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復帰できる喜びに胸が高鳴っているだって?

なんて月日が経つのが早いんだろう。冬になったと思っていたら、もう4月ですよ! 今日4月1日、子が初めて保育園に登園した。これから2週間ほどかけて、短時間の慣らし保育から徐々に通常の保育時間まで延ばしていく。保育園に入園したということは、私も今月、いよいよ職場復帰するのだ。

ああ、職場に、復帰する! このそわそわした気持ちをどう言い表したらいいんだろう。いろいろな気持ちが渦巻いているのだけれど、いちばんには、復帰できる喜びで胸が高鳴っている。

復帰できる喜びで胸が高鳴っている……? こんな気持ちになるとは、正直、自分自身でも驚いている。1年4ヵ月前、産休に入る時点では、何年も続けていた業務から一度完全に離れることに関して一抹の寂しさも確かにあったけれども、主には「スッキリサッパリ心機一転だぜ!」という高揚を覚えていたし、子が生まれてから10ヵ月くらいは復帰のことなど頭の端に追いやって考えないようにしていた。退職したいと考えたこともなかったけれど、まだまだ仕事から離れていたいという思いが強かった。

それは子との生活が非常に充実していたから、というのも嘘ではないけれど、もっと言えば、毎日のビジネスチャットやメール、アジェンダの決まった会議に緊張するプレゼンやディスカッション、失敗をやらかしたり巻き込まれたり、逆に羨ましいくらいハイクオリティな仕事を見て感動したり……そういった仕事をめぐる日常のあれこれをふと思い出すと「うわぁ、嫌だ! まだ戻りたくない!」と心がパタンと閉じるような感覚があった。「まだまだ、この柔らかくて温かくて最高にかわいい生き物のお世話をして過ごしていたい!」と、心底そう思っていた。本当に、つい最近まで。

それなのに今、率直に「復帰への期待で胸が高鳴っています」と言ってしまえるのは、いったいどういうことなんだろうなと思う。おそらく一つの理由は、子が成長してきたということだ。体力もついてたくさんの刺激を欲しがるようになった子を、退屈させずに一日過ごすのはとても骨が折れるようになってきた。つきっきりで工夫を凝らして遊んであげれば楽しく過ごせるのかもしれないけれど、たとえば1時間だけでも、家で子に完全に向き合って遊ぶというのが、どういうわけかとても難しい。長くて15分、通常なら5分で精いっぱいだ。終わりなき家事はいつでも私を待っているし、隙あらばひと休みだってしたいし、「おっ、機嫌よく遊び始めたな?」と見るや「ちょっと食器洗うからね」「掃除機かけちゃうね」「コーヒー飲むね」などと中断に中断を重ねていくことになる。

少しの間なら集中して1人遊びができる子も、10分もすれば私を呼び始め、なんとかごまかしても終いには床に転がってうぎゃーと泣き出し、駆けつけた私にすがりついて「だっだー、だっだー」と抱っこをせがみ、おやつの時間でもないのに「ウンマー、ウンマー」と食べ物を欲しがり、様々なものを指差して要求する(たいていその部屋でいちばん触ってほしくないものを触りたがる)。眠そうだからと寝かしつけても布団に置くと泣くし、添い寝で寝かしつけるのもなかなか難しい。それで手を焼いた結果、機嫌よく過ごすために公園や屋内の遊び場に出かけることになる。午前に午後にと、子を連れてやたら散歩に行くのはそういう理由があるのだ。

そして散歩に行けば行ったで、動き回る子を追いかけ回したり、高いところから落ちたりしないか、ゴミや砂を食べたりしないかじっと見守ったりしているので休む暇はない。(そんななか、移動中にベビーカーで寝てくれることがあると、一日の中ですごく貴重な休憩時間になる。私は日々それを心待ちにしている。)そんなわけで、多くの先輩に聞いていたのと同じように、私も自宅保育がしんどくなってきたのだ。

もう一つには、矛盾するようだけれど、自分のことを考える時間の余裕が少しできたというのもある。産後の体のダメージもすっかり癒えたし、断乳に成功して授乳も不要になったし(もう何を食べても乳が詰まらないんだよ。なんという安堵、解放感!)、夜中に子が起きる回数も減ったので、私まで早寝して体力を温存する必要がなくなったのだ。それで、これまでより多少、夜更かしして自分の好きなことをできるようになった。

それで何をするようになったかというと、仕事につながるようなこと……ではまったくなくて、刺繍を始めた。

初刺繍はレンゲソウ。下手だけど自分で刺したから可愛い

刺繍をしたかったんだ、ずっと刺繍をしたかった。母が若い頃に刺したという、お花があふれる庭に女の子がいる刺繍を見たときからずっと、私もこんなに可愛いものを作ることができたらいいのにと思っていた。母の刺繍を見たのは小学生くらいの頃だったから、その頃からの憧れを今、ようやく実現したのだ。

……というのは大げさで、実際には刺繍への思いなんか忘れて久しく、顧みることなどほぼなかったのだけれど、数ヵ月前にふらりと立ち寄った手芸用品店の本棚でパッと手に取った刺繍入門書があまりにも美しくて、密かに抱いていた憧れがワッと戻ってきたのだ。

この本▼
アトリエFil『刺しゅうのレッスンと図案集』 (レディブティックシリーズno.8146)、ブティック社、2021年

いそいそと道具を買い揃えて始めてみると、想像の数倍は手間がかかる作業だった。買ってきた糸を一度ほどいて使いやすい長さにカットすることから始まって、図案を本からトレーシングペーパーに写して、それを布に写して、使う糸を一本ずつ束から抜いてそれらをそろえて針に通して……という下準備もさることながら、刺し始めてからも、刺す箇所が少し離れる度に裏で糸を始末しなくてはいけないし、色を変えるにはもちろんまた糸を始末して新しい糸の準備をして、と、糸を針から抜いては通す作業を何度も何度も繰り返す必要があり、「めんどくさ……!」と悪態をつくのをこらえられたためしがない。

二つ目に刺したカーネーション。ステッチが少し整った

信じられないくらい手間と集中力を要する刺繍をしていると、不思議だけれど、頭の中の塵が洗われて新しいスペースができるような感じがする。他に何も考えられなくなるのがきっと効いてるんだろう。一段落してふうっと息をつけば、刺す前より少し落ち着いた気分になっている。

子の1歳記念に一升餅を背負わせるための袋に刺したひよこ。子がひよこに似ているもので

それでふと気づいたら、頭の中のあいた場所に、仕事への恋しさが入り込むようになってきた。それとほぼ同じ時期に、職場復帰に向けた面談の機会もあり、職務と立場が少し変わって新しい仕事をする可能性も出てきて、さらにじわじわと復帰を楽しみに思う気持ちが高まってきた。これまで携わってきた社内広報や人事の仕事にもかなり思い入れがあったけれど、これから担当することになる私にとって未知の仕事は、うまくいくのか、まったく振るわないのかわからないからこそ、楽しみだ(分野としてはマーケティングで、くわしくは今後、書くかもしれません)。

思えば会社員も10年以上続けていて、新米と言われている頃と比べるとずいぶん変わったなと思うのは、失敗したくないとか、恥ずかしいという気持ちがとても小さくなっていることだ。いや、まぁこれからも失敗したらすごく落ち込んで消えたくなるだろうし、失敗しないように変に力んで過剰に準備してしまうこともあるだろうけれど、でも、その恐怖で押しつぶされそうになるような感覚はいまのところ、ない。要領がつかめなくてやたら時間がかかったり、お客様に失礼なことをしてしまったり、他の社員に迷惑をかけてひんしゅくを買ったり、仕事の完成度が低すぎたり、すぐ疲れて休みたくなったり、………と、これから遭遇するであろういろいろなハプニングを想像すると胸が苦しくなる感じはするのだけど、それでも、そういうネガティブな予想もひっくるめて、また新しい仕事ができることへの喜びと期待は消えない。たとえ泣きながらやることになってもやりたい仕事がある、って、私としても「どういうこと?」という感じなのだけど、今はそんな気持ちなのだ。

さて、復帰が楽しみだ、という話を長々と書いていたら、その間に復帰の日を迎えてしまい、さらに1週間が過ぎてしまった。と、書いていたらさらに1週間が過ぎてしまって、もう4月が終わるよ! この2週間のことを振り返るだけでもたぶん3,000字くらいは必要になるのでもう振り返らないけれど、人と会話する喜びと疲れと、母として女としての葛藤と、で、思うことが溢れてぐちゃぐちゃになりながら、とても生きている感じがした。

気が急いていたり疲れすぎていたりすると、刺繍をするタイミングを逃してしまいがちなのだけど、おそらく今こそ針を持って心を鎮めたほうがいいのだと思う。針を布の裏から出す位置を、「ここか、いや、ここか、ちがう、ここか、そうだ!」と探し当てる作業は、適切な言葉を選ぶ行為にも似ている。今こうして書いているときと、針を刺しているときの心の安らぎは、とても似ているところがある。

家族のこと家庭のこと、仕事のこと、体調管理に交友関係と、大切なものをそれにふさわしく大切にしようとしていると(さらに私がぐうたら休む時間も入れると)、刺したいもののほんの数パーセントしか刺せない。それと同じように、書きたいことの数パーセントしか書けないのだけど、それでもこの時間を失いたくないなと思う。(そして私が1人になれる時間を生み出してくれる夫には言い表せないほど感謝している。もっと言い表しなさいよ、という感じがするのでここに記しておきたい)

(そして感謝を言い表し始めると止まらないのでもう少しだけ書くけれど、ここ最近、そわそわぐちゃぐちゃしている私の話を聞いて励ましてくれている友人たちには足を向けて寝られないと思っているよ。本当にありがとう。そして職場でお会いできたみなさんにも、その歓迎の言葉や仕草がどれだけ私を救ってくれているか言い尽くせません。遠くからでも近くからでも、少しでもいい影響を与え/受け取り合いながら仕事していきたいと思っています)

さて、この胸の高鳴りが数ヵ月後にどうなっているのかわからないけれど、今の気持ちをぎゅっと抱きしめてそろりそろりと進んでいきたい。

それではまた!

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