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自信



自信とは

人に褒められたり

何かやったことを認められて

産まれるものではない

自分からしか産まれない

人に褒められて嬉しいのは

ほんとうに

自分の存在が認められたからではなく

その時

少しだけ

自分を信じてもいいような気がするからだろう

そこに見出せるものは

「自分を信じられることの素晴らしさ」

という気づきである



心から自分を信じられるようになりたい。
そう思える機会があることは幸運だ。
ただ、その機会は訪れるものであって、求めるものではない。
褒められるために何かをやってしまうと
その機会を自らもらいにいっているだけになる。
「自分を信じてもいいような気がする」ではなく、
そのとき、信じられているという勘違いが起きる。
それを積み重ねると、ある時、
ドンっと大きな自信とやらが手に入るような気になる。
その過程が、まさに、自己肯定感を感じているとき。
「感」ではなく、ほんとうの自己肯定を手に入れたいのだ。
ほんとうの自信を。



自己肯定感については、こちらをご覧ください。


「この世に存在する自分をありのままに認められる人」
と言ったものの、どうすればなれるのか。
自信があるとは、
自分が生きていることを信じられるようになるということ。

自分で自信を産み出したい。
そう思うなら、

自分の言動、行動を自分で決めること。



本に書いてあった、
テレビでそう言っていた、
調べたらそう書いてあったから。
〇〇さんに言われたから。
人気があるから。
みんながやっているから。
人によく思われそうだから。

こういうことをやめる。
発端がこれでもいい。
でも、それを踏まえて、
自分で感じ(感性)、考え(理性)、
自分がそうしたいと思ってやるならそれでいい。

自分で決めたからには、責任は自分。
誰のせいにもできません。
誰がお勧めしようと決めたのは自分です。


自分で決める。

自分で実行する。

自分で責任を取る。


「決める」というのも、「やる」になる。
「実行」も「やる」。
「責任を取る」ために何か必要ならば
自分で「やる」ことになる。
全部、自分。

これを日々、繰り返す。
どんなに些細なことも、この順序でやること。
言動や行動を決める瞬間に問う。


「責任を取るのは自分だけれど、ほんとうにいいの?」


自分で決めたのですから、言い訳をしない。
怖いですよね。
誰かのせいにできた方が楽です。
だから、人は理由を探すのです。
理由が、
「自分が決めたから」ならば逃げられない。


それが、

覚悟を産み、

覚悟を磨く。


覚悟を持って何かをやる。
思うようにできてもできなくても、
「やる」をやる。

これが、自信を産む。
どうしたい、どう生きたいのかを感じる(感性)。
そのために何をやるのか考える(理性)。
世界にひとりしか存在しない自分だからこその感性と理性。
その自分が決めたこと。

それができるということが
「自分が生きている」ということを感じられる自分が確立されるとき。


覚悟を持ち

自分の足で立っている自分


生きている実感の確立を自分だけで成立させた

自分が生きていることを

自分が生きていくことを信じられる

それが 自信








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