挙げるなら、編み物や写真やスケッチ。感覚を作品に落とし込むまでの工程が少ない。感覚と表現の距離が短いとも言える。自分に向き合ったりしなくても、目の前に集中すれば形になってしまう。

🧶見たままを受け入れて形にすればいいので、作者本人が自己の感覚について追求する必要がない。抽象的で、外的な表現。作品を鑑賞する受け手の感性に委ねられるので、解釈が自由。意識が外側に向いている。結果的に自分について考える時間が減るので、疲れない。そもそも言語化という過程がないので、無駄なものが混じったり、整えるために削ぎ落とされることもないので、感覚がそのまま作品に反映される。果汁100%ジュース。混じり気のない感覚。子どもが描く絵と似ている。

🧶言語化しなくても、自分を削らなくても、形にできるもの。

🧶自己開示しなくても自己表現できる方法。それが編み物だった。

🧶私は誰にも自分のことを知られたくないくせに、理解してほしいといつも思っている。そんなの不可能だと思うし、矛盾していて傲慢で我儘だ。そう思っていた。なのに。編み物はそんな願望も叶えてくれる理想の方法だった。

🧶本当に良かったものって自分が感想を言うことで汚してしまう気がして「よかった」しか言えなくなるけど、そんな小難しいことを考えなくてもよかったなら「よかった」と言ってもいいと肯定できる作品を作りたい。

🧶自分が作品を通していい影響があったことを言語化以外の方法で表現したい。

🧶幼稚園の頃に、あるお店で食べたラーメンに感動して、居ても立ってもいられなくなったことがあった。この感動をどうにか伝えたかった。しかし、当時の自分には100%の気持ちを正確に伝えられる言葉を知らなかったので、感動した気持ちと衝動のままに、粘土で作った食品サンプルを作ってお店に持って行った。それが自分にできる精一杯の表現方法だった。感覚をそのまま形にしたということが、自分にとって何より大切だった。

🧶私は詮索されたり、深読みされることが苦手。だからこそ、そのままの状態で自分を捉えてくれる人は本当にありがたいと思う。勘ぐったりせず、ありのままを真っ直ぐ見てくれる人は素直で優しくてすごい。そんな人になりたい。

🧶モネの印象派はまさに同じことだと思った。見たままの印象を捉えている。本物の色ではなくても、自分の感じた印象がすべて。

🧶解釈が完全に自分に委ねられている。私は、作品の解釈を受け手に委ねたい。相手の思想を尊重できる人になりたいし、そんな作品を作りたいと思う。

🧶オーダーを受けて制作する帽子は、依頼者との共作の意識がある。

🧶依頼を受ける際、依頼者の好きなものや概念、どんな瞬間が好きか。そんな、抽象的な感覚についてのお話を聞いて制作している。細かいデザインは私の感覚に委ねられる。相手の思想を尊重したうえで、自分の解釈で制作した作品を制作し、納品すると、受け手の独自の主観で解釈されるところが面白い。依頼者に言われて初めて気付きを得ることが多い。

🧶最近の依頼だと、「春の夜の公園の帽子を作ってください」というテーマをもらったので毛糸を選別して写真を送ったところ、「さんかんおんを色にしたようで、とても風流ですね」という感想をもらい、「三寒四温」という言葉をその際に初めて知って、想像が膨らんだ。嬉しかった。四字熟語をテーマにした帽子シリーズを作っても面白そう。いくらでも作れそう。

🧶編み物はずっとずっと楽しい。今までいろんなことを試してきたけど、ここまで何かに夢中になれるのは初めてだった。双極性障害でずっと苦しんでいたけど、編み物を始めてから精神が安定するようになった。

🧶躁鬱の波が激しくて生活リズムが狂って、会社勤めができなかった時、絵や漫画の依頼を受けていた。でも、躁鬱の波で絵柄が変わってしまうから、結局全然思い通りにならなくてもどかしかった。編み物には絵柄や言語化という概念がなく、漫画より工程が少ないから作風への影響がない。だから、ストレスなく続けられているのかもしれない。

🧶何も考えず漫画を描くのは無理だけど、編み物は要点さえ考えておけば無心で編めるから良い。感覚的な表現方法。やっと自分に合う表現方法が見つかった。

🧶自分が熱帯魚だとして、世界が海水だとする。

🧶濃すぎても薄すぎてもダメで、自分に適した塩分濃度の海水で息ができる。

🧶私はずっと、自分に適した場所や泳ぎ方がわからなくて、息苦しくてたまらなかった。でも、やっと丁度良い塩分濃度の海域に辿り着いたから、泳げるようになった。

🧶まだ苦しいけど、水面はそこに見えている。

🧶光に向かって、アイデアに溺れないように、毎日毎日泳いでいる。


書き手:オキアミシュリンプ

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