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ショートショート『オリーブの小枝』✩短編か長編へと考え中

この山小屋に住みはじめてからもう1週間が過ぎようとしている。犯罪を犯して逃げてきたわけでもない。ケガをしているわけでも急病になったわけでもない。趣味の登山をして、この山小屋に着いてまもなく、大きな揺れに襲われた。地震だろう。揺れはおさまることなく続き。日帰りの予定をやめて、翌朝に帰ろうとしたが、翌朝にはもう帰れない状態になっていたのだ。

山小屋自体はしっかりとした木材で建てられているようで、棚から物が落ちた程度で、住むことには問題はない。

今はまだ夏の終わり頃だ。山の樹木はまだ青々しく、樹木の葉は、ときおり吹いてくる風に揺れて、誰かを誘っているようだ。誰でもいいから誘って来てほしいのは私のほうなのだ。
  
昼間には外にでて、日光浴でもしたいところだが、この山の頂上にはいたるところに動物たちがたむろしていた。飼い犬だったらしい犬たちもいるし、熊もいる。猿も数匹、樹木に住み着いている。

だから私は山小屋の窓からひたすら外を眺めている。空をヘリコプターや飛行機が飛んでいないかと観察しているのだ。トンビなどの鳥たちがたまに私の視界に入ってくる。

そして、動物たちのようすをみながら外にでて、食料となるものを調達して、ときには動物たちの新鮮な死骸を山小屋に持ち込み、暖炉のところで焼いて食べている。

そして、鳴らないスマホをにらむ。
圏外ではないが、スマホからはなんの音もしてこない。
テレビやラジオのアプリを入れているが、なんにも映さない、聞こえてこない。人工的な、単調な波の音が聞こえてくるだけだ。

寝て食べてまた寝てのくりかえし。
動物たちとおなじ生活だ。彼らはテレビや映画、娯楽もないようにみえるが生きている。人間がぜいたくなだけなのだろうか。
 
最初は美しく、心を癒やす風景だと思っていた山も、いまや無人島へと変貌を遂げていた。それでも希望だけは捨てられない。世界の山々で、私のように生き延びている人間がいるはすだ。パンドラの箱の最後に残っていたものが希望だというが、ある意味、希望と執着は紙一重なのかもしれない。

今日も外にでてみた。山から少し下りると今も水で満ちあふれていた。まるでノアの箱船のように、私はこの山に取り残されていた。そして、水面には麓の農家で育てていたであろう、野菜や果物などが浮いている。トマトやキャベツ、リンゴなどだ。魚もたまにはとることができた。私はそれらを食料にしていた。野菜が心なしかしょっぱい味がするのは海水に浸かったせいだろう。

この海水のなかを泳いで山にたどり着いた動物たちも、この山から離れたくても離れられないのだ。

スマホの通信基地も水没しているのだろう。手動で充電させる充電器を使って充電はしているが、なんの意味があるのだろう。
 
スマホに保存していたLINEをなんども読み直し、画像をみるたびに、心に氷と炎がからみついたような寂しさに襲われる。

家の猫のミャーはどうしているだろう? 猫は泳ぎが苦手だ。家からは出られないだろう。私の兄弟や彼女はどうなったのだろう?

私は学者ではなく、サラリーマンだから、この事態の原因はわからない。ムー大陸のように沈んだのだろうか。それともいずれこの水もひいていくのだろうか。

冬山の環境は過酷だろう。私は冬の季節を乗り越える準備はしていない。私の命も秋までなのか。いや、秋までは持たないかもしれない。水かさが日増しに増えてきているからだ。動物たちも生きていくことに必死だ。毎日のように生きていくための戦いがくりかえされている。

翌朝、水の冷たさに目覚めると、もうベッドが水没していた。私があきらめかけたとき、船の汽笛の音が聞こえた。そうだ。船に乗っていた人たちもいるはずだった。

私は泳いで山小屋の屋根に登った。
船だ、誰かのクルーザーだ。

 
その後、私は山小屋から救助され、船員と救助されたらしい人たちの見守るなかで、久しぶりにあたたかいコーヒーを飲んだ。なにが起きたのか、これからどうなるのかはこれからゆっくりと考えよう。

いつか、旧約聖書に書かれている神話のように、約束の虹が空に架かり、ノアが放ったとされるオリーブの小枝を口にくわえた鳥が、私の目の前に現れてくれるかも知れない。
 
(fin)

星谷光洋MUSIC『大好き』


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