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『ドラゴン桜』とは対極の担任 模試返却での言葉は人生の糧に

日曜はTBS系列のドラマ『ドラゴン桜』を観る。
阿部寛さん演じる桜木建二が、落ちこぼれの高校生を東京大学へ合格させるストーリーだ。

6月6日の放送では、東大専科の生徒たちが「東大模試」を受験する様子が描かれた。初めての模試に、ある女子生徒は自信を失いそうになる。人生で何かを頑張ったことがないというその生徒は、東大受験を思い悩んでしまう。

模試の返却前、桜木はその生徒に「お前は生まれ持っての幸運だ」と語りかける。

「受験しなければ、その運を使うこともできねえ。それを使うか、捨てるかは、お前次第だ。人生無駄にしたくなければ、運に乗れ」

熱のこもった桜木の言葉を受け、女子生徒は涙する。そして、失いかけた自信を取り戻す。
こんな先生がいたら…。そう思った視聴者も多いのかもしれない。

この一幕を見ながら、僕は高校3年のときの「模試返却」を思い出していた。
それは“『ドラゴン桜』とは対極の担任”が、人生の教訓を教えてくれた日のことだ。


☆   ☆   ☆


高校3年の11月下旬。
冷たい西風が校庭の木々を揺らしていた。

担任のM先生が生徒一人ひとりの名前を呼び、大事そうに紙切れを手渡す。そこに刻まれたアルファベットを見るなり、生徒の表情が揺らぐ。

その朝は秋に受けた模試の結果が返却された。センター試験まで2か月を切ったこの時期の結果は、受験校を決めるうえで重要な指標となる。
それはつまり、結果次第では志望校を諦めなければならないことを意味する。

全員の模試を返却し終え、M先生が教壇から生徒を見渡す。
励ましの言葉でもかけるのだろうか。それとも、慰めの言葉だろうか。

そう思ったけれど、先生が口にした言葉は全く違うものだった。

「君たちは、周りを観れているだろうか?」


☆   ☆   ☆


冷たい教室に、その言葉はポトリと落とされた。
生徒たちの間には、真意をはかりかねた戸惑いのようなものが広がっていたと思う。

M先生は大学を卒業してすぐ、僕の高校へ着任された。年齢が近いこともあり、兄貴のような存在だった。僕は高校2年生の頃から、2年続けて担任をして頂いた。

先生はギャグがスベると、いつも顔を赤らめる。あまり器用に立ち振る舞うタイプではない。
それでも、生徒の想いを尊重する優しい先生だった。

創作ダンスで「先生もスカートをはきましょう!」と提案すれば、恥ずかしながらも応じてくれた。文化祭の演劇では「俺は主役じゃないでな…」と謙遜しながらも、体を張った演技を披露してくれた。

「やりたいようにやっていいよ。任せるわ」

自由に学級活動を進められたのも、M先生が担任だったからだ。おかげで楽しい学校生活を送ることもできた。

そんな先生が、模試の結果を受け取った生徒を前にして、強かに問いかけている。

「頑張れ」でもない。「焦るな」でもない。
「周りを観れているだろうか?」という言葉を。

大切なことを伝えようとするときの口調で、先生は続ける。

「自分のことだけじゃなくて、もっと周りを気遣うように」

受験勉強は独りよがりになってしまうところがある。必死に勉強したい友人を妨げてしまったり、慰めほしさの言動に走ってしまったり…。

僕も思い当たる節はあった。
理系の授業は自分本位な態度で臨んでいた。指定された教材を買わなかったこともあった。

周りを観れているだろうか。もっと周りを気遣うように。
思いもよらない先生の言葉が、大切なことを気付かせてくれた。


☆   ☆   ☆


年が明けてすぐ、センター試験を迎えた。
僕はミスを連発し、思うような結果を残すことができなかった。それまで積み重ねてきたことが実を結ばず、さすがに堪えるものがあった。

そんな僕を押しとどめたのは、M先生の教えだった。
自分のことで精一杯になりそうなとき、いつも模試が返却された日のことが頭をよぎった。

放課後の教室で。東京の試験会場で。
当番じゃなくても掃除に参加したり、消しゴムのカスを持ち帰ったりしたのは、「使った場所をキレイに」という想いだけではない。

周りを観ること。気遣いを忘れないこと。それを確認したいという意味合いもあった。

その甲斐があったのだろうか。僕はほとんどの模試でE判定だった大学に合格した。素直に嬉しさが込み上げた。

この合格を伝えなきゃ。すぐにそんな想いに駆られた。

両親に連絡を済ませた後、気が付くと僕はスマホに電話番号を打ち込んでいた。


☆   ☆   ☆


電話をかけた相手はM先生。両親の次は先生に、と決めていた。
電話越しで先生が胸を撫でおろすように言う。

「おめでとう。良かったな…」

表情は見えないが、心から喜んでくださっていることがわかる。少しやり取りをして、僕はどうしても伝えたかったことを切り出した。

「模試を返却された日の言葉にハッとさせられました」。そう伝えると、先生はどぎまぎしたような反応を浮かべた。

「あれは藤塚に言ったわけではなかったけど…。そう思ってくれるなら、良かったかな」

それ以外に交わした会話は忘れてしまった。けれど、気持ちは晴れやかだった。

合格を告げられた時より、合格を伝えた時のほうが、ずっとずっと嬉しかった。


☆   ☆   ☆


2021年5月末。
あれから3年ほどの月日が流れ、僕は大学4年生を迎えた。

ゼミの活動で模擬インタビューの課題が出たとき、M先生の声が聞きたいと思った。
すぐに連絡したところ、「明日でも大丈夫」との返事があった。

もう随分と慣れたZoomへの接続も、このときばかりは気分が高揚する。高校を卒業して以来、先生と顔を合わせるのは初めてだった。

パソコンの画面が切り替わる。そこにはYシャツ姿の先生がはにかんでいた。

「久々やねぇ。元気でやってますか?」

お疲れであろう平日の夜にも関わらず、僕の拙い質問に対してとても真摯に答えてくださった。快諾して頂いたお礼を伝えると、「協力できることがあれば」と謙遜なさった。

インタビューでは、大学時代の経験が教師という仕事に活きたと仰っていた。誰もが輪に溶け込めるように気を配ることも、大学生活で学んだという。
このインタビューそのものが、配慮や気配りのようなもので溢れていた。

僕はそんな先生に2年間も担任をして頂いた。

だからこそ訊きたかった。先生の目には、初めて担任をした僕たちがどう映っていたのかを。

「あぁ、あれは…」と回想し、先生は真剣な表情で答える。

「すごく楽しかったよ。むしろ、助かっとったよ」


☆   ☆   ☆


僕の志望校は東京の私立大学だった。
私大は学部や日程によって、入試方式が大きく異なる。それらを把握するのは、手間も時間も要する。

しかしながら、M先生は僕が受験する大学の入試形態をよく把握なさっていた。科目ごとの配点や連続する日程にも気を配って頂いた。

高校3年のクラスで、東京の私大を一般受験したのは僕だけだったはずだ。
それなのに、一人の生徒のために、陰ながら尽くして頂いた。

それは僕に限ったことではない。
専門科の大学へ進学したクラスメイトからも、M先生が丁寧に下調べをして頂いて助かったという話を聞いていた。

周りを観ること。気遣いを忘れないこと。

生徒想いの先生のもとで高校生活を過ごすことができたのは、クラスみんなにとって幸せなことだったと思う。


◇   ◇   ◇


M先生は『ドラゴン桜』の桜木とは対極の先生だ。
生徒に檄を飛ばすこともないし、強烈な存在感を放つわけでもない。

それでも僕は、M先生が送り出した“初めての卒業生”であることを誇りに思う。

受験で詰め込んだ知識は忘れてしまっても、先生の教えはきっと忘れない。

模試が返却された朝の日のことを。一人ひとりの進路を気にかけて頂いたことを。生徒へ「助かっていた」と仰られたことを。

“初めての卒業生”は、その多くが来春から働き始める。
自分のことで精一杯になりそうなときこそ、先生の教えを糧に、そっと周りを見渡したい。

そして、いつの日かこう伝えたい。オンラインではなく、直接伝えたい。


「M先生、僕たちもすごく楽しかったです。先生にいつも助けられていました」



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