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人生はきっと長いから



こんばんは、じゃないです。


風邪をひきました。高熱が出るわけでも咳が止まらないわけでもないけれど、微熱が出たり喉が痛かったりする状態が一週間くらい続いて萎えています。こういう種類の風邪は小学生のうちにたくさんひいて、体は元気な状態で周りの心配だけかき集めてたくさんずる休みしておきたかったな。動ける成人はそう簡単に物事を放棄出来ないので...





それでも風邪をひいているという事実に甘んじたり、実際ちょっとしんどかったりで卒論からは逃げています。実は少し前までは突然漲ってきたやる気を振りかざして嘘みたいな勢いで卒論に精を出していたのですが、そのブーストの反動と言わんばかりに今、全くやる気がありません。そんなわけないのに誰かが書いてくれるんじゃないかと思ってしまうほどにやる気がない。卒業はしたいのでいつかは書くけれど。



夏が終わって秋になってから卒論とアルバイトだけの日々を送っていて、そうしていたら季節は冬になりました。耳が凍って落っこちちゃうんじゃないかというくらい冷たくて、でも街のイルミネーションがきれいで、インスタのおすすめに〇〇円〜のギフト10選!という投稿が溢れる季節。私の大好きな季節。




寒さという意味ではなく、もっといえば冬という意味でもなく、大して大きな悩みもなく、毎日少しだけ何かを頑張ればあとは好きな人と好きなことをして、誰かに何かを言われることもなく、でも学生という社会的地位は保ちながら穏やかに息をするこの季節が、なぜだか永久的に続くとどこかで思ってしまっていました。



だけれど、四月から入社予定の企業から入社前の健康診断などの案内のメールが届き、この季節の終わりを突きつけられました。そりゃあそう。卒論を書けば大学生は終わりで、そのあとも鼓動は続く、社会で働く。痰じゃない何かが喉の奥の胸のあたりに詰まったように息苦しくなった。




働くことに期待もワクワクもあるけれど、希望の配属が通るのか、自分の給料で衣食住を賄えるのか、実家の家族は幸せに過ごせるか、地元の友達と疎遠にならないか、恋人とずっと一緒にいられるか、そんな誰もがきっと抱いてきた不安が、今の私にとって爆弾みたいに重くて暴力的にのしかかってきた。それっぽい言葉を検索にかけて共感したり、失敗例を見て半泣きになったりした。冷静に見れば無駄な時間だと思う。無駄ではないけれど、本を読んだり音楽を聞いたりした方が楽しく過ごせたはずの時間。




そんな時間を過ごして気づいたことがあって、そんな時間を過ごさなくても気づきたかったことだけれど、それは人生はきっと長いということ。



私は、あと数年で死ぬ予定は今のところなくて、日本人の平均寿命は伸び続けているから、きっとあと60年くらいは生きると思う。今まで生きてきた時間の約3倍の時間を、私はこの先、生きていく。



この先の中で、失う人もものもチャンスもあるかもしれないけれど、失わないために出来ることを見つけることもたくさんあると思う。同じか、それ以上にきっとある。そうでなきゃ人はこんなに長く生きられないはずだし。



この先の人生も、風邪を拗らせたり、あてもなく散歩したり、日付が変わってから人と会ったり、コンビニのおでんを買えなかったり、そういうことを繰り返すのだと思う。今とほとんど変わらないはず。



頑張ることは増えるかもしれないけれど、頑張りたいと思えることにも出会える気がする。穏やかさを失って激しい暮らしになることは、きっと悪でも絶望でもない。人生は長い。今を抱きしめて、今を繰り返して生きていこうと思う。もしかしたら絶望まみれなのかもしれないけれど、そのときはそのときだから、今はとりあえず今を生きたい。



高校生の頃、所属していたダンス部の大会で耳にした他校の挨拶がかっこよくていまだに覚えているくらいなので、最後に書かせてください。「今は今だけ、今しかない」




じゃ、またね〜。いちばん好きな12月だし、明日もみんなで生きようね〜!

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